杉山愛

宮川俊朗

杉山愛のトークショーを、仕事との関連もあり聴きに行く。少女時代から世界での活躍のフィルム放映が15分で、聴き手とのトークショーが45分の計1時間の構成である。
語りは明るく的確で、さながらテニスのラリーの応酬を観ているようで、あっと言う間に1時間は過ぎた。現役引退してから一年足らずなので、スピーディな躍動感が話しにみなぎる。
「球を捉え自分のものとして料理して返す」トッププロの動きが、そのまま言葉になり、会場に投げられる。
「言葉数が増え、明るくなりましたね。」
とは、友人の感想である。
 世界一を目指し、勝負を重ねる時は、戦略を練り、勢い口数は減らざるを得ない。ダブルスのパートナーさえ、明日は敵である。ペラペラと本音や手の内を喋るわけにはいかない。
「ウインブルドンのセンターコートに初めて立った時は、体が震えましたね。ここに立つために練習してきたのですから。」
「5歳からクラブに習いに行きました。週に3回、3時間習い、8時に帰宅してから食事に宿題。しかしきついと思ったことはありませんでした。好きですから。」
プロになり数年後、スランプに陥り
「もう辞めようか」と母に言ったことがあります。
プロテニスの世界では、どんなに努力していても、横からすうっと追い抜いて行くプレーヤーが現れるのです。
「ここで辞めたら、何をしても一人前にならないわ。」
と母から励まされました。
 その後、母に頼んで、約10年間、私のコーチになってもらい、公私ともに助けてもらいました。

 杉山愛の語りは、持ち前の白球のように鋭くかつ華麗に、会場を飛び交い、聴き手を魅了した。
「タフなスケジュールをタフな心身で戦う」
タフは杉山さんの好きな言葉であり、その発音が美しい。

仲良し三人組
 あるオフィスビルの職場で、仲良しのキャリア・ウーマンが、三人いる。本当はライバルで、火花が散るのだろうが、男性が多数の職場において、バリバリと仕事をこなす。男性は上下の人間関係を気にして、年功序列を重んじる。先輩を立てて、つつがなく仕事をしていれば、いずれ先輩の地位に禅譲でつける。先輩も更に上の地位につけば、忠実な部下が支えてくれると期待する。
 三人の女性は、それぞれの能力とともに、個性的な感覚を駆使して、職場に新風を吹き込む。男性たちも「これではいけない」と、読書や講演会に行き、能力開発に励む。
 ある朝、最年長の女性が眼鏡で現れた。「眼は良い」とみんな思っていた。実はコンタクトレンズをかけて、仕事に励んでいたのだ。驚いたのは、あと一人、そして全員が愛用の眼鏡をかけて朝礼に現れた。
 皆は上長の訓示を聞きながら、三人の顔をこっそりと眺めた。どうして全員揃ってか。しかも初めての眼鏡を披露するとは、写真でも撮っておきたいぐらいの珍しいシーンだ。
 先輩がコンタクトを無くした。家で愛用の眼鏡を独りかけて来るのは、目立ってしまう。そこで後輩に呼びかけ、全員が眼鏡を堂々とかけることに決定した。渋々の者もいたろうし、きっと残りの二人ともできればかけたくなかったろう。
「じゃあ、私の古い眼鏡を貸してあげる。」と半ば強制による行動であったかもしれない。
 翌日も美人の三人は、冷ややかでインテリぽい眼鏡をかけて、朝礼に現れた。もう皆は、初日ほどあっとは驚かなかった。一日、しっかり見慣れていたからだ。
「三人は競争状態にある」と見ていた男性たちは、首をひねった。「ひょっとしたら、自分たち以上に団結が強く、コミュニケーションがうまく行っているのではないか。」
と付き合い下手の小心者は、考えた。
 
囲碁の戦略に中国流というのがある。先手の黒番は、星に三つ並べて、勢力を張る。これが三連星と言い、先手優位を生かした戦略だが、中国流では、真ん中の星を一目分だけずらす。中央でない分、勢力志向でもなく、地を増やす目的だけでもない。いや勢力も地合も狙おうという高等戦術で、相手の出方を牽制する。
 若き女性三人が、囲碁の中国流を知っているはずはないとは思われるが、中国流の極意は熟知している。攻めながら守る。あるいは守りながら攻める。バランス良く、二兎を追う戦略である。「虻蜂取らず」にならぬようだけは、気をつける筋だ。
「目立ちたい」と「仲良くする」をきれいに両立している。

 三日後は、皆は朝礼の冒頭で再び驚かされた。三人は美しい素顔で現れた。眼鏡は机の引き出しの中にあるのだろうか。三人が素顔へのタイミングを打ち合わせ、一糸乱れず実行に成功したことは言うまでもない。
その経緯は誰しも尋ねたいところだ。
 ひょっとしたら、男性の何人かが、この件に噛んで三人と打ち合わせしていたのかもしれない。考え出せばきりがない。ほんの些細なことでも、詮索し始めれば藪の中だ。
「次はどうなるか」と展開を考えるとおもしろい。
 日中の職場はパソコンの音がリズミカルに響き、時折、難しい電話対応に追われ、もはや朝の出来事を振り返る者はいないように見える。しかし明日からの意外でドラマティックな展開を、コーヒーを啜りながら考えてみたくなる。それがストレスの強い職場でのささやかな楽しみであり、想像力をくすぐる。

 ある講師の秘訣
 私が密やかに敬愛する講師は、自分の能力や知識には控えめで
「私は運が良いのです。人間は運によって開かれます。」
とにこやかに語られた。
「小さな公民館で、私の体験談を話したのです。一生懸命に用意して、お話したのですが、それを聞いたある人が、しばらく経って「ぜひ内の集まりでも話して欲しい」と申し出られたのです。
「内の集まり」と言っても、規模が大きな団体で、安全や健康について講話することになりました。今までの職場経験や知恵から、その団体に合うように考えて、講演内容を創りました。
 私は自分なりにいくつもの引き出しを持っていますから、その中から選んで講演の内容を組み立てたのです。それがとても好評で、「また来年もやってください」とリクエストが届きました。
 参加者のくちコミからか、「私の集まりでも話してください。」と要請がありした。別に営業しているわけでもないし、一回、一回の講演に全力投球しているばかりです。自分で全力投球と言ったら自画自賛になりますが、とにかく主催者の意向を大事にするのが一番です。そして受講者が「今日は聞いていて、良かった。」と思われるような土産を用意しています。
 もちろん資料は主催者と十分に打ち合わせ、OKが出たものを使います。微妙なものは、OHPにして紹介します。このOHPの資料を受講者が欲しがって、電話してきます。私なりに大事と思われるエキスを手書きでOHP用にします。もちろん主催者の了解の上で、その資料を出すようにしています。
 一回、一回が勝負、一期一会と思い頑張っていると、運が開けたのですね。」
 大きな団体からの表彰日の午後にお会いしただけに、笑顔が一杯で、成功の秘訣を教えてくださった。

 カラオケの先生
 私は月に一度、先輩の家に碁を打ちにゆく。私の方が一日の長がと内心、思っている。先輩は碁を本格的に勉強し始め、その成果を私に試そうとされる。従って二、三月に一度の訪問が月一に縮まる。
先輩の奥様は、昨年秋より二箇所の公民館で、カラオケ教室を開いている。好評につき、このたび少し離れた公民館で、新しい教室を開いた。その教室だけで生徒は十名となり、総員三十名を超える。
「雰囲気がとても良いのが、嬉しかったです。雰囲気の良し悪しは、初日からわかるのです。生徒さんがお互いにけなすところがありません。
 素直に誉めて、相手の良い点を吸収しようとする心構えには、年齢は関係ないのです。やる気があれば、いくつからでも上達するのです。
半年ぐらいで、見違えるほどうまくなられる方がいます。生徒さんが上手に歌えるようになると、私も本当に嬉しくなります。」
このようなプラス思考だから、生徒もどんどん増えるし、皆さんから喜ばれているのであろう。
ソクラテスが語る「いちいち教えなくて、本人の気づきと考え方で成長させる」という助産法に、通じるものがある。
 私は、生徒一人から三千円もらっても、良いお小遣いになるだろうと野暮な計算を密かにしていたら
「私の教室では、月に三週間までとしています。四週目はお休みにして、家事に専念します。家の仕事がいっぱいたまっていますから。」
とにこやかに笑われる。
 間を取られるところが偉い。 

 実は碁の対局中に、奥様がそっと出してくださるお茶が美味しい。三局目ぐらいで、二杯目のお茶を出される時は、季節のフルーツが小奇麗に並べられ、しばし目を楽しませてくれる。まるでセザンヌの静物画を現物のフルーツに再現しているようで、上品で美しい。これも芸だ。
 先輩はプロの商業デザイナーだが、奥様は見よう見まねで芸を覚えられた。元々好きだったカラオケ教室を、ついに近所の公民館に開いた。宿願の夢が花開いた。
 秋日和に、電話して碁を打ちにゆくと、奥様は教室に出かけられたと言う。まだ暖かいお茶が、急須にある。
私は無聊を避けるために、人と会ったり、どこかに出かけることで、スケジュールを埋めようとあくせくする習慣がある。その傾向が近頃、強まっているのが自分でわかる。本当にその人と会いたいとか、その遊びをしたいのではなく、独りぼんやり過ごすのが、いやだからである。
「三週間は歌のレッスンで、一週間はきれいにあけます。」
という奥様のさりげない言葉は、肝にしみた。
 やさしい表現ではあるが、禅師からカツーンと一発、気合を入れられたような気がする。
「元気でバリバリ好きなように動けるのは、あと十五年かな。」
「海外旅行も七十五歳ぐらい迄が、大いに楽しめそうだね。」
と同窓生と率直かつ真剣に語り合う。
 日々の暮らしも、新しい活動をせねばと、せかせかした気分になりがちだ。
 何もない日は良い日だ。
 頭でそう思っていても、心が騒ぐ。

 一週の間を空けるという知恵と心配りこそ、名人の知恵と余裕だ。芸にも先生稼業にも決して溺れない。足るを知り、心から楽しんでおられる。私はこんな大先生に、ご主人つきで車で家まで送っていただく。
「また来てくださいね。主人が喜びますから。」
 車のドアを開ける時、奥様はいつも言われる。私はその甘い言葉とお茶とフルーツに誘われて、再びのこのこと出てゆく。こんな調子では、いつか先輩に、本題の碁でやられそうだ。
 奥様の成功術を学ぶとともに、碁の腕を磨かねばと思う。走る背中に、敵は迫っている。後塵を拝する恐れが、現実のものとなっている。
 
 いつか碁の先生となり、教室を開きたいと密かに思う。もっとも片手間でできるはずがない。命を込めて実践してこそ、夢は叶えられる。

隠し味
ある高名な美術評論家は、絵画や彫刻の鑑賞のほかに、俳句の趣味を持っている。彼は俳句の会の世話役を長年、続けておられる。俳句は美術の本業からすれば、趣味、気晴らし、遊びであろう。しかし本当は達人のレベルになっていらっしゃる。あっと驚くような俳句集を、そのうちに出されるのではと思われる。
絵画の批評やキャプションにおける、冴えて温かみのある文章は、俳句で培われたものだ。五七五という定型を外した、自由な俳句の発表でもある。
セザンヌやルノワール等の名画を、美術館でどのように紹介されているか、拝見したい。紹介文の中で、隠し味のように俳句の趣きを発見するのが、楽しみである。

愛について
愛は理性が大切だ。「心から愛している」と思い、果てしなく愛する。計算しては、愛せないのは真実だが、やみくもに愛するのは、相手に迷惑をかける。愛には他者への愛とともに、自己愛が含まれている。好きなだけ愛するのは、青春の象徴。誰でも「若きウェルテルの時代」を持つ。
しかし愛が過剰になり、暴走を始めると、生々しいエゴが出現する。愛は理性、時には客観性があってこそ、相手から喜ばれる愛に育つ。
人間は感情と理性からなり、感覚と理性によって理解し、行動する。愛はその中でも、感情の高まり、幸せの極みとしてどこまでも上る。しかし理性により、冷静に自他を眺められれば、もっと素敵な愛へと進める。「愛は我慢」とは言いすぎだが、心のブレーキは大切だ。そうでなれけば、自分を嫌いな人をどこまでも激しく愛して、破綻を招く恐れがある。
自分が恋しい人を、様々な理由で嫌いになることがある。逆も真で、相思相愛の彼女が、自分を嫌いになる可能性は、同じように起こる。理性で何もかも押さえつけるのは困難であるが、隠し味のように使えば、難局を乗り越えられる。
もっと素晴らしい愛が、待っている。 




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