芥川龍之介雑感

宮川俊朗


芥川龍之介雑感
       宮川俊朗
芥川龍之介の旅情
芥川龍之介の作品は、鉄道に関するものが多い。「蜜柑」は筆者が横須賀線に乗り、同乗した女性が見送りに来た弟たちにみかんを投げる話である。歩きながら投げるのでは、格好がつかない。一瞬の車窓での出来事を取り上げたところに、切れ味がある。
「トロッコ」は、まさに車両そのものだ。鉄道の線路を敷く作業で使うのが、トロッコだ。作業員が乗るだけでは当たり前だ。少年が乗り、冒険するところがおもしろい。
「お時儀」は、晩年の傑作だ。心を寄せる女性と目と目が会う。本当は言葉を交わしたいのだが、お辞儀をするだけである。それで心温まる場が、駅の寒いプラットホームだ。大正から昭和にかけて、鉄道は全国的に広がった。どこにでも行ける。しかしお金と暇がない。芥川龍之介は、市井の人として街の鉄道を描いた。電車に乗れば、人との触れ合い、小さなドラマが待っている。駅には、旅立つ人の思いが交錯する。長い道のりもある。鉄道や駅が作品の舞台となり、光彩を放つ。
飛行機はあっと言う間に飛び立ち、途中の行程も乏しい。鉄道には遠近、大小の旅情があり、芥川龍之介は駅の風景や車窓を美しくコンパクトにとらえた。好きな場面でもあったのだろう。

私は時折、芥川龍之介の作品を読む。晩年の作品は、恐ろしいものが多い。「歯車」は、精神医学の病状をしるすとあって、医学生のテキストになっているとも聞く。病状が悪化して、治そうという意志が乏しかったのであろうか。
「私には漠然とした不安がある。」
というのが、自殺の原因である。
 具体的な理由は、わからない。本人は良く知り、回復の道を必死で探ったのかもしれない。戦争突入とその前後への検閲。「自分の作品が検閲にひっかかるのではないか」という恐れを具体的に書けないので、「漠然とした不安」という一種のロマンティックな表現に変えたのかもしれない。
「私は憂鬱な気分に囚われると、頭の中に蛆がわくような気がする。」
という思いは、志賀直哉を驚愕させた。
「そこまで思いつめたなら、自殺もしかたがない。」
と直截な志賀直哉氏を言わしめるぐらい、蛆は深刻な表現である。
 本当は戻った方が良かった。
「人生の意味と価値を見詰めるには、振り返り、登りなおすことが大切だ。勇気だ。」
と小林秀雄は強烈に批判している。
 似たような悩みを抱えていたかもしれない。小林秀雄も第一高等学校時代に神経を病んで休学している。西洋への近代化と日本文化、あるいは全体主義と個人の確立という難しいテーマを背負っていた。
 ITが進む情報化社会の現代だって、同じような問題やより深刻な悩みを、みんな抱えて生きている。より善く生きようと望めば、誰だって難関や難問はある。 
芥川龍之介は、頭脳明晰なゆえに答えを急ごうとされたのかもしれない。結局そうなるのかもしれないが、まだまだ面白いこと、楽しいことが人生には一杯ある。それでも究極を極めようとするのか。
「太陽と死は余り見詰めてはいけない。」とは、ラ・ロシュフーコーの箴言だ。
 太陽は眼の健康のためであり、死は精神衛生上、過度の凝視は慎むべきだ。心は放っておけば沈み、暗くなる。そこを何とかする、そこから何とか這い上がるのが人生だ。
 芥川龍之介も何とか活路を見出そうと知恵を働かせ、外に出た。
出た先が駅のプラットホームであり、そこで心優しい美人に出逢う。
「声を掛けたいな。」
と相手も思ってくれていた。
お互いにそう思い、ついお辞儀をした。
爽やかな雲の切れ間である。
「もっと「お辞儀」のような作品がこれから書けたら良いのになあ。」
とは志賀直哉を始め、多くの作家や友人が口にする。
ロマンティックな旅情が「お辞儀」に流れる。男と女の恋物語へのイントロでもある。
何度、読み直しても素敵な短編小説である。

 芥川龍之介雑感
 芥川龍之介は、実に多くのことを考え書き残した。明治、大正、昭和と日本が開国し、西洋文明と政治巨大システムの中に組み込まれ、国家としてのアイデンティティを確立し、優位を保とうと必死で試行錯誤しながら、努め、交渉し戦った時代である。
 こうした複雑に動く時代にあって、個人として考えを述べ、小説という創作を通して思いを述べるのは、まじめであればあるほど困難を極めるとともに、おもしろかったであろう。
「もしこの船が嵐で沈まないと保証されているなら、どんな航海もおもしろい。」
とはパスカルの言葉だ。
 このおもしろさが、激動期に生きる芥川龍之介の根底にあった。世間の人たちが苦労しているのを観て、おもしろいとは顰蹙を買うのを恐れ、敢えて陰気で怪奇性を帯びる小説の創作に向かう。怪奇性志向は、遺伝とか自分自身の不健康さから来るものであったが、てらいでありはにかみのポーズであったかもしれない。
「私はこんなに幸福です。こうすれば皆さんも幸せになれます。」
という主張もできたはずだが、いかに不幸で厳しい状況に置かれているかを主眼にした作品に力を入れた。
志賀直哉や武者小路実篤氏たちは、それでも生きがいと幸福の探求に生涯を貫き、こつこつと創作を続け、オピニオンリーダーとして頂きに上り、皆を誘った。

「羅生門」はデビュー作であり、筋のつくりに工夫と決意が見られる。
 犯人の青年は、衣服を奪い、羅生門から立ち去ろうとする。
「お前が盗人なら、お前から衣服を奪っても罪はなかろう。」
というのが、青年の主張である。
 老婆は死体から衣服を脱ぎ取り、古着屋に売り飛ばす。その老婆を裸にして、服を持っていく。極限状態は、痩せこけた老婆をスッポンポンの真裸にする。
もっと若い女なら、どう描くだろうか。
このテーマを映像へと突き詰めた黒澤明の「羅生門」だ。
若い女は、夫の前で情事に耽る。あるいは盗賊の男に犯されたのかもしれないという設定を加える。犯されても求める。夫の面前で、艶かしい情事は延々と繰り広げられる。夫は夫で、じっと眺めている。本来なら、耐えられずに、自刃するのではないか。いやきつく縛られているから、自刃すらできない。耐え難い苦痛に耐えている自分自身をそれでもじっと観ている。怪しいマゾヒズムの光景だ。

「羅生門」は、相手が老婆だけに、情事への色欲は、浮かばない。しかし「眼には眼」という行動思想は、極まる。ドストエフスキーの「罪と罰」を思わせる。老婆が質屋というあこぎな商売で、貧しい者からお金をむしりとる。だったらその老婆から金を取っても良いはずだ。老婆が後でいろいろと喋ったらまずいので、口を封じる。斧で体を滅多切りするのは、犯行の行き過ぎであるが、そこまで行かなければ自分がやられる。
「罪と罰」の思想は、平安王朝時代の京都で展開される。人間のサガであり、ヒットラーの「わが闘争」へとつながる。新たな心理開発というより、もともと人間が備え持ち、先祖代々から受け継がれてきたものだ。生きる、戦う、生死を決する時は、踏み越えなければならぬ関であり、壁だ。社会システムがこうした野蛮な行動を阻止しようと法律や道徳を作る。感情がそれに抵抗し、もっともらしい理屈で武装する。
 ドストエフスキーが、ラスコーリニコフというインテリ学生を主人公に登場させたのも、理論武装であり、理論の脆さも同時に示している。それは人間も脆さ、はかなさ、気まぐれであり、一つの確固とした信念や思想で生涯を貫くことの難しさと馬鹿馬鹿しさを暗示している。しかしそこから本当の思想が芽生える。また各時代に応じた善き思想をインテリゲンチャは、苦しくも楽しく創り上げていかなければならない。そうしなければ、IT、グローバル化が日進月歩の今日にあっては、知性や希望はコンピュータという便利で効率的な科学機器によって、衰弱させられ下位の状況に置かれ続けるであろう。もはや思い考えることを止めてしまえば、チャップリンが描いた「モダンタイムズ」の頭脳版として、人間はコンピュータという機械にバタバタとこき使われる部品と化してしまうであろう。原子力も便利さ、効率の良さばかりを強調し、負の部分を蔑ろにしたために、大事故を引き起こし、ナッシングの余計物となってしまった。科学やコンピュータは、人間がもう一度よく考えながら使い、進むべきだ。地球温暖化の進行も、科学、エネルギー、便利さ、そしてエゴの塊が進めた罪であり、もう一度、全体を考え直す時に来ている。
 方向を切り替えるために残された時間は、多くない。 

「羅生門」は「罪と罰」の日本版だ。老婆を裸にしてまで、着ている物を持ち帰る。畳んでおいた着物だけでも良かったはずだ。
 芥川龍之介は
「青年が放火や強盗の罪を犯し続けた。」
という筋の展開で、悪行の数々を描くことも構想の中に入れた。
「青年が羅生門を過ぎて、どこに行ったかは誰も知らない。」
 筋の推敲の賜物である。あとは読者の想像に任せる。それが読者への敬意であり、想像のおもしろさ、自由さとなる。作家としての謙虚さ、ついには顧客サービスへとつながる。
 一大学生が、何もかもわかるはずはない。
「誰も知らない。」
とは霧の中だし、悪の可能性、そして希望の芽生えでもある。
犯人の青年が改心し、いつの日にか老婆に美しい素敵な服をプレゼントする。万に一つもあるか、ないかの可能性だが、小説なら可能だし、人生なら本当にできる。最後のセンテンスは名文であり、文筆家としての芥川龍之介の前途を洋々たるものにした。

アフォリズム集「しゅ儒の言葉」で 
「あるできた息子は、母親に孝行した。愛撫や接吻が母親を喜ばすことだとよく知っていたのだが」
と芥川は際どい内容を提起している。 
 忠孝息子であろう。しかし母親は女である。ギリシア悲劇のオイデップスを思い起こさせる。息子が母に頭が上がらない、いや好きになるのは、オイデップス・コンプレックスである。フロイドが探求し、提起する心理の極限である。放っておけば、誰もが堕する地獄絵であり、心のどこかに願望がある。リビドーの海は、性欲の根源であり、生きとし生きる者が受け継ぐ生理的な遺伝子である。
 本当のことは誰もわからない。そうかもと考えられるなら、真実の一部である。
 アフォリズムにしては鋭過ぎるし、タブーに触れる。神様の逆鱗かもしれない。
 真善美の構築とともに、SMを含めた異常心理への興味と探求は、「地獄変」の心模様へと旅することになる。絵師は、「わが子が焼かれ悶える様を絵にしろ」と命じられ、名作を仕上げる。芥川に雑誌社は「もっとおもしろいものを」と要望し、果敢にも応え続けたのかもしれない。
 芥川龍之介は芭蕉やキリストをこよなく愛し、造詣も深かった。「芭蕉雑記」や「西方の人」は、晩年の心のこもった名作である。敬愛ぶりと想像力は素晴らしい。これらの作品にあるアフォリズムは、世間を驚かせるとともに、自身の心身を傷つけた。
「我々は生きるために生きている。」
と娼婦と語り合う、しみじみした感想が、残されている。
 生は自分のものである。好きなようにしても良い。天才芥川龍之介は、様々な生きる可能性を知り、更に模索し続けた。彼の全集を読めば、ロマンティックな感情とともに、血みどろの戦いの足跡が伺えよう。激闘の跡をゆっくりと読んでみたい。

 芥川龍之介のボランティア
 芥川龍之介は、奉仕(ボランティア)にも言及している。「善とは何か」を探求していけば、奉仕は具体的な行動となる。過度の奉仕、自己犠牲は、美談として謳われるとともに自らを滅ぼしてしまう。
「極寒の川に溺れている人を助けるのを試みる人がいる。」
とは、羨ましさと危険領域を超えての挑戦である。
 家族や友人ならともかく、コートを着ても寒い日に、ふと見れば、川で溺れている人がいる。そのままだと体が冷えて、心臓が止まる。何とかしなければいけない。見てみぬ振りもできる。しかし正義の味方は、ずるい大人の振る舞いはできない。
「助けようとして、もし自分の方が参ってしまったらどうするか。」
とつかの間ながら、心配がよぎる。
 溺れる者は、わらをも掴む。助けに来てくれた人にしがみつき、消耗させる事例をしばしば耳にする。極端な場合は、助けに来てくれた人が犠牲になり、溺れている人が間一髪、救助される。
 最悪のケースまで想定して、なお且つ赤の他人を助けようと試みるか。そこまで踏み込めば、美談として新聞に載ることになる。救助された人は、一生恩に来て、恵みの人に足を向けて眠れない。
 
 芥川龍之介は、極限まで思考を進める。
「地獄変」では、優れた画家に「わが子が火に包まれた様」を描かせる。本当はわが子を助けに行きたい。しかし絵の発注者は、悲痛に泣き叫ぶ子の様子を描かせる。美がそこにある。新しい美が発見できる。
「戯作三昧」では、老骨に鞭打つ滝沢馬琴が、小説つくりに喜びを見出す様子を敬意をもって描く。あるいは自らの晩年をイメージし、それでも戯作に打ち込む理想を描く。そこまで突き詰めなくとも良かろうにと、一般市民は思う。この突き詰め方が、芥川賞の源流であろう。
「好きなだけ書けばよい。おもしろいものだけを書けば、読者の喜びとなる。」
という楽観的な見方は、確かに正しい。
 しかし条件や環境を突き詰めなければ、人生は描けない。
「今日がこの世のわかれかもしれない」とする「末期の眼」は、晩年にいよいよ盛んとなる。晩年と言っても、まだ三十五歳である。
「末期の眼に映ったこの世は美しい。」
と遺書に述べている。
 美しいならば、もっと生きようとされなかったのか。

「溺れる子供が、末期の眼に映った。」
という設定が、原文の魂であろう。
 奉仕は命がけ、明日はない。助けることがすべてだ。
 芥川龍之介のボランティアは厳しい。厳しすぎる。そこまで詰めなければ、趣味や余裕の施しの「安全地帯」での行為となる。しかし踏み込めば、誰の命、人生となるのか。
「作家も娼婦と同じで、奉仕ばかりだ。」
とも呟く。
 相手が娼婦と話した内容であろう。プライベートをここまで告白する。普通は、内緒話として家族にも友にも秘密にしている。書きすぎて、身をいためる。
 溺れる子は、過ちで川に落ちたのか。あるいは世をはかなんだのか。
 色々と考えていくと、中篇小説が書ける。

 芥川龍之介の労働
芥川龍之介が神経衰弱になるほど、考え創作したからには、労働という面から見ると重労働ならびに長時間労働だったにちがいない。「蜜柑」は短編小説の傑作であるが、シチュエーションとしては、仕事帰りの汽車での光景描写である。つまり時間外で、出逢った娘さんとその兄弟との心温まるやり取りである。娘は都会に働きにゆく。まだ幼く、高校へ行くか、行かぬかの年頃である。家計を助けるため、食べる口を減らすために奉公にやられる。暗いトンネルを抜けると、窓を開ける。
芥川龍之介は、列車の煤を浴びて嫌悪感を覚える。ところが娘さんは、見送りに来てくれた弟や妹に、蜜柑を投げてやる。
「ありがとう。君たちも頑張れよ。」
というメッセージである。
 薄暗い風景に、黄色の蜜柑がぱあっと花のように宙を飛ぶ。

芥川龍之介は、この意外な展開に興奮し、夜、小説を書く。まだ売り出し中の作家ゆえ、昼は教師をしなければいけない。それが主たる収入だが、英語を教えるぐらいの先生はたくさんいる。小説を書ける人は、選ばれ、才能に恵まれ努力する人だ。運もある。
誰かに認められない限り、作品は埋もれる。
 芥川龍之介は、夏目漱石に認められて、鮮烈なデビューを果たす。鮮烈過ぎて、期待を負い、苦しい試行錯誤が続く。
 夜の創作は、恍惚たる三昧になるものの、睡眠時間を削る。今で言う、ダブルインカムではあるが、ゆっくりした時間はない。普通の人が、「さあ、今からゆっくりしよう。」と思う家庭に着いてから、本願の仕事は始まる。
 あるいは英語教師の時間も、題材の探索、思索の時間だとするならば、一日中、神経がピリピリして、針のむしろに立ったり、座ったりするようなものであろう。

 ドストエフスキーの「死人の家の記録」にある
「囚人は、今日Aの穴を掘り、明日、Aを埋める。翌日はB,そして埋める。この作業を繰り返すと、参ってしまう。」
という文章を、芥川はひどく気に入っていた。
 文章というより、事実、そしてマンネリズムの恐ろしさを感じていたのかも」しれない。だから創作に情熱を燃やし、新しい知恵と希望のある世界を築こうと日々、努力した。しかしその目的となると、一般の労働者と変わるものは少ない。有名かどうか、独創性があるか、否かなど、凡人にはうかがい知れぬ「天才の苦悩」である。「蜜柑」一作でも一生で書ければ、十分に幸せだ。
 しかし芥川龍之介は、更に上へ上へと目指した。「蜘蛛の糸」は、善悪の彼岸を描いたものだが、本人の上昇志向の限界と悲しみを表したものとも言えよう。
 もっとゆっくりと、味わいつつ書けなかったものか。走り過ぎた。しかしどこまでも走らなければ、満足できなかった。それがカミソリの芥川を生み出した。
 と同時に長時間労働の疲れと苦しみが、肩にのしかかった。

「マッサージ師が、要るよね。」
と私は冗談に考える。
「もっとリラックスして、肩の力を抜いて書けば、素朴な名文が生まれたろうに。」
と惜しむ声が、聞こえる。
 とことん考え抜き、とことんまで書いた。猛烈日本人の先駆け、典型であるかもしれない。
「そこに古風な感傷詩人を発見して、涙するかもしれない。」
とは、後輩のライバル、小林秀雄の感想である。
 思いを素直に表現すれば、素敵な詩が生まれる。
芥川龍之介は、それだけに満足せず、極限を目指し、人間を探求した。モーレツ作家の醍醐味、真骨頂である。後輩の我々は、どこまでついて走って行けるか。



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