ドストエフスキー


 ドストエフスキーは「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」を書きながら、「作家の日記」を綴る。「作家」とわざわざ冠するのは、人様に見てほしい、読んでほしい作品だからだ。思いや考えは、「罪と罰」に集中し、結晶化している。しかし社会や政治、時代や民族に対する、その日、その日の思いは、なかなか「罪と罰」には、転化しにくいからだ。
「罪と罰」には、独自の登場人物や筋書きがあり、現実の事象を上乗せするのは困難だ。従って「作家の日記」のような、思いを純粋化し、芸術化したジャンルがほしくなる。
 「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」と「作家の日記」は、互いに影響しあい、根底では、地下水のようにつながっている。同じ作者であり、洋服と和服姿の違いだけで、顔は一緒だ。ドストエフスキーを研究し、深く知ろうと思うならば、両方の作品を読むのが、効率的だし、おもしろい。硬軟のスタイルが、一つに溶け込む。

 環境
 学生時代は、パスカルの「パンセ」をよく読んだ。物事を深く、愛情を持って考える哲学者では、古今東西で五本の指に入る。人間の考察と物理学や数学の両方に、優れているからだ。いわば文理のいずれにも才能を発揮し、文理の考察の上に「パンセ」は、成り立っている。
 しかし私は社会人として勤め始めると、ラ・ロシュフーコーの「箴言」の方がおもしろくなった。ラ・ロシュフーコーは、貴族であるが、社会人として色々な人と接触する姿、感想、人物スケッチを「箴言」に短文で表現している。三行から長くて五行ぐらいで、いわば日記であり、その日によってはたくさん書けば、メモに当たるのかもしれない。
 ラ・ロシュフーコーは、貴族で教養と知識が豊富だ。それでいて政治や交渉、恋など、諸々の接触において、自らが記者ならびに批評家となる。それは誰でも、心の一面ではそうであろうが、ラ・ロシュフーコーの場合は、理性ばかりか、感情が強く表現され、時には欲望むき出しのすさまじい文章となる。ペンを走らせながら、心臓がドクドクと脈打ち、「負けてはならじ」とばかりに、闘争心旺盛な、スポーティな貴族が現れる。夜だって、一人になっても恋心や闘争心、名誉や恥じらいの気持ちは、赤々と燃える。
 これらの様が、サラリーマンをしている私には、近似に感じられれ、次々に読んでしまう。そして三年後に読み直せば、新たな章で「そのとおり」「そうでしょうね」とうなずかせる教訓と痛い思いを知らされる。
 パスカルは、宇宙の構造や数学の原理について美しく整理しながら語ってくれる。これらの壮大な世界を紹介されると、静かな落ち着きと慰めを得られる。しかしバタバタとあくせく働いている間は、ラ・ロシュフーコーの方が親しみやすい。
 パスカルの「パンセ」はゆっくり時間ができてから、縦横、斜めと道筋を変えながら読んでみたい。

 葛飾北斎U
 葛飾北斎は、江戸時代の浮世絵画家と言われる。先日、北斎の展覧会に行き、作品の質、量ともの膨大さに驚いた。北斎は九十歳まで現役の画家として生きた。波乱万丈の生涯以上に、作品も変化に富んでいる。ただ変化と言うより、創意工夫、今の自分にどのような画法と対象が最適化ということを必死で考え、全身全霊を傾けての変化を自ら楽しみ苦しんだ。
 北斎は画家として出発し、版画家として大成した。歌舞伎役者や花魁の肖像画を描いて才能が認めらた。歌舞伎興行の宣伝に、いちいち絵を描いていては間に合わない。多くのファンに観てもらい、少しでも舞台に足を運んでもらうには、多量に印刷ができる方法が求められる。
 肖像画では、初めは役者の顔や姿をリアルに描いたであろう。そもそも葛飾北斎の生涯は、詳しくは伝わっておらず、絵や書状を通しての情報をつなぎ合わせたものでしかない。北斎は絵がすべてであり、日記や口上により自分の人となりを後世に伝えようとしたとは思われない。そもそも後世の評価や名誉より、今を生きる、今、目の前にある対象を絵としてみんなに観てほしいという情熱で、描き続けた。
 歌舞伎役者や花魁の肖像画を描いているうちに、より強烈に表現、PRしようという思いと興行主たちからの要請で、ゴッホやゴーギャンたちが尊敬してやまない印象的な手法を確立させた。対象相手の寸法や色彩を自由自在にデフォルメし、印象を際立たせる。 
 この手法は、人物から風景へと転化し、「富岳百景」という世界に冠たる名作を生み出した。富士山というお客様をいかに強烈かつ高品質に表現するか。きっと宿場町からの要請で、宿の主たちは「本当に多くのお客様に泊まりにきてほしい。」と願った。商売であり、北斎にペイを弾んだであろう。北斎は必ず現地を訪ね、最も印象的な風景をたった一つ選び、鑿を動かした。最も印象的になるのは、富士山であり、宿場周辺の光景である。
 版画は、数多く印刷され、全国にばらまかれ、旅客誘致に大いに寄与した。よく似た画法で版画は、生産され、全国各地に貼られた。今で言うポスターだ。DVDのように画面が動かない分、風景の要素をすべて一枚の絵に盛り込もうと試みた。もちろん印象的な要素であるが、動きを伴い、動きを重視したから、絵は強烈な色彩と形を放つ。
 ゴッホやゴーギャンが、北斎や広重の絵を描き写し、自分の画法に懸命に取り入れようとした。心から北斎や広重の生きた日本に行きたかったと言われる。現在のように交通機関が発達していれば、アルルやタヒチとともに憧れの日本を訪れていたであろう。それほど北斎の版画には、美の宝が満ち溢れており、苦心惨憺、切磋琢磨して研究しただけに、新しい画法や考え方、即ち生き方に満ち溢れている。観る人が観ればわかる。模写すれば、もっとわかる。
 北斎は六十歳ぐらいで、版画の画法をほぼ完成させた後、もう一度普通の絵に戻る。この辺りの心境がわかるとおもしろい。あいにく情報不足で想像するしかない。想像する楽しみを絵とともに贈ってもらったと考えたい。
 北斎は画号を卍としている。住所も画号もよく変えた画家だ。あるいは何人かの画家集団が集まって、北斎と名乗っていたのかもしれない。収入も相当あっただろうと推察されるが、生涯貧しかったと言われる。何に使ったのかしら。誰に貢いだ。旅先で派手に使った。あるいは弟子たちの生活資金に贈ったのかもしれない。
 晩年の絵は、まじめで自分自身のために描いた。人生を見つめ、お金のためでなく好きなものを好きなように描いた。自画像ばかりでなくお化けや動物まで、対象は様々だ。もう残りは少ないと思えば、いずれもいとおおしくせつなく、またおもしろかったであろう。写実の作品も多いが、どこか変形し、高度なデフォルメをさりげなく描き入れている。本当は晩年こそ傑作の宝庫であろう。そしてゴッホの自画像によく似た作品もある。もちろんゴッホは、この作品を見ていないし、海外に流出したものは浮世絵が多い。ただ浮世絵を元に勉学に励んだゴッホと、商売を止めて自由自在に楽しんだ北斎の絵が、似ているのも興味深い。それぞれが孤独な道を行くだけ行ってみると、峠や頂きでまたバッタリ会ったという感じである。
 北斎は努力の人である。一歩も止まらず、過去もしみじみとは振り返らない。前に行く。手法も対象も様々で、生涯も波乱万丈ながら、一本の道を歩く。このまじめさが富士や役者の輝きとなり、平成の今日も観客を魅了する。まるで今もなお世界を闊歩しているようだ。

 スケジュール
 私はある上品な婦人と「北斎展」を観た。土曜日でお客様が多く、長く観るのはしんどいだけに、足早に観て廻られた。その前は「青木繁展」もご一緒したから、その印象を聞いた。
「どちらも素晴らしいね。北斎の方がスケジュールがすごいね。」
と印象を語った。
 混雑していた場だったから、私が聞き間違いだったかもしれない。スケールと言われたのかもしれない。しかし九十歳まで現役で描き続けた北斎と、夭折の青木繁では、将来への展望、即ち人生設計のスケジュールが違っていたのかもしれない。青木は病弱で、画壇からの評価も、後年は芳しくなく、大御所とぶつかり、翻っておもねるような作品も描いている。
 北斎は「富岳三十六景」などで評価を確立し、磐石の基盤を築く。もはやおもねる必要はなく、クライアントやパトロン(いなかったかもしれない)の求めに応じて、惚れ惚れするような絵を描いてみせた。
 しかし本当に自分がじっくり描きたいものは、ずっと考え、実現した。人生のスケジュールを持っており、大事に育てていた。
「北斎の方が、スケジュールがすごいね。」という言葉は的を得ている。
 帰りのバスで車窓を眺めながら、じんわりと言葉に感動した。

 黄昏の犬
 帰宅の七時半はまだ明るい。坂を上る途中で、犬に出くわした。かなりの年齢で、あっちうろうろ、こっちうろうろという感じだ。私は知らぬ振りをしていようとしていたら、向こうもしばらく見詰めた上で、カッポ、カッポと降りて行った。
 私は夕食を済ませ、散歩に出た。十六年間飼っていた愛犬が、昨年末になくなり、ぽっかりと穴があいた。もう次はいいと思ったが、寂しさにたえかねてトイプードルを飼った。元気な動きに、いつしか辛い別れを忘れていた。その新犬を連れて外に出る。
 男性があっちこっちを探し回っている。
「中型の犬を見かけませんでしたか。ちょっと隙を見せた間に、逃げてしまったのです。」
と泣きそうな顔だ。
 私は一時間前の事を話そうかとも考えたが、却って絶望を深めることになりかねない。
「遠くで、犬がうろうろするのを見たような気がします。」
「ああ、ありがとう。」
と男性は小走りに坂を下りていった。
 私はいつものコースを散歩していると、今度は女性が懐中電灯をつけながら
「犬を見かけませんでしたか。十年間大事に飼ってきたのに、飛び出してしもうてね。」
と悔いるように話しかけた。
 ご夫婦は何人かの子供を育てられ、独立し、今は犬しかいない。その愛犬を手塩にかけて可愛がっているのに、逃げ出してしまった。いじめた覚えはないのに。
 振り乱した髪が、心を伝える。
 女性はここで長話をしても仕方ない。少しでも探さねばと去った。
 犬の名を呼ぶ声が、いつまでも続く。

 三日経った。気の毒にと思いながら、どうすることもできない。
 私は夕食後、ルーティンワークの散歩に出た。上弦の月が空にある。目を落とすと、ずっと向こうの道に、男女が犬を連れて歩いていた。中型犬の様子で、あの夫婦だとわかった。あの夫婦であってほしかった。
 犬は紐でつながれているものの、ゆっくりした調子で歩いている。その一本の紐を、二人で握って離さない。みんなで一心同体だ。
 犬は戻って来たのだ。きっと玄関前にご馳走を用意して、徹夜で待っていたのだろう。
「お前、どこへ行っていたのかい。」
「僕だって、行きたい所があったんだい。」
 会話が聞こえて来るようだ。



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