くじけないで

 タイトルを飾る「くじけないで」の詩は、素敵だ。気持ちを綴った後、1行空けて、「くじけないで」が出てくる。満を持しての言葉で、この一言だけでも、心に来る。しかし前段があればこそ、半生を語ってからの言葉は胸に迫る。やさしく、さりげない言い回しだが、「くじけないで」が実践でできれば、本物で立ち直り歩き進める。この詩が、詩集の真ん中あたりに位置するのが、編集者の心憎いところだ。

 わが子を歌った詩が優しい。いつもよくしてくれる。感謝でいっぱいだ。
そして「息子は優しく、短気だ。」とさりげなく述べている。
 
正月に六十二歳の息子さんから背中を洗ってもらいながら、「年の初めに」を口ずさむ。人生の大経験者、修行者にして少女の心だ。

いやな言葉を話したと、後で反省する時は、心の中で消しゴムを取り出して相手の心まで運び、「ごめんなさいね。」と謝りつつ、吐いてしまった言葉を消すという。
それが「心の消しゴムで消せる」と表現するところが、柴田さんの素晴らさで、長年の経験で可能にし、実践してこられた。心で言葉を推敲し、磨いてこられた。最高水準に達した時、詩は自然に生まれ、歌となる。

鋭い観察眼だ。年齢を重ねるにつれ、眼光はますます鋭く、やさしくなられている。まさに「眼光紙背に徹す」の境地だ。磨きに磨いてというような必死の努力ではなく、水が次第に澄みきってきたという感じだ。欲望が薄れるとか、抑えるのではなく、欲望も一つの大事な感情、生きていくためのエキスと認めつつ、水彩画のような美しい輝きと形に昇華している。人間国宝だ。生きている天才としての人間国宝。いや今から何でもできる可能性を秘めた万能人間のようにさえウ伺われる。
 ポール・バレリーが、「詩人は鳥の羽のように軽やかに」と提唱したように、柴田
トメさんは、美しく軽やかに、格好よく詩を綴る。

 夫と息子と三人で歩いた道のことが歌われている。仲良く歩いた道や駅は、今も元気かしら。おもしろい表現だ。駅が元気とは、多くの乗降客でにぎわっているかしら。もう一度、行ってみたいなという希望でもある。
 夫と息子はよく喧嘩したらしい。柴田さんはえらく気に病んでいたし、どちらにつくこともできない。数十編の詩にそのことがよく出てくるから、余程気にしていたのであろう。そして仲良くみんなで歩きたいな。現実では難しくとも、詩ではできる。夢があるから、詩が書ける。
 柴田さんの年を聞いてびっくりする。詩情は少女のままだからだ。ますます少女に戻っているように思われる。百歳が近いとは、文芸を志す私にとって、奇跡に近い。

 ほんの日常性を描く。そこには人生の大事なものがすべて入っている。少なくとも経験された大切なものが、短くも美しい詩となって再現される。柴田さんが現実に活動される範囲は、きっと狭いのだろうが、心の中は世界旅行ができ、でっかいガリバーのような気分だろう。夢があり、恋もあると告げられる。
 
詩は、息子さんとの共同作業であり、楽しく懐かしい会話が営まれているはずだ。イマジネーションだけでなく、こつこつした会話があることが素晴らしい。
 あとがきによれば、息子さんは文芸に志し、才能を発揮されておられる。柴田さんご自身は、80歳を過ぎた頃から詩作を始められた。もともと読書や歌などは、御好きだった。本格的に始められたのが、いわゆる晩年である。若々しい晩年である。
 柴田さんが原稿を書き、1週間たまったところへ息子さんが現れる。土曜日は、母親のお世話で、いわゆる介護である。
詩が待っている。そのままで発表しても良いのだが、息子さんに確かめる。
「これで良いかしら。」
「どんな思いでそう書いたの?」
という繰り返しの後、息子の赤いペンが入る。添削である。母も負けてはいない。
「それならこう表現した方がおもしろいでしょう。」
 こうして親子共同作業の詩が生まれる。
 短い詩の中で、驚くほどの飛躍があるのは、活発な議論と思い出の振り返りと愛がある。感謝を込め、未来への夢を託し、詩が完成に向かう。詩の世界は広く、豊で、何より時間の幅が長い。それだけ苦楽をともにしながら生きてこられた証である。我々読者は、この広く豊かな世界をまるで自分のことのように味わえる。生きる基本が楽天的なゆえ、読者も幸せのおすそ分けをいただける。奇跡的なベストセラーは、生きる喜び、痛いほどの苦しみ、怒り、切ない悲しみ、鳥のように軽やかな楽しみがちりばめられているからだ。
それはほんのささやかなものの積み重ねに思われるので、「私たちにもできる。味わいたいものだ。」と読者が吸い込まれるように自然に感じてしまう。

 詩集の巻頭言に、産経新聞編集者の思いが綴られている。編集者こそ、柴田さんの詩才の発掘者であり、投稿を待ちわびる愛読者でもある。柴田さんは九十歳から本格的に詩つくりを始めたとあるが、もし編集者がいなければ、柴田さんの美しく強い詩は、世に出ていなかったかもしれない。
 偶然は必然。別の誰かが見つけて、今のような150万部を超えるベストセラーになっているだろう。
 編集者の巻頭言は、やさしく敬意に満ちている。この編集者こそ詩才あふれ、将来は第二の柴田さんになるかもしれない。
「くじけないで」は、柴田さんと眼光鋭い編集者によるデュエットでもある。読者は美しい調べにうっとりと酔いしれ、元気をもらう。

白楽天
 白楽天の「絹の詩」は、どこで書いたのかしら。宮中で美人とちょくちょく会っている時のことか、それとも地方で官吏として活躍している時のことか。
 当日の思いを詩にするのが、本道であろうが、遠い日の思いや来るべき希望の日の思いを詩に託するのも、詩人のなせる業、お家芸とも言える。時を行ったり来たりしつつ、既にザット書いた初稿の詩を推敲していく。白楽天の幅の広さと豊かさは、時を超え、時を飛ぶことで可能となる。

 美しい姉妹の末路が、青い柳の揺れる様に託す。悲しい末路だが、腰をユラユラと春風に柳のように揺れる様子は美しく艶かしい。どんな辛辣な詩にも、美しい一行を必ず添える。ゆえに紫式部や清少納言が、白楽天の詩集を愛し、諳んじていたのも頷ける。うっとりとした音楽の調べが、響き、心を和ませる。辛口の九行と、甘い調べの一行が、対比し、調和し、甘辛のメロディーを奏でる。
 この一行探しのおもしろさに、長い詩を読むのも短く、スリリングに思える。


戦略
戦略は、哲学、理念に近いレベルまで、大きな包括的な表現が望ましい。しかし戦略を組み立てるには、具体的な戦術レベルにまで考察を深める必要がある。従って時間がかかるし、構築のためには情熱と集中力が大事になる。それゆえに高度な戦略は、値打ちがある。

人情
 会社をリタイアした人は、土日になると元気になるそうだ。社会をリタイアではない。しかし心情的には会社も社会もいっしょになりやすい。元気な人は、暇を活用して好きなことをどんどんできる。しかし暇をもてあまし始めると、街にも足が遠のき、家の周り、ついには自分の部屋に閉じこもりがちになる。
 しかし土日は、みんなと同じく胸を張って街を闊歩できる。静か過ぎる日々から解放され、街に飛び出し、人や物のウィンドウ・ショッピングができる。現役時代の服装を着なおし、心もタイムスリップして若者気分だ。早く土日が来い。
 曜日を発明した人は、素晴らしい。12の月を発案した人と同じく、人類に喜びと楽しみのメリハリをつけることに成功した。長い一本調子の時と付き合うのも、土日は解き放たれる。自由の日々、街に山海に繰り出し、リフレッシュしよう。
 私は現役だが、リタイア組の心情を聞き、将来に希望を感じた。そもそもリタイアというからには、「どこどこからの」リタイアという意味がある。そこに拘り、未練とともに若干の現役魂、先輩面が宿っている。当然の心情ならば、胸の内で肯定し、街や海、山に繰り出そうではないか。

 付加価値 
 宝くじのおばちゃんは、小さな箱に一日いて、券の販売に精を出す。おばちゃんに年を聞いたら、私と同じで親近感が出る。年と言っても具体的には失礼になるから、干支でそれとなく尋ねたら、私と同じだったが、答えは言わなかった。宝くじは、必ずそこで買う、そこしか買わないという行動で示した。
 この年より若く見える女性は、必ず一言かける。
「御元気でしたか。」 ブランクが空いた時だ。
「御元気そうですね。」 頻繁に買う時だ。
 お客さまの気持ちをよく知っている。いつ誰が来たのかを、メモなど取らずとも覚えているのだろう。 
「私も頑張って働きますので、お客さまももうしばらく頑張ってくださいよ。家に居てどうしましか。」 
この販売員の方こそ私の年齢を正確に知っているのだろう。
 そしていろいろと考えている時は、顔に出るのだろう。
百人一首の「忍ぶれど 色に出でけり わが恋の ものや思うと 人の言うなり」
と同じように、放っておいても心は顔に出る。
 そんな時、根性を秘めた同期生は、私の表情から察して「もうしばらく」と檄を飛ばす。励ましの一言は、百金に価し、うつむきがちな心に勇気を与えてくれる。
 宝くじはこの一年、ずっと、ずっと当たらないままだが、一言を聞きたくて、財布の紐を緩めてしまう。

 誘われて
 コレクションが高じて、仕事の一つに、カタログ写真集から写真の販売を行っている。お客さまと打合せの上、三日後に写真が出来上がった。電話すると、さっそくお客さまは飛んで来られたのだが、受付横の応接室ではなく、同じビル内の喫茶店で会おうということになった。
 お客さまは開業医で写真の収集家と聞いていたが、向かってみれば、既にコーヒーを美味そうに飲んでおられた。
 リクエストの写真を渡すと、とても喜ばれた。
「君もコーヒーを飲むか。」と言われる。
 仕事中でもあり、躊躇したが、注文する。てっきり奢ってくれるものと思っていただけに財布を開く時は、詰まらぬ気がした。
「僕はね。スケッチが好きなんだ。六十歳から独学で始めたのだが、喫茶店に行くと必ずウェイトレスさんをスケッチするんだ。できるだけ素敵に、年よりも若々しく描くように心がけ、必ず本人からサインを貰うようにしている。
 よく描いてもらったと誉めてくれるんだ。本人の良いところをさりげなくピックアップしているから、本人も嬉しいはずだ。スケッチブックはいつも持ち歩き、もう十冊を越えた。スケッチをしたくて、一日に二軒も三軒も喫茶店に入ることもある。セルフサービスの安い喫茶店だって、魅力あふれる美人は多いんだよ。」
と笑顔が可愛い。
 絵は写真の蒐集にも通じるところがあるのだろう。
 私は百万ドルの微笑と秘密の十八番のご披露に嬉しくなり、コーヒーが一段と美味しくなった。




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