ムソログスキー


 ムソログスキーは、聞きしに勝る天才音楽家である。
 4月24日、N響の「展覧会の絵」を聴き、荘厳で時には軽やかで、愉快なメロディーを交える名曲に感動した。本人はピアノ曲として作曲したが、フランスのラベルが編曲し、管弦楽の名曲として世界に知られるようになった。主たるメロディーは、ムソログスキーのものだが、その素晴らしさをリニューアルし、世に広めたラベルも偉い。
 ラベルは晩年、神経を病み、半身不随に近い状態に陥りながらも、「ボレロ」を作曲した。「ボレロ」は、同じメロディーを繰り返し、管弦楽のそれぞれの楽器の特性と美しさを際立たせる名曲である。もしラベルが若くして元気なら、メロディーは変化してしまい、世界中で愛される「ボレロ」は、生まれていなかっただろう。主旋律は、ラベルの心にずっと鳴り響き、この美しい響きをみんなに聴かせようと楽譜に綴った。
病気についての知らせは人事ならず、同病相哀れむ以上に音楽才能に対する敬愛と、埋もれた傑作を何とか世に出したいという思いが、ラベル自身の才能を全開させた。ラベルは編曲の過程で、ムソログスキーの分身になった。なりきらなければ、本当の意味での編曲はできない。
「はげ山の一夜」は、ムソログスキーが早く時期から作曲し、何度も練り直した思い入れの強い曲である。この物語は、夏至の夜、悪魔と魔女たちが大勢集まり、一夜の大宴会を開いたというストーリーで、ムソログスキーはお気に入りとなる。友人による編曲は朝を迎える場面まで発展させている。この中心メロディー(モティーフ)は、圧倒的かつ象徴的に美しく、ディズニーの映画やマイケル・ジャクソンの音楽にも取り入れられ、人気のメロディーである。もはやクラシックやポピュラーの枠を超え、ときめき溢れる素敵な曲だ。N響の熱演に、素人の私もぞくぞくするような感動を覚え、しばらく寝付けなかった。
 ムソログスキーはこのモチーフを長らくまるで恋人のように暖め愛し続けた。その素敵な様は、ロシア五人組のみんなもよく知っていたし、突然の死は曲を何とか世に出したい。ロシアへの愛国心、いや人類全体の愛を音楽にしたいという思いを、仲間たちは、実現しようと心血を注ぎ、編曲と言う名の共同作品を完成させた。
「展覧会の絵」は、ムソログスキーもピアノ曲として完成させており、編曲と並び立つ。「はげ山の一夜」は、まさしくシューベルトと同じく「未完成」で、友人の献身的な努力がなければ、埋もれたままの紙切れになっていただろう。あるいは多くの楽譜の中でとりわけ、秀逸であり、芸術家魂をくすぐるメロディーと構想に溢れていたにちがいない。
 ムソログスキーが、42歳でなくなる直前の肖像画は有名である。どこか二日酔い気味で、それでも厳かで頑強に立つ音楽家は、画家の創作意欲をかき立てる。まして仲間の展覧会を、音楽作品にしてくれた恩人のためなら、命を尽くして描こうではないか。
 マリンの指揮によるN響の演奏は、ハーモニーを重視して美しかった。ロマンに流れないように抑え気味なのが、却って印象を濃いものにした。マリンは演奏終了後、観客と同時に楽員に対してお辞儀をした。指揮棒を手に取り頭を下げる様は、托鉢の僧が、御礼を述べる様に似ている。それはムソログスキーへの敬愛と感謝、さらには鎮魂、レクイエムへの表現のようにも見えた。

 マリンさんに尋ねれば、心情を教えてくれるだろう。しかし音楽家の心は、音楽で聴くのが一番だと思う。

論理
 論理的な思考が、好きで得意な人がいる。常識や周りの意見や考え方に囚われず、自分で考えを論理的に考え、組み立て良い仕事をしてきた。強みが生かされ、上からの評価は高い。周りを気にしないから、付き合いは重視しないし、周りからもそれほど誘われなくなる。
 ある時点から下り坂に入り、孤立した。論理的に原因を考え、立て直そうとする。論理への自信過剰と実践が、主な理由だと認めたくない。論理であくまで盛り返そうと図る。肩に力が入り、寂しそうだ。
 そっと声をかけ、「ゆっくりしろよ」と言いたいところだ。
 人間は論理と感情から成る。心と体がその基礎だ。感情と論理が、普通の重要度から考えての順列である。論理で賢さを誇るのも良い。ピンチになったら、目線を下げ、地べたに座り込んで世の中をゆっくり見るのもおもしろい。自分の過去、現在、そして厳しそうな未来に思いを馳せるのも良い。
 ちっぽけな自分、お世話になってきた自分、だからもっと頑張れる自分がゆっくりと見えて来る。腰がすわり、背筋が伸びてきてから、得意の強力な論理で再構築してみよう。
 君ならできることがある。君しかできないことがある。

 同情
 カラオケの先生で、独学ながらプロ級の喉を持つ女性がいる。毎日の練習を十年以上、繰り返し、試しに公民館で教えたところ好評で、生徒が増えた。生徒さんには、自分の努力の歩みを、振り返るように励まし誉める。過度な誉め方は慎み、的確に誉め、向上へとつなぐ。生徒たちは喉自慢の晴れ舞台で、「上手ですね。」「うまくなったね。」と誉められ、くちコミで生徒は増える。
 しかし先生は、ある不幸に出逢い、それも遠く離れた地での大きな不幸を聞くにつけ、次第に体調を壊し、歌えなくなってきた。熱心な生徒の手前、背筋を伸ばすが、歌うと涙が出て仕方ない。
 感受性が豊かで、繊細さが過剰に反応して、心が不幸な人たち以上に落ち込んでしまう。
何とか立ち直ってほしい。それは生徒ばかりか、ご家族の切なる願いでもある。私も先生に随分とお世話になっているので、再起を陰ながら祈っている。

善人
人は善人でありたい、善を行い、振る舞いたいという欲求がある。
と自信を持っていたい。

 太陽がいっぱいの季節になる。

 
 柳田国男 
 柳田国男は現場を大事にする。そこに行き、自分の目で見て感じたことを文章にする。「遠野物語」は、自分が遠野に行った際の体験記であり、「心の旅路」である。決して空想で書いたものではない。
 家族制度を考えるのに、自分から婿養子になり、その苦しい思いと喜び、ありがたさなどを綴る。フィールドを大事にする。アカデミックな教養ももちろん人一倍、豊富にあるが、それ以上に現場第一、大地に根ざした骨太の論文を構築する。研究者は、つい大都会に住み、その道の権威者たちにすがろうと試みる。よく思われたくて、つい媚びて合わせにかかる。フィールドから外れ、空想と言う名の自画自賛
の世界に溺れ、何とか格好良く泳ごうとする。人生をだ。
 柳田国男は、背筋を伸ばし、風を感じながら現地に赴く。愛があるから、研究が進む。筆が進み、世界が広がる。
 明治の先駆者が、今なお新しく、きれが良いのは、現地に立ち続ける愛と根性である。見習いたい。
 
 志賀直哉の三作
 志賀直哉の作品は年に数回、繰り返して読む。スランプの時が多い。
「城の崎にて」は、志賀直哉が散策中に、木の葉がヒラヒラ舞うというところが、ポイントだ。生きる源を発見する。
 ほんの弾みのつもりが、石を投げて殺してしまったやもりと一緒にいる。生き物の死と一緒にじっといるのがすごい。生と死がいっしょにある。
 志賀直哉は、三週間の滞在予定で、ちょうど三週間、城崎の宿にいた。石で、人間にやられてしまったやもりの死。蜂は、もう既に静になって眠っている。鼠は、小川で鉄の串を刺された上に、多くの人から石を投げられ必死で地表に上がろうとする。末期を見きらずに、その場を立ち去る。三様の死を見つめる。
 三週間は「読んだり書いたりした」とあるが、「読み」を先にするのは、志賀直哉では珍しい。ほとんどの場合は、思い、考え、書くのが知的作業の根幹で、滅多に読書はしない。交通事故というピンチに立たされ、先人たちの本にも救いを求めたのであろうか。
 
「小僧の神様」では、善と悪、偽善について書いている。
上から見下ろした善。施しをしてやっているという感じは、憐れみに近い。
普通の善行を、神経質に苛むように疑い進めるところがすごい。
 人間の平等とは、神様はいるのかしらと思う。

「痴情」は、妻からの訴えを手紙に託して表現している。主人公は、手紙に対し応答せず、感じ入り、芸者との縁を切り、実家の東京から妻のいる大阪へ帰る。
 芸者遊びは、戦前は道楽として認められているのだろうか。
 時代の相違、不思議さを思う。今はコソコソ、裏で不倫をする。
 道楽なら恋になる。その恋心を妻は許さない。遊びだから良いだろう。
 私にはこれらの前提が理解しにくいが、自らタブーに挑み、真剣に疑うところが、白樺派志賀直哉である。
 痴情は悪とみなしつつ、現に内なる情と認め、そこから考える。アナーキーな小説である。一々、細かく小説にしていたら、危うく、身が持たぬ気がする。いっぱいいっぱいに、考えと思いを詰めた感じだ。
 ところで志賀直哉も人の子であり、男である。小説では、真善美を求めてやまないが、一言だけ本音、それも男性の本音に触れる。この一言を書かなければ、小説全体が虚飾に満ちるとさえ思われるように、女性についての思いを語る。
「女には彼の妻では疾の昔失われた新鮮な果物の味があった。それから子供の息き
と同じ匂いのする息吹きがあった。北国の海で捕れる蟹の鋏の中の肉があった。」 
と具体的に綴る「痴情」は、どこまでも官能的である。
 短編小説はじっくりと時間をかけて読みたい。



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