パスカルの「パンセ」


「パンセ」
 パスカルの思索は、スケールが大きく、内容が豊かだ。天国と地獄が、文の中に刻まれ、読者を魅了する。
 しかし難しく、読者の層も人数も限られていた。いわば奥の院の書で、凡人には近寄りがたく、役に立ちそうもない難解なメモ集であった。ところが20世紀に入り、同じフランス人がメモを項目別に並び直した。もともと項目などあってなきがごとき状態で、項目を考えること自体が、そのフランス人の功績でありオリジナリティである。パスカルへの敬愛の産物であろう。「世間」「賭け」「宗教」と項目にわけて、分類を重ねた。
 パスカル自身が、宗教のことを考えたその晩に、ギャンブルの賭けについて思いを馳せたであろうし、ギャンブルを薬物中毒のように楽しむ世間の人たちの動向についてイマジネーションを働かせた。パスカル自身もはかなく弱い、世間の人の一人であるし、誰よりもその事実を知り、肝に銘じていた。哲学者などとお高くとまるつもりはなかったし、単に哲学者ぶることを戒めていた。
 オネットム(普遍人)になる
 パスカルの意志であり、願望であった。決して短い人生の小さな世界に留まることは望まなかった。そして短く限られた世界でしか生きられぬことも知っている。「パンセ」は、パスカルの願いであり、思索・闘争メモの集積である。推敲しては消し加えた記録である。「アイガー北壁」に挑まんとする登山家の心意気と危険の察知、究めた時の喜びがある。原文をそのまま読むのが最もおもしろかろう。
 20世紀のパスカルの弟子が、わかりやすく並べ替え編集した。これで「パンセ」は一気に世界のベスタセラーとして今日まで読み継がれている。
 冒頭に「論理思考と感覚による把握」の文章がある。パスカルの思索における金字塔の一つであろう。論理から感覚へ、あるいは感覚から論理への捉え方は、パスカルが正式に体系づけたものであり、思索を深める大切な方法である。20世紀の弟子は、この金言を掘り当て冒頭に輝かした。要約はわかりやすく、読者への誘いとなる。実践するのは難しく、両刀使いは簡単に答えを出すことを許さない。しかし両刀を持つことで、より遠くの真実へと進める。
「もしもクレオパトラの鼻が低かったら、世界の歴史は一変していただろう。」
を冒頭にしても良かった。
 しかし奇異を狙うことは、パスカルの本意ではないのは、弟子がよく知っていた。思索の道うぃお案内してから、おもむろに提示する方が親切だし、効果的だ。宝は中に秘めておく。「パンセ」の断章は、思索の道を歩み確かめた道標であり、折々の金字塔である。順番はどちらでも良かった。あるいはもう一度、並べなおすこともできる。
 わかりやすく並べて、パスカルがポピュラーになるとともに内容は一段と難しくなる。それはオネットム(普遍人)として善く生きることの難しさであり、楽しさ、おもしろさでもある。20世紀の弟子は埋もれかけた入口を建て直し、明るくモダンにPRしようと心がけた。並べ方の正解など、どこにもない。
「デカルトとパスカルのいずれの天才を先に読めば良いか」に答えがないようなものだ。
仕組めるかだ。
 もしもパスカルがいなければ、哲学の歴史は変わっていただろう。
 詰まらぬ仮説を吐く前に、こつこつと読み進めていきたい。

プロ
 「安全、安心」の講演、講座にかけては、地域で第一人者の方がいる。電車、バスの運輸現場で長年、働いてきた実績と叡智が、説得力となる。大学のアカデミックな雰囲気の中で、研究してきた先生とは、現場のキャリアが違う。自ら路面電車の運転もしたし、管理監督者としての経験も積んだ。もっとも経験だけなら、古今東西、立派に安全運転に勤めた方は、たくさんおられる。
 Kさんは、安全運転、管理とともに、日々の行動、問題点、改善策をこまめに日記につづった。自らの経験だけでなく、他人や仲間の良いところ、悪いところをメモし、思索し、行動に移した。そして想像力を働かせることで、他の分野、例えば食品や住宅についての「安全、安心、そして快適」について思いを巡らせ、本質を見抜き、ものにすることで普遍的なものをつかみ、語るようになった。
「私は学校に行っていませんので」
は、Kさんの口癖である。
「行きたかったけど、行けなかった」の意味であるが、行けなかったけど自分で勉強しましたという心意気でもある。電車の運転士では、多くの大学生や高校生もお客さまとしてお乗せした。雨にも負けず、風にも負けずである。
「教える体系にするのは大変でしたでしょう。」
と私は尋ねた。
「メモをつなぎ合わせて原稿にしました。その日の受講生の年齢や職歴に応じて、様々なメモを組み合わせて話すのは、おもしろいですよ。」
と笑顔で語る。
 打てば響くではないが、貴重な時間を有料で聴きにきておられるお客さまが、何か成果、心のみやげを持って帰れるように心に響くような話を組み立て展開する。これもご自身の辛酸をなめた経験と反転して培った知恵を商品としてプレゼントしようとするプロ魂の現われだ。資料はパワーポンターかオーバーヘッドプロジェクターで示して、決して印字しない。受講者は資料を見て、「なあんだ、こんなものか」と講義の前に決め付けてしまうし、挙句の果てはいねむりをすることになる。
 内容に感動すれば、資料が欲しいと請い求めるし、次の開催へとつながる。
 Kさんは、講師としての名刺を持たないし、PRのカタログも1枚として作らない。やれば簡単にできようが、くちコミこそ大事というよりその日その時の講義にかける「一期一会」の精神を貫く。
「学校で勉強できれば良かった。」とは悔やまない。
「たら、れば、ばかりを言っていては、強くなれない。」
とはプロ棋士ではない。
 一期一会、一度しかない講義は、次のリクエストにつながる。
「行動心理学については本当に勉強しましたね。自分の行動や考え方が、どの位置にあるかは、行動科学で判断できます。心理学では範囲が広すぎて、あいまいです。」
と秘術をこっそり語る。
 現場体験を科学的に分析、総合するには、「行動」と限定した心理学が、必要だし、この領域にかけては、抜群の強みを発揮する。一般に現場経験か学問かのいずれかだけが得意ということになり、Kさんのように双方に秀でるとは鬼に金棒である。
「絵空事ばかりだよ。」
とは自嘲でなく、双方あいまったポイント、領域を熟知し、叡智を深める現在の心模様を語っている。
 こちらからの投げかけや聞き込みにも、得意の行動心理学で対応されるのか。
 それにしても笑顔が優しく、純情なのは、人間への愛、「人間大好き」の気持ちが根底にあるからだろう。深く暗い鉱山で、宝の山を見つけ、更に安全、安心で掘り続けておられる。
 心の糧が豊か過ぎるなら、おすそわけが欲しい。もちろん内緒である。私がそんな魂胆を漏らさずとも、感ずかれでもしたら、二度と秘術は教えてくださらないだろう。
「私は負けたくなかった。いつか勝ってみせると心に言い聞かせて頑張ってきました。」
 きっと根底にある行動心理学についても、現場仲間の誰よりも学び、探求していかれたであろう。また権威ある著名な学者たちより、現場で苦労を知り、喜怒哀楽をともにしてきただけに、深く豊かに心理を学び、その糧を伝えてきた。 
 行動心理学への造詣と愛着については、おそらく誰にも漏らさなかったであろうが、人として講師としての歩みを支える、最大の武器となった。
世阿弥の「秘すれば花」の言葉は、強力な戦略となり、名もない教官を世に知らしめ、講演会場を常に満員にしてゆく。
「私は困難にぶつかった時は、逆に本を読んだり、人に相談したりはしません。自分自身で当面の困難について、徹底して考えてゆきます。考え抜くことで得た結論が自分のものだと思っています。」
ともはにかみながら付け加えた。
 様々な困難を思い出しながらの話である。
 私はK先輩と酒を酌み交わしながら、勇気と希望が心にわくのを覚えた。

 間
 Jさんは、マーケティングにかけては組織内で第一人者である。コンピュータによるデータ集積と分析が得意な上に、勘が働く。データ重視の者なら、業界にあまたいるだろうが、Jの場合はデータを一旦、放り出して真っ白な紙一枚から本質をとらえる。
「論理思考と感覚」は、パスカルによれば、真理探究の二大方法である。一般的にはいずれかが得意で、もう一つはまあまあというレベルであろう。不得手という方が本当で、それを隠し、補うべく得意の論理、もしくは感覚を磨いて勝負する。自分を売り込み、競争力を高める。ただし片肺飛行であることは、否定しがたい。論理の積み上げと一
目瞭然の推察は、もともと両立しがたいものである。
 ところがJは、論理と感覚が秀でている。そこで業績を伸ばし、本人の地位も高めていった。順風満帆の彼にも落とし穴があった。
「少し休みたい。仕事ばかりしていられない。」
と感じた時、宝くじにはまった。
 そして持ち前のマーケティング力で、当たりくじの傾向と分析、並びに対策を考えようとした。もっとも宝くじは、実務ほど実態があるものではなく、いわばさいころ博打に近いものがある。統計的な確率は確かにあろうが、「一か八」の世界だ。公営ギャンブルとして全国で大勢の人たちがやっているので、格式高く見える。
「そこを何とか。そこで何とか。」
は、Jさんの持ち前の根性である。
 だから必死で当たりくじのグラフや分布表を作るのだが、らちはあかない。
 宝くじの高額獲得は、こつこつと二十年も三十年も買い続けてやっと一回あるかどうかの世界だ。運が大半で、幸運の女神を数学やコンピュータで射止めようとは不可能に近い。
「だから何とか」と頑張るのは、個人の自由な時間とお金の問題だから、とやかく言うことではない。しかしのめりこみは、肝心の仕事と家族関係にも影響した。イライラした気持ちは、周囲にも感じられ、ギクシャクしてきた。その変化は誰より自分がよく知っている。
「ケタケタしているな。」
そんな言葉が本当にあるのか、こっそり辞書を引いてみた。
「ケタケタとは、大声で笑うことだ。」と述べられている。
 真面目なJが、人前でそんな露骨なことをするはずはない。しかし心はケタケタしている。前へ前へ進もうとして落ち着かない。どこがゴールかもわからず、とにかく走らねばと急かされるように走っている。
 ぼんやり考えた。考えることさえ忘れ、ぼんやりしたままだった。
「途中で止めるのも、勇気ある行動だ。」
という登山家の記録文を思い出した。
「オリンピックの目的は勝つことではなく、参加することだ。」
というクーベルタン男爵の宣言も思い起こした。
 簡単に止められない。参加するだけで良いなんてとっても思い切れない。異性に対しても、ギャンブルにもそうだ。勝つまで達成するまで頑張り、励みたい。
「参加するだけで、幸せだ。満ち足りている。そう思いたい。思うようになりたい。」
 独りの部屋で隙間風を感じながら決意した時から、心が軽くなり、人生が楽しくなった。再び仕事に身が入りだしたのは言うまでもない。
ケタケタと貧乏ゆすりをするのも止めていた。

 コンシェルジェ
人の世話をするのは難しい。これが好意で親切と思っていても、相手はそうは思わず、骨折り損ばかりか反発を買うときさえある。お金をいただいて、サービスを提供する場合でもそうだ。こちらは精一杯しているつもりだが、お客さまにしたら今一の場合もあるし、的外れにもなる。
 高級ホテルのご案内人コンシェルジェは、選ばれた人であり、長年選びぬかれたサービス・エリートである。お客さまは老若男女、高い支払いをして様々なサービスの提供を期待する。サービスが嬉しく、予想外、予想以上のものだからまたそのホテルを利用したいとリーピーターになっていただける。ホテル収入の源泉であり、ホテルの浮沈を左右するキーマン、キーウーマンとなる。
 神経質に考えればきりがない。神経過敏なほど考え、手配、対処しなければ、お客さまの逆鱗に触れる。好悪の評価は紙一重だ。寝室の明かり一つでも、答えは一つ、的を当てねばならぬ。「スイッチはここですよ。」では、合格とはならない。
「好きこそものの上手なれ。お客さまの心理や好み、健康状態までこまめにやさしく読めるか、どうかです。また読むのが好きでないと勤められません。」
というコメントの中から、余人をもってかえがたい素敵なコンシェルジェが、登場する。





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