豊田泰光さん


 豊田泰光さんは、西鉄ライオンズの3番、ショートとして活躍し、日本シリーズ3連覇に貢献した。ここ一番のチャンスに強い打者として、相手のピッチャーに恐れられていた。入団当時は、2番打者であった。
 豊田さんのお話を伺う時があり
「3番か、4番を打ちたかったでしょう。」
とお尋ねすると
「いや大下さん、中西さんが3番、4番にいたから2番で十分だったよ。いや2番だから色々勉強することができたね。」
と、にこりとされた。
 豊田選手は打率が高く、ホームランも多かった。ランナーがいる時は、3番、4番の長距離ヒッターへつなぐ野球に徹した。1、2塁間にヒットを狙い、ランナーを進める。バントもうまかった。練習をしっかりされていたのだろう。
昭和33年の日本シリーズで、1対0で負けていて、9回ワンアウト2塁で打順が回ってきた時は、見事にバントを決めてランナーを3塁に進めた。3番、4番に強打者が控えている。この黒子に徹するプレーが、同点打を呼び、3連敗、4連勝の大逆転劇を生む源となった。打撃が好調だっただけに、ヒットを打ちたいのは山々であったであろう。
「バントのサインが出たのですか?」
と同伴の者が野暮な質問をした。
 豊田さんはそれには、お答えにならなかった。
「済まんが、バントをしてランナーを進めてくれ。」
というサインだったかもしれないし、
「打て」
というサインに、敢えてバントを成功させたのかもしれない。
 とにかく剣が峰の9回にバントを決め、踏みとどまったのだ。

 ランナーがいなくて、自由に打てる時はホームランを狙った。西村投手が完全試合を成し遂げ、1対0で勝った時も唯一の得点は、豊田さんのホームランであった。何が何でも点を取ってやるという意気込みは、まさに4番打者の風格と自信である。この強打者が2番として座っているから、相手の投手は恐ろしいこと限りなしである。
「勉強になった。」とは状況を読み取ること、臨機応変に対処しチームプレーに徹することを意味する。硬軟使いわけるのは、実力と読みがあってこそで、人知れず練習をし、データの蓄積と鋭い分析をされ続けた賜物であろう。
 豊田さんはデザイナーでもある。水戸商業高校では、デザイン学科で勉強された。西鉄ライオンズの帽子に輝く、NLのマークは豊田さんと三原脩監督による共同の作品である。デザインの斬新さは、当時から評判であり、後年にニューヨークヤンキースがつくったNYのマークによく似ていると言われている。豊田さんがもしデザインの道を進んでいたらと、パスカルの言葉を真似して考えたくなるほどだ。
 きっと豊田さんは野球をデザインし、自分なりにデフォルメして考え、ナイスヒット、ナイスプレーを繰り返されたのだろう。日々新た、常に改良、改革は、豊田さんの斬新なデザイン感覚によるものだ。
 豊田さんは野球殿堂入りを果たすが、ユニフォームを着た野球の成績ばかりか、日経新聞への執筆や「プロ野球ニュース」での名解説等による野球文化の向上と普及による功績への評価と言われている。デザイン感覚は、言葉にも及び小林秀雄との交流を通し、「考えるヒント」の名エッセーを呼ぶ。バットを捨てた後は、ペンに換えた。いやペンを黄金のバットのように自由自在に振り、名文、名解説を行った。「言葉の錬金術」を歌ったランボウのごとく、言葉を巧みに美しく語ったのである。現在、進行形である。

河野昭修選手
 西鉄ライオンズの黄金時代に一塁手でならした河野昭修選手は、初めからそのポジションではなかった。昭和28年は3塁手として活躍していた。ところが怪童中西太が入団するや、ショートにコンバートされた。翌昭和29年に豊田泰光選手が、ピカピカ大型新人として入団するや、セカンドに回された。続いて仰木彬が入団すると、セカンドのポジションを奪われ、ファーストに三原脩監督から異動させられた。
 さすがに「ファーストへ」と宣告された時は、落ち込んだそうだ。
 しかし河野選手は、蝿取る紙と称せられるまでファーストで長年、活躍した。3塁、ショート、2塁の守備で培った技術をすべて1塁の守備に生かしたのだ。あらゆる球を捕球できるとは誉めすぎにしても、99%まで難球を捕らえアウトにした。内野におけるキャッチャーの役割で、どちらかと言えば1塁への投球が苦手の豊田選手を補佐した。鉄壁のファーストとして、ランナーセーフをアウトに変え、ピッチャーを助けた。縁の下の力持ちである。
 河野さんは選手を引退してからも、グランドキーパーとして務めた。人工芝などない時代に、丹念に地面をならし、良い野球ができるようにと努め続けた。
 西鉄ライオンズ賭して平和台球場での最終試合で、同僚や後輩が懐かしいユニフォームを着て紅白戦を戦う時も
「おれはこれで良い。ユニフォームは着ない。」
とグランドキーパーに徹した。
 地面をならしながら、往年の球が見えたか。
 その心情も語られないままだった。野球が大好きな永遠のプロ野球選手であった。
 マックス・ウェーバーは、「職業としての学問」「職業としての政治」等を著わしているが、この職業という概念がプロフェッショナルを意味するなら、河野選手こそ「職業としてのプロ野球1塁手」の偉大な存在である。

 ハブにらみ
 将棋の達人、羽生善治のニックネームである。ここが勝負と睨んだ時に、盤面の駒とともに、相手の顔をうかがう。その鋭い目つきを、蛇類のハブになぞらえて、誰かがつけ、今日まで愛用される。相手の心の底まで、眼光は届き、ひるませる。
「ハブにらみが来た。」
と観戦記者が評すると、局面の急展開とともに、勝ちを予感させる。
 勝利を見通した直感のひらめきが、ハブにらみとなる。
私はこのハブにらみを見たいと常々思っていた。
私の町で、将棋の公式戦が催され、羽生さんがタイトル・ホールダーとして登場した。私は午後から休みを取り、会場のホテルに赴いた。記者室までは、将棋の愛好家が入ることができる。そこで時々刻々の棋譜を整理し、新聞社に送る。有名な棋士も検討に入り、部屋は熱気にあふれている。私も将棋の愛好家で1級の腕はあるから、検討に熱心に耳を傾け、時折、質問もした。しかし部分的な検討などは、本意ではない。
じっと居ても詰まらない。そんなイライラした気分の時に、チャンスが訪れた。
記者室の側で、ウェイトレスさんが行ったり来たりしている。
「どうしたのか。」
と尋ねると、半分泣きべそになって
「午後のフルーツを対局室に差し入れてくれと頼まれたのですが、他の仕事でバタバタしていたので、忘れてしまったのです。もう午後3時になろうとしています。」
 私はこのウェイトレスを何とか助けてあげたいと思うとともに、ハブにらみを見ることができるのではないか、見てみたいと思うようになった。
「一緒に行ってあげよう。」
ウェイトレスの顔が一瞬、ぱあっと明るくなった。海で漂流していた者が、救助の舟を見つけたように、光が射した。
私はネクタイをしていたので、記者か、その関係者のように見られた。現実に神聖なる記者室にもっともらしい顔をして棋譜を眺めている。
ウェイトレスは、フルーツの皿と飲み物を慎重に、まるで薄氷の上を歩くように一歩、一歩と進んで行った。
私がその前に出て、対局室の障子を開けた。障子の音が滑るように響く。
羽生さんが対局しておられた。雑音と妙な動きにこちらを見た。そこでハブにらみが来た。
「何事か」
と異常を察知し、事の真相を究めようとする鋭い眼差しだ。
「フルーツを持って参りました。遅くなりました。」
と挨拶をし、ウェイトレスは嬉々としてフルーツを差し出した。
 羽生さんは一瞬で事の次第を了解したらしく、私が深くお辞儀をした後ににこりとされた。了解というのは、私がハブにらみを見たいがために、同伴したことへの許しである。
 その対局は、羽生さんが勝利を収めたと、新聞報道で知り、私は胸を撫で下ろした。余計な仕草で、気を散らされたのではないかと、くよくよ心配していたからだ。
仕事
 仕事をするのに、させられるとさせてもらっていると思う。勉強もそうだ。同じことをやるのに、意識が違う。
 生きる。生きなければいけない。生かしてもらっているなど、色々ある。どれも僧思うのは、なるほどいう意味があるけれど、折角生きるなら積極的に感謝して生きていきたい。

 読み
 AとBは、職場で仲が悪かった。Bの方が上役で、給料を余計にもらっているのに仕事はAの方が圧倒的に多い。もともとかなりの仕事量がある上に、Bに来た仕事をすぐにAに回す。いわゆる丸投げで、Bの方が職務権限上で、上役であるから当然であるが、どんなにAが忙しそうにしていても、定時になればBは帰ってしまう。
「お先に失礼します。」
と言えば、関係はもっと良好になるのであろう。
 Bもそれが正しいとはわかっているが、うしろめたさもあり、
「もうお帰りですか。」
と言われるのが、落ちである。
 Bは体にハンディ・キャップがあり、「定時で退社して良い。」と認められている。っだからそのことは、誰も言うことではないが、体をかばう余り、自分自身が仕事をしなくなり、任せる余り、「いざ仕事をやろう。」と思っても、できなくなってしまった。最低限の付き合いしかしないので、情報が入って来ない。もちろん人に喜んでもらえるような情報も持たない。情報交換はギブ・・アンド・テイクである。聞くばかりの人に、退社時間後、割り勘でのノミニケーション教えてやる必要はない。
 Bの上司であるCは、心配した。もともとBを好んで、部下として雇ったわけではない。事務主体の職場であるから、「体にハンディのあるBでも勤められる」という触れ込みであった。ところがパソコン作業や帳票作業においてまで、ハンディ・キャップを理由に質量ともに遅く、ポイントを外しているとは思わなかった。いわゆる想定外であるが、仕事を回すためには、Aに負担がかかるのはやむを得ない。
 上司Cは、「済まぬ、お世話になるね」という意味を込めて、食事に誘う。Bについては、はっきり言わぬが、Aだってその事でお酒をおごってもらっているということぐらいわかっている。情報交換は活発になり、大事な情報はBを通り越して、即座にCからAに入る。Aの情報量と質はほとんどCに迫り、Bがつんぼ桟敷に置かれる。BがAへと仕事の丸投げをするのも、下地ができているし、そのためにCは「ここだけの話だが」と前段をつけて、語りあった。
 Aは律儀であり、他に口外するような男ではない。戦略の勉強をし、「情報を決して漏らさぬ」ことの大切さを知っている。
「秘すれば花」は、単に能や狂言だけの世界に留まらず、ビジネス上の戦略にも応用できる。秘するから、花も咲く。

 Bが他の職場に転勤する日が来た。とりあえず人間の補充はないので、Bの仕事を今度はオフィシャルにAがやることになる。
 AはBから書類の引継を受けながら、
「たったこれだけの仕事だったのか。」
と改めて深呼吸した。
 と同時に自分に、のっぴきならない日々の仕事が来るのを実感した。
「上司のBは、仕事を余りしていないようで、結構されていたのだ。」
と心の中で、敬語を使って振り返ってみる。
「Bを酒の肴にして、歓談する良き時代は終わった。」
と映画のせりふのようにつぶやく間もなく、Cとのコミュニケーションも疎遠になった。
 Bについて公私にわたる感情を込めて、語る必要はない。
 Cも期間限定とはいえ、「職場の人員減」を悩み、苦渋の選択だったかもしれない。Aには、昇給とか、昇格でご褒美をあげるつもりだ。しかし今日、明日ではなく、2,3年後の遠い話だし、約束はできない。
 AはCと疎遠になってゆく気がした。今までが良過ぎたし、それに甘え、当たり前と思っていたのかしらと、胸に手を当ててみる。
「Cは温厚に見えて仕、事に厳しい人だよ。」
と改めて噂を聞く。
 人は見ている。Cばかりでなく、Aの動向、心の内を遠くからでもまじまじと見ている。動揺し、悩んでいると推測すれば、声をかけて反応を見る。あるいはまるで無視するかのようにしながら、観察は続ける。

「お世話になりましたね。」
とBは、安い喫茶店でAに礼を述べた。
「いや、どういたしまして。」
とAは久しぶりにというより、初めてBに頭をぺこりと下げた。
 Bの定時退勤を責めていた自分を、反省しわびる気持ちがわく。
 BがAにおごるのも、ほんの数回だ。仕事を早く頼まなければいけない時に限っている。今回もそうなのだろうか。
Bは小銭入れから、百円玉を何枚か取り出して、レジで払う。
「ありがとうございました。」
と自分でも驚くほどの爽やかな声で、お礼を述べた。
 と同時にこれからの仕事を思うと、陰鬱な気分をどうすることもできない。もはや酒の肴も攻撃目標もない。ただ荒涼たる仕事の群れが、待っているだけだ。
「あの時は良かった。」
「本当は良いなどと思いはしなかったのだ」と自分で心を確かめながら、過去に思いを馳せる。 
 新しいステージに入る。心身を建て直し、進まなければいけない。
 木枯らしがヒュウヒュウと吹き、Aは咳をした。見上げる空は青い。

 苦楽
 生きるため、楽しく生きるため、家族のために、今の苦しい仕事や生活環境に耐えて頑張らねばと思う。ここで仕事を辞めたら、他に適当な仕事はない。3Kの仕事か低賃金の長時間労働の仕事、それは今の仕事よりはるかに苦しい仕事になるのは見えている。だから今の仕事をぶらさがるように営むしかない。こうした受身で重苦しい考えでは、職場の仲間や家族に楽しみや笑顔を送ることは難しい。もともと周りが見えない状態で、歯を食いしばって、一本の細い糸にぶら下がり、揺り動かされているままだ。
「どうせやらねばならぬ」のであるなら、楽しく行こう。楽のため苦労を耐えるのは、美しく善いことではあるが、楽しくやろう。笑顔でユーモアの一つも話して、進めていこう。
 もしそれができるならば、働くことそれ自体に楽しみが満ち、幸せが宿る。お金のためだけでなくなると、自由さえかすかながら得られるはずだ。
「こんな苦しい仕事や業をやっているのだ」
という自信も生まれる。
 駄目だったらそれまでだ。道中が楽しければ、既に儲けもので展望は開ける。

 近代オリンピックの父、クーベルタン男爵が語った
「オリンピックの目的は勝つことではなく、参加することだ。」
という金言は、労働から人生全般にも当てはまる。
 できれば楽しく参加したいものだ。それがあるいは勝利への秘訣かもしれない。
  ドラフト制
 ある有望な野球選手Aは、あいにく選考に漏れた。ライバルの選手たちは、憧れのプロ野球に入団し、バリバリ活躍する。Aはノンプロに入ることになる。居酒屋チェーン店に入り、仕事をしながら野球に励むことになる。就職難の今日にあっては、それも羨ましいことではある。居酒屋は夜の仕事であり、店長を務めることになれば、当然勤務は不規則で、帰りも遅くなる。
 Aは4年間の店長生活で、禁酒を貫いた。目の前には酒で、つい飲みたくなる。1杯は2杯になる。帰って眠れば、練習時間はない。
 Aは素振りにランニングを深夜、一人でこつこつ行った。晴れてドラフトに氏名される。今からが本番だ。今に見ておれ。口には出さぬが、心は燃える。
 これからも禁酒を貫けるか。新人王を取るまでは、ホームラン王になるまでは、貫きたい。誘惑も多かろう。チームメートだって、ライバルで心の敵だ。
 ファンが応援し、見守っている。



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