エッセー1

宮川俊朗

 秋も深くなりつつある今日この頃です。本を読んだり、仕事を進めるに当って感じたり、思ったことをエッセーに綴ってみました。

  志賀直哉
 志賀直哉の「城崎にて」は名作と言われている。その中で「辛抱できるなら2週間ぐらいいたいと思う」という下りがある。創作のために辛抱してまで2週間も滞在しなければならないのだろうか。あるいはひとつの結論を得るまで、気持ちを集中させ考え込もうとするのか。短期間では過去の経験から短すぎ、煮詰めにくいのだろうか。
 「城崎にて」のたった数十枚のために、長逗留できる経済力は庶民からは羨ましいほど素晴らしい。特別な執筆料金なのか。才能とともに羨ましいばかりの創作環境である。

  徒然草
 吉田兼好は南北朝時代の随筆家である。南北の和議や交渉事の書面を代筆したという。おそらくは生計の糧になっていただろうし、高貴な方の身に成って筆を進めたにちがいない。恋文の代筆も頼まれれば盛んに行ったと聞く。とても世を捨て隠遁の身とは思われない落差である。あるいは争いや色恋があったからこそ、つれづれなる世界に苦もなく浸れたのであろう。
 天と地の落差と絶妙のバランス、行ったり来たりの楽しみ、陰と陽。 「徒然草」は行間を読む必要があるし、半分は省略している。この空白の部分が想像力をかき立て、今日まで読み継がれている源である。省略については精査、つまり思考の賜物である。 

 「徒然なるままに」という冒頭の言葉から、徒然草と名づけられた。閑があるなら、あれこれとばたばたせずに、閑に任せようという隠遁の精神の素晴らしさを、忙しい者は羨望の意を込めて尊く思う。
 徒然をやろうにも、できないのが普通の者だ。しかし本当に素晴らしいのは「ままに」という言葉で、徒然草の各場面に出てくる。自分の思うようにしたいのが人情だが、異なる場合でもそのままにするし違いを見つけ味わい楽しむ。
 固定観念にとらわれない自由がある。自分のエゴにも囚われない伸びやかさや軽みがある。
 「小野東風の偽作をそれはそれで楽しい。珍しいではないか。どうしたのだ」という章など、まさに「偽りのままに」である。本物の名作を見るより、新しくおもしろい発見があったにちがいない。
 
  バランスの知恵 
 バランスの名手K氏。今宵に宴会の予定があれば、昼の食事はうどんかそばなどの軽いものに留める。本当はいつもの昼と同じくらいにお腹は空いているのだろうが、軽めにして夜に備える。単に腹具合やボリュームだけでなく、夜の会席膳への期待を込め、想像力を掻き立てている。夕暮れ迫れば、お腹はぐうぐうと音を立てているはずだ。
 仕事としての編集業務におけるバランスはこうした日々の務めの積み重ねで絶妙の域に達していく。
 
  幸田 文
 幸田文さんの「父 こんなこと」は夏の終わりまで、封印である。ある事を成し遂げるまで、読むのを止めようと思う。完成させる愉しみと、読む喜びを高めるためでもある。
 今年の夏が本に封印される。思いが仕舞われる。風が表紙を通り抜け、ページを開けるころには、秋の風である。
 秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
  きぬとは、秋がこのあたりに訪れるという意味である。じわじわとやって来るというよりも、まず訪れ、そこから繁殖し広がる感じである。真っ盛りの夏のように見えて、この歌人にはもう秋である。
 自然の風景を詠んだというより、恋人についてなのかもしれない。
 恋を含めての自然であろうか。 

  祭りに参加して
 8月4日の久留米水の祭典は盛大であった。音楽や照明効果も機械を使って素晴らしかった。楽しみが多い分、祭りの感動も大きかった。
 私たちも打ち上げをやり、喜びを分かち合った。しかしたった二時間後には、みなさん帰られたし、後片付けも公道を含め、大勢の協力できれいにできていた。しかしごみはともかく、余りにきれい過ぎて祭りがぽっかりと抜け出てしまった。機械類の比重が大きい分、あっさりと完璧にできるのであろう。
「まるで何ごともなかったようですね」連れの担当者がぽつりと言った。少しほろ酔い加減なのだが、骨を折った打合せや仕掛けが消えちまったことへの寂しさとささやかな抵抗感であったろう。

  モティベーション
 8月の暑い朝、地下の喫茶店で友達と話していた時、ある先輩が近くにいて「とうとう居座ったな」と微笑んだ。一種の冗談のつもりだが、かちんと来た。日頃からもうひとつと思っていた先輩だから、皮肉が込められていたのであろう。やっと辿り着いたポストである。
「お元気で」と見送った後、むらむらとファイトが湧いた。 

  自分の仕事
 社内誌を発行して、二、三日はひやひやである。特に初日の午後は文章ミスや内容に対するクレームがないかと落ち着かない。何もないと五日以降にはゲラ刷りや赤の入った初稿を捨てる。ためていては嵩張るばかりで、スペースに困る。
 全部まとめてばさっと、大きなゴミ箱に投げ入れる。ありがとう、よく貢献してくれたねと気持ちを込めて、普通にむしろ体裁を気にして冷淡に箱に突っ込む。わかれの寂しさが全身をおおい、何事もなかったかのように席に戻る。

組織について
 トップが変わると、組織の方向性や重点が変わる。色が濃く出るからである。下の者は戸惑い、必死で次の指導者に合わせ、功績を上げようと努める。その前から動きはあったし、新旧の指導者はこまめに力の分析を重ねた上で、交代を行い、体制が変わった後も助言なり、積極的にお伺いを立て方針を仰いだりする。下部は右往左往しなければならぬが、それも体制を整えるために必要なことだし、下々の動きを見ながら方向性は定まり、組織は強力に浄化されてゆく。
 あるいは独断的でまた恣意的かもしれないが、長い目で見れば組織を防衛し強化するには大切なことである。個人の色が出てこそ、組織の色が出る。というのも組織は立体的であり、また時の流れに乗り耐えなければならないからだ。
ある一面、ひとつの方向性だけでは組織は虚弱になり、敵からの攻撃にさられる。新旧の両指導者の異なりかつ連続した方向性のもとに、組織は幅を広げ、敵からも不可解な存在へと強化される。
下部の者たちも、トップになるぐらいの気概を持って、切磋琢磨せねばならない。

  アキレス腱 
 ラ・ロシュフーコーによれば「どんな偉大な思想家でも現実の瑣事には困難を感じる」という。偉大であればこそ、いかなる瑣事にも思想を見出そうと試みるから、普通のことも難しくなる。さっとできないのである。
 まして瑣事といっても、多くの要因が重なり合っているのだから、厳密な分析や総合を行おうとすれば、多大の時間を要するであろう。瑣事とするには、逆にスピーディな実務感覚と習慣が求められる。
 思想家が現実と離れやすいことを思えば、難解な問題が降りかかったというべきかもしれない。

  叙情
 紅葉も落葉さえも、陽光に当たると美しい。存在はまだあるのだから、千変万化の色彩は、その時のありがたさとはかない偶然を知らせてそのままで輝く。まして朝の光が当たれば最高である。
 昼からは弛むし、夕暮れの陽は寂しい。
 朝の紅葉は元気さえ与えてくれる。

  
告別式にて
 11月30日 ある著名な方の告別式が盛大に執り行われた。参列の方々もそうそうたるメンバーで、故人の遺徳と業績を忍ばせるに十分であった。その中で故人の先輩という以上に恩師がおられ、比較的に後ろの方に座っておられた。控えめというかむしろ皆さんからわからないようにひっそりとおられた。
 白い菊を壇上にささげる段取りになり、関係者や著名な方々が壇上に上ろうとされる時、風を切るようにというより御自分で小さな風をつくりながら、さっと退席された。ちゃんとしておこうと肩を上げ歩かれる姿が、屹然とし痛々しかった。若い死を誰よりも悲しんでおられるのが見受けられ、涙がいっしょに落ちた。

戦略の基本
 秘密を守ることそして貫くことが、戦略の前提であり基本である。
例、ソフトバンクホークスの松中選手は3冠王を取った嬉しさに、その秘訣を「断酒にあり」と述べた。それは真実であったが、大事な個人的な秘密をぽろりと漏らし、何でもない平凡なものに落としてしまった。
 肝炎で入院したのは、病状の発覚とともに大事な物を失った茫然自失の落胆から出たのかもしれない。自重の時を要する。
 
  競争力の表裏
競争力の強化において陥りやすい陥穽は、競争相手や他者に対してだけでなく身内に対して競争を始めることである。初めは表立った競争は行わないが、例えば手柄を立てた時などその功績や貢献を自分のものとして引き立たせたいし、その宣伝により自分の地位や取り分を増やそうとする。競争力がありいわゆるやり手は、のほほんとするわけはなく当然に自分の組織内での競争力強化に務めるが、度が過ぎると内部の争いが激しくなりついには分裂に陥る。
 指導者は公正さを持って功績の評価を行わなければならないし、そのでき方で仁徳ばかりか指導力の有無にまで影響してくる。ただし指導者自身も内部の競争において勝ちあがったからこそ現在に地位がある。公正さや親和ぶりだけでは勝ち抜くことはできない。ただしトップになればもはや自分の競争力を誇るより、全体の競争力をつけること、あるいは競争力を促し、実を上げる評価システムを創り上げ、それを柔軟に改良を重ねることが肝要となる。
 より競争力を促進するとともに、功績まで届かない縁の下の力持ちにも光を与え激励のシグナルを贈ることが全体の健全化及び強化につながる。まさに公としての役割が求められる。

  ゆとり 
 70歳まで現役で働いておられたT.Mさん。八十三歳の今も月に一度の句会に参加されてある。「五句つくるのは、やおない」と苦笑しつつ、楽しくて仕方ないという感じだ。
「第一線から引き下がって随分経つが、今や第二線から第三線まで下がってきているようです。」このユーモアと冷徹さが句作りを支え、長生きにつながっていると伺える。

  「地獄変」を読む 
芥川龍之介の「地獄変」は画家の生き様を辿るとともに、自分の行く末を予感しまたおおよその覚悟を決めていた。
 二十代にして、「歯車」や「ある阿呆の一生」の構想の芽は育まれていた。背負わされていたときつい表現の方が、心理的に当たっているのかもしれない。既に漠然と追い込まれていた、あるいはより己を追い込んでいたにちがいない。

  春
 先日の強風で、櫻花はかなり散った。残り花を懸命に捜すのも浅ましく思い、かといって気にはなる。小川のほとりを歩くと、つつじが蕾を出しかけている。
 よく見ると山吹が、つつじの枝葉を掻い潜るように一本咲き出していた。その色の鮮やかで美しいこと。色を言葉で表現するのは、とっても難しいと知りつつ、しばし歩みを止めて山吹を見る。強く官能的な艶やかさに疲れと、去りゆく桜花のことをしばし忘れた。感傷に浸る場合などではなく、春は今からこそ本番であり、山吹だってどんどんと花々を咲きあがらせるだろう。えらく楽しみである。
 文章力を磨きたい
 「良い文章を書きたい」と志していた時、父の友人から「文章を上達するには日記を書くことだね」と助言された。十七歳の私は助言を忠実に守り、十年以上日記を書き続けた。所用がありどうしてもできない時には、前日、前前日に遡り綴った。その間、家庭教師をする機会があり、高校生の生徒に「毎日、日記を書くと文章が上手になるよ。雨が降っても槍が降ってもだ。先輩から習った格言だけどね」と教えた。
 それから実は金言を教えたことも忘れたし、私自身がいつの間にか、日記を書くのを怠りがちになっていた。
 久しぶりに再会した時、生徒さんは立派な社会人になっており、「おかげさまで教えの通り日記を続け自信もつきましたし、いろいろと役立っています」と嬉しそうに感謝してくれた。
 私は顔を赤らめ胸がどきどきした。その夜から日記を再び書き始めた。鉛筆を動かしながら、先輩の懐かしい顔と初心を思い出した。

  森光子さんの「放浪記」
 森光子の「芸術座の最終公演」TV番組をラジオで聴く。
 大正九年、京都生まれで、昭和36年に初めて主演をつかむ。戦時中は四回も戦地の慰問団に赴き、直立不動の戦士の前で芸を披露する。
 林芙美子原作の「放浪記」を森さんに向けて、菊田一夫さんが戯曲化したものを、熱演する。自分の体験と思いを込めて「放浪記」を一回、一回演じる。
「忘れやすいのは、神様が私にくれた贈り物」と笑いながら、舞台を大事にする。相手役に応じて、感じたものを舞台で表現する。
「新しい芸術座で、放浪記を」という願いが叶ったらしい。
 花町の母という負い目を、裏千家の師匠が「どこに行っても、誰と会っても物怖じしないで、対等にできるように」と若い林さんに教えてくれた。故郷に時には帰り、自分の懐かしい部屋を覗く。
 小説が認められてシーンは、観客みんなと喜ぶ。「戦争は絶対しちゃ駄目」という思いが「放浪記」にまぶし、込められている。二千回を目指すというが、お歳はいくつなのかしらと数えるのは失礼であろう。本人がまず数えていらっしゃる。
 
  管理職
 ある管理者のつぶやきを聞く。本当は知られたくない秘話で、生きるこつ、人生訓に近い。「私は人前で大きな声で怒る。相手が失敗しミスを犯したのだから、そこを指摘し十分に注意を促すのが務めだ。相手も悪かったと来ているのだから、強い言葉で叱る。優しく丁寧になどはできない。
 しかし二、三日後は、缶コーヒーを一本持って、逢いに行く。まあ頑張れよとコーヒーを差し出す。」
 缶コーヒーは握手と同じだ。相手も手を出す。そしてぐっと口に入れる。
 そこまでの一連のストーリーがあって、激しく叱る。
「おもしろい顔ですね。」と笑われることもあると言う。少し笑いながら語るところがまた良い。

  管理職B
 別の管理職とお話し、話が佳境に入った時、テーマはやはり部下の指導になった。いつも思い、磨いておられるのがわかる。

  独りについて
 6月9日のNHKラジオの「独りについて」のナイトエッセイはおもしろかった。中山洋子さん(ラジオだから、音が頼りで苗字が違っているかもしれない)が、爽やかな声で言葉の大切さと魅力(魔力もある)について語っていた。
「ああ 独り」というより「さあ 独り」という方が同じ孤独でもおもしろく元気が出る。「どうせ独りだ」というより「どうせやるなら、独りでやってみよう」と考えることで、前に進めると説く。
 独りは社会においてうしろめたく、引っ込みがちになりやすい。独りで旅行、ホテルで食事とは、周りからの目が気になる。独り暮らしは恒常的なだけに尚更である。
 そこを何とか陽気に楽しく考えようという趣旨である。瞬間の思いつきではなく、独りにならされたら人生ずっとの話だ。切り替えということから、思想、人生観の構築にまでつながる。私は一家四人暮らしで、独りというテーマでは、身につまされていない。しかし示唆に富んだ話に、頭が冴えて寝付かれないとともに、明日への希望が湧いてきた。

  囲碁本因坊戦
 張本因坊が楽勝かと思っていたら、3連敗に追い込まれた。高尾9段が難しいと予想されていたところ、高尾の手厚さに張本因坊が手を焼き、攻め倦む。凌ぎや死活なら、本因坊の十八番であるが、自分が攻めるのは苦手だ。相手の生き筋を読んでしまうので、より強力な手を発揮できない。攻められるのと裏腹で、読みは近いはずが、まったく対極的な遠い位置にあるのかもしれない。
 背筋がよれて、疲れた姿は、端正で深みのある平常心から程遠い。
 部分的に、臨機応変に組み合わせた、どちらかと言えば不完全な厚みが、力を発揮し、張本因坊を悩ませる。スランプというより、力を封じられた感じだ。
次の戦いまでに、戦力を立て直せるか。切り替えがなければ、予想だにしなかったストレート負けが待っている。

  戦略 2
 戦略の変更は、痛みを伴う。良いことばかりの組み立てが戦略ではない。心身を削ってでも、集中戦略の方向性と重点を考え直すことが大切である。

 戦略は短期間で、ライバルや、来るべきライバル(ステルス)に真似され、追いつかれ、ついには追い越される。
 
そこでライバルの新戦略を再び、真似するのは当面、重要であるが、結局、新ライバルに追いつき肩を並べるのが関の山である。別の戦略を付加し、あるいはカモフラージュしながらオーバードライブするのが、肝要である。
 追いつかれることを想定し、その際に打ち出す新戦略を予め暖め、構築し知らぬ振りで待っておくのも手である。
 トップなどとおめでたいものは、長い目でみれば瞬間風速であり、追いつかれ置いていかれることを前提に、準備、計画は必須である。
全体を観る
 付加価値ばかりが強調されると、バランスが崩れる。新しい付加価値は魅力があり、みんなにアピールしたいものである。本体がしっかりと機能していればの話しである。長期的に見れば、ちょっとした付加価値ぐらい、真似され追い越され、本体の一部に吸収される可能性が大きい。

  晩年の傑作
 「養生訓」は貝原益軒が八十三歳のときに書いた。高齢にして自分の筆で書いた。目はしっかり見え、歯もちゃんと備わっている。「養生訓」を自分が実践し、「ここまで元気で長生きできますよ」というメッセージを描いた。繰り返しが多いのは、力説したいエキスであり、要である。くどいと批判するのは易しい。あるいは、自分の心身に翳りが見えたから、ありったけの力を振り絞って筆で白い紙に書き刻んだ。
 カントが最晩年に「永久平和のために」を著したのと同じ気持ちであろう。難しい完璧な三大批判哲学書を著したカントであったが、世の動きや流れを思い、自身の肉体の衰えを感じ「永久平和のために」を執筆した。力みをなくした名著は、国際連盟の礎となり、その理想主義は今日にあっても強い影響力を持っている。
 八十三歳の貝原益軒はもう「養生訓」をする必要もなかったし、全てを実践することはできなくなっていた。元気で高齢まで生きてきた金字塔でもあり、未来に向かい生きていく皆へのメッセージ、究極的に言えば「別れの歌」であったろう。優しい響きは詠み易く、簡単な項目はその気になれば実践しやすい。
 畏、少、忍という三つのキーワードは、時間のかけての実行は極めて簡明であり、また難しい。多くの人に愛読されてきたのは、このパラドックスのためであり、元気で長生きしたいというみんなの願望である。

  第30期囲碁名人戦の戦況
 張名人が効率よく打ちまわしている。盤面の価値を目いっぱい使いながら、局面を狭めていく。小林覚九段は、部分的なスピードについていけない。得意のゆっくりと厚味を使った、待ちの局面へと導くことができない。もしそうすればいよいよ大勢に遅れると心配で、待ちの手が難しい。そこがスピードと中距離に冴えを持つ張名人の狙いと付け目である。
 小林九段はずるずると三連敗した。やっと一勝を返した五局目に、張名人にミスが出た。素人でも犯さないケアレスミスである。余りに順調だったので、勘に頼り反射的に手が出た。
 囲碁は縦横のゲームだから、四方に目を配らなければならない。一方向だけの対応となり、別の方向から厳しく攻撃された。  心のショックは大きかったであろう。
 単なる過ちと割り切って立ち直れるか。名人としての真価が問われる。「弘法も筆の誤り」ぐらいに、気楽に割り切れば、本来の力を出して押し切れる。自己の心理分析に暗くのめりこむと石の動きばかりか、相手の作戦を読みきれないだろう。




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