エッセー3

宮川俊朗

この2年間で、思ったこと、感じたことを綴ってみました。

考え方について
見られることと見せること。同じ動作で、受身と積極性の差が現れる。
考え方。視点の問題でもある。

その考え方は、その視点からは正しい。しかし当面の課題に対しては、視点が違っている。課題の議論を通して、相手の視点の是非を正すこともある。
視点がずれていれば、課題に対して、主導

逆境や逆風でもやる気を保つ。モチベーションの天才。魔術師である。

  打開策
 付加価値を増やすより、選択して減らす場合の方が、難しい。全体の体制を検討、再構築するのに知恵と勇気が要る。

  精神衛生
 こつこつと書き綴ること。日々新たなり。故に昨日のことは忘れちゃう。
 
  尊敬する棋士
 藤沢秀行への思い。書きたい気持ちが薄れていく。多くのことに関わるからか。
 気が散っている。散ってマルチにならないと生きて生けないからね。生活があって
文学、囲碁。だからそれらに専念できる人、できる境遇にある人をプロと呼ぶ。

  さりげない親切
 身を削ってのサービスゆえに尊く、千金に価する。貧者の一灯、身を削っての奉仕、献金だからありがたく、心がある。
   
  相似形
    拡大の際は、質量ともに増加させる
    縮小の際は、質と量を考えながら、減少させる。
    量を減らしながら、質を保つ。あるいは質を選びながら、量を保つ。
    質を変え、表面を取り繕いながら、同等の価値を保つ。質の交換により
    リニューアルしたように見せ、コストを下げる。
    縮小の時代こそが、知恵の勝負で、弱肉強食の競争が始まる。
    ただ減らすだけでは、弱体化し、競争力を弱めるだけである。
 
  建前ではなく
    環境の変化により、強みが弱みになり、重荷になる。
    逆に、弱みが工夫すれば、強みとして生きて来る。
    過去と虚栄にこだわっていては、変化に対応できないし、「過去と虚栄」から
    現状と未来を見てしまい、客観性を失う。

 「エレジー」を観る。
  3月20日(祝)16時40分?18時40分
  夕方前の時間帯になったので、もう最後の上映かと思った。
  翌日から、新たな上映スケジュールの1週間分が発表される。

  青がきれい。映像なのに美しい。
  「マヤ」の絵を先に見せる。あとでポーズを取らせて、撮影する。
  自ら、そのポーズを取る。挑発的にして、最後の写真となる。
  明日が手術なのに、

ブランドへの虚栄
ブランドを支える人、ブランドに依存する人
ブランドのファン、使用する人
   ブランドを構成する人が、ミスをして足を引っ張る場合

老子からのヒント
 邦を以って邦を観る。 国を以って国を観る。
 短文に叡智と思いが詰まっている。

 蕪村の蕪は、荒れるという意味である。中国人は、漢字を厳密に使う。意味と定義して使う。使うときに、よく考え、定義する。

 細を観るを、明という。 明細書の源である。

 千里の道も足下から。2500年前から言い継がれている言葉だ。
 難は、もとはささいなことである。聖人は難をものともしない。というのも些細な段階で手を打っているからだ。難になると、

手持ちの戦略は大切だ。持っていれば、暖め育てることが、大事である。
シュミレーションを長い時間でゆっくりと行うことができる。切り札となる。


 処世術
 時を稼ぐ

 TOPになるのには、TPOが大事。時間、場所、目的の明確化、再認識。

 うまくいくのは、嬉しいが、自分が関与しなくて、そこにいなくてうまくいくのは、もやもやする。やっぱり、よくやったねと言われたいのだ。
 人は人の中に居て、人からほめられると嬉しい。
 物事が順調に進むことより、自分がいかに評価され、大事にされるかが問題だ。
 チームプレイを重視する思想は、集団・組織体制では、何より大事な考え方である。

 新しいブランド
 ブランドは、変化する。高い水準のブランドを確立しても、世の中が変化していくので、ブランドも変化せざるを得ない。 そのままで誇っていたら、古典になってしまう。ただし変化のしかたが、格好よいブランド的でなければいけない。平凡な変化では、ブランドではなくなる。
 革新こそブランドの更なる確立のチャンスであり、リスクの時ではある。勝負の時であり、新たな賭けが始まる。
 わざ
 ひねりを入れる。ひねり、ねじれは相手にこたえる。
 ある殺人容疑者は、ナイフを抜く時にひねりを入れ、一発で殺傷した。どこで練習したのか。余りに計画が周到で長いと、気持ちが悪くなる。 決して瞬間的にかっとなり、切れたわけではない。冷静にしかもねちねちと、事を運んだ。
 ひねりは、プロの手法である。卓球、テニス、囲碁と、高級者は、ひねりを使う。
 「競争戦略」のM ポーターは、ひねりと共同の戦略だ。変なところに感心してはいけないが、Kは、頭が良く、小賢しい。極めて悪質な頭の回りである。

 思い出すこと
 「ラストタンゴ・イン・パリ」の絶頂シーン。あのシーンのために、映画がある。
女の子とのときめきを想う。

 自分が何をしたいか。
 それに対し、自分は何をするか。何ができるか。
 それがいかに重要でも、軸ではない。軸に振り回されてはいけない。

 プロへの道
ドトール・コーヒーのある店長 「コーヒーの味は、自分の口で調べる。メモは取らずに、1杯、1杯の味と香りは、体で覚えるようにしている。」

赤坂ベローチェにて K.Hは、B型の部下が苦手だ。本人はA型だ。
部下が朝、遅刻することが多いので注意し「フレックスにしたら」と言うと、「既にフレックスにしています。」と回答。
 パソコンの熟達者と、未だにワープロでは、勝負にならない。

 戦略のもと
 呉越同舟、降りてからのことを考えるとぞっとする。
考え抜いた後、人生の達人が高度の判断で、わざわざ同舟させたのかもしれない。 

 賭けは遊び。遊び心を持っていれば、賭けに進める。
 大きく勝つには、大きく賭けるしかない。あるいは小さい賭けを長く積み重ねる。
 そして愛。賭ける相手や対象に、愛を抱き、注ぐことが必要である。もっとも憎悪の対象にも、可能性を考慮し、畏敬の念を持って賭けることもある。 愛の見かけの対象を裏切ることにもなる。ゆえに時と場所を超えた賭けが始まる。
 恨みを抱かせないように、配慮することが普段から求められる。
 そもそもホッブスが説くように、人生は「万人の万人による闘争」に他ならない。自分が優位な時は、人を裏切ろうとは思わない。 しかし優位になり過ぎると、裏切られる可能性が増して来る。
 もし自分が劣位に立たされたら、どうなるか。しみじみと暗く思うことは、病的になる。しかし想定することは、大切である。 しっかり考えていれば、劣位に立たされた相手が、何を思っているだろうかという想像の基礎、ヒントにはなる。優位過ぎるのは、危険の元ぐらいは、肝に銘じることになる。

謙虚な振り返り
 マリア・カラスの言葉「不安を感じるのが、プロ。感じ始めたらプロに迫るということかしら」 必死の練習で、そしていつのまにかプロになる。

「マリア・カラス 最後の恋」
 根っからの美声、天性の歌手、世紀の歌姫
 15年間、歌い続けて声がつぶれそうだ。
 マネージャー兼事業家の夫の要請で、オペラ公演を引き受け続ける
 愛はどこに
 自分のことばかりだ。
 オナシス エゴイスト、闘争 NO1になる 世界的なセレブが好き
 カラスも愛人 席を入れない

   鳩
 伝書鳩が、羽を切られて捨てられた。夜の駅前で、朝、多くの鳩がばたばたしていた。羽がないので、ばたばたと足を動かしていたというのが、事実だ。
 みんな歩いて行く。
 若葉の季節に

 新緑が美しい。土曜日曜の休日には、庭の草取りをしているが、今の時期は、草がどんどん伸びる。それに雑草と言っても、 可憐な花を付けているとつい情がわき、抜くのにためらってしまう。あの寒い風雪の冬にも耐えて、やっと芽を出し、 今花を咲かせている。抜くどころか、ジーンと胸に来てこちらが勇気づけられる。それに雑草などと呼ぶのは、人間の勝手であり、一草、一草には、尊い命が宿っている。
 青年は、青春、若葉の季節だ。すくすくと希望に燃え、輝く季節だ。ところが昨今のニュースでは、若者が無差別に殺害し、しかも「死刑にしてくれ」などと、 理解しがたい理由を述べる。事件を起こせば、その罪により死刑に罰せられるということは、十分わかった上での行動である。もしそれが本心なら、余りに短絡的であり、余りに悲しい。
 友人や家族に心の悩みを相談しなかったのか。周囲も気が付いて声を掛けなかったのか。よく似た事件が連鎖するだけに、若者の絶望や苦しみが、 高まっているように思われてならない。本人の努力や忍耐力を高めるとともに、社会全体で若者一人ひとりを見守り、励まし語り合うことが、 大切だ。自分だけが良ければ良いという風潮が蔓延し、若者の心をも蝕んでいるように思われてならない。
 若葉の季節に、若者たちの心と将来を思う。

 ゲゼルシャフト
 ゲゼルシャフトの根幹は、競争であり、優位に立つもちものである。ただ寄り添うだけで、満足するはずはなく、よその利益集団にかっさらわれてしまうのは目に見えている。

 東京デビュー
 センター、国際都市、日本の代表
 だから地方にいると、東京で活躍したくなる
 地方出身者でも、しばらく東京にいると、東京人の顔をしたがる。またそれを行うことが、東京で生きていくルールである。

詩の鑑賞者
 ZEさんはまじめな職業人である。60歳まであと2年余りとなり、気のせいか少し弱気になってきたように見える。だからというわけではないが、 先輩のZEさんを励まそうとして、食事にお誘いしたところ
「私は、宮沢賢治の詩が好きでしてね。特に「雨にも負けず」がいいですね。出だしは、あなたも知っての通り、雨にも負けず、風にも負けずですね。 それから四季のいろいろが出て来るかと思えば、冬の寒さにも負けずと来るのですよ。
 東へ困った人があれば、西へと来ますが、なかなかおぼえられません。ただ感情的にならないとか、心配しなくて良いとか、いい言葉ですね。」
 「そういう人に私はなりたい」という結びがなおかつ素敵で、それはZEさんの信条でもある。一瞬、顔を見上げると、そこに宮沢賢治が蘇り座っているような気がした。

 ラベル
 もしもラベルを貼られたら、自分でお気に入りのラベルを貼ろう。
逆襲して、相手にラベルを貼る方法もある。しかしまず自分が得意とする明るく元気なラベルを、貼って皆に、知らせよう。そこから次のステップが始まるぞ。

 効用
 私の友人は病がかなり重い時があったが、回復して顔色も良くなってきた。そこでの経験談を話してくれた。
「病気が悪いときは、確かに薬を飲まなければいけない。自力ではどうすることもできないから、医者や薬の助けがいる。しかしいったん良くなりかけたら、 徐徐に薬を減らす方が良いと思う。薬で病状を抑えることはできるが、薬が切れたときは、元に戻るし、また薬を飲まなければいけない。 つまり薬が病状をそのままにするというか、つくってしまうことになりかねない。
 薬を切るのは、勇気が要るし、もちろん医者との相談も要る。しかし薬の依存を止めない限り、病気はなかなか治らなんだ。」
 友は長い間、病に苦しんできただけに、説得力がある。
「いつか薬を止めたい。」としきりに言っていただけに、願いが叶えられて良かった。

 ローマは一日にしてならず。
 アフォリズム集も、一日にしては完成しない。方法や要領などいろいろな執筆の要因はあるが、年期というか日月があってこそ、人生の味や自分自身を語れる。
 ただ誰かに訴えるというより、自分が誇れるもの、拠り所となる知恵や経験を語るのが大事である。メモを皆さんに告白し、 良かったら使っていただくというスタンスが大切だと思う。謙虚でなければならない。

 恐がりやすい者や神経質な者に対して、わざわざ恐がらせる様なことや憶測をあまりとやかく言うべきではない。 その話題よりも、言った者に対しての反感が募り、べつの面でいざこざが生まれやすい。

 K嬢との再会
 Kさんは会社の大先輩であり、仕事のやり方や考え方を基本から習った。
 Kさんは定年後も一人暮らしでさぞや寂しかろうと思っていた。いやそれほど真剣に考えていたわけではない。
 十年ぶりに再会したら、色艶もよく健康そのものであった。
「杖はつきたくないし、元気でいたいから週に2回プールで泳いでいるの。そのうちの1日は、先生についてボクシングをやっているの。」
 ボクシングは水中で行うもので、水中歩行と同じく水中は抵抗が少なく伸び伸びと運動ができるというのだ。高齢になると歩き過ぎは却って、膝や腰に負担になり体を痛める場合がある。
「はじめは恥ずかしかったけれど、やっているうちに体調がよくなったのよ」
と笑顔がさわやかで力がある。
 週に3回は、マージャンもしておられる。

「会社勤めの現役のときは、男の人ばかりやっていて、何がおもしろいんだろう」と
思っていたけれど、カルチャーセンターで習ってやりだしたのよ。そこの先生が雀荘をやっていて、昼間の5時までは、女性専用というか、32名が8卓を囲んでいていつも満員です。
 雀荘は掃除が行き届いていて、椅子の横のテーブルにはいつもお茶があるの。気がつかないうちに、ポットのお湯もいっぱいにしてもらっているし、 タバコは禁止。隣のテーブルの人たちが、お昼ごはんを食べても、気がつかないぐらい熱中しているのよ。そうそうお昼も、 雀荘のご主人の知り合いが弁当屋をしてあり、午前中に注文していれば、お昼には届いているの。
 賭けは小さいけれど、勝つと嬉しいし、負けると百円でも悔しい。メンバーはおおよそ組になっていて、次にする時は「こうしよう」と作戦を立てるのよ。 頭の体操に持って来いで、一日があっという間に終わるのよ。」
喜々として話されると、聞いているこちらまで元気になる。
 そう言えば会社のことは、ちっとも話されなかったなあと帰り道で、改めて感心した。

 考えるには、プラス思考が大切だ。
 たくさんのことを深く考えたところで、陰気なマイナス思考であったなら、生産性はないどころか、逆に健康を阻害し、元気を失ってついには考えることさえいやになってくる。 即ち自分で自分の壁を作ってしまうのである。
 自由な精神は、何事でも受け入れ軽やかである。表情も笑顔に満ち、足取りも軽やかである。

 旅という名の気晴らし、放浪
 放浪と言う名で、旅情

 戦略へのヒント
私は人生を考えると、つい戦略について考えてしまう。戦略が好きなのだ。
 ものごとをなす時は、要因や人間を選ぶことが大事である。選択ができれば、次にそのことに集中できる。あるいは一部分であっても、ひたすらに集中、 探求していけば、ものごとの概略なり、本質が見極められる。
 選択と集中は、道のりは違っていても、成功するために必要かつ十分な条件である。

 組織としての目標と、個人の目標がある。うまく合致したら、車の両輪のようにスムーズに回る。特に組織目標が達成し、その貢献も大きいと自他ともに認められる場合は、鼻高々である。
 競争は組織、集団としての競争と、その中での個人の競争がある。競争の環境や強弱により、個人間の競争も影響を受け、比例する。 そこで対外の競争は熾烈を極めても、体内の分は、公平に運営されなければいけない。
 客観性が求められる。
 人間は生身の体だから、好き嫌いが生まれ、競争の評価や判定には主観が入りやすい。主観で判断したことを、もう一度客観視する手順が要る。 暴走しないことだ。冷静に謙虚にものごとを見詰め直す時間と場所が欲しいところだ。

 情報は好きな人には、良い情報を送りたがる。情報によって好意を示し、相手から好かれたく思う。
 従って嫌われ出したら、良い情報ばかりか、情報そのものを送らなくなる。さらには今まで苦心して送り続けた情報がもったいないばかりか、 どこかに流れて不利益を被らないかなどと、あらぬことを心配し始める。そうなると不安から相手をますます嫌いになり、好き嫌いが天と地ほどに逆転し、負担になる。
 腹八分が、好き嫌いの世界にも当てはまるかもしれない。
 
 個人の戦略
 組織の戦略
 個人が社会の中で、組織の中で生きていくために、組織の戦略に従い、遂行する。
ただし個人としての戦略、本音、個人的な願望は、年令を経ても脈々としてあり、むしろ強くなる。個人は、社会化され、組織化され、組織人として行動するとともに、内面では、 個人化すなわち個性が色濃くなり、どくどくしくなる。
 体裁や格好で、内面は包み隠しても、個性は強化、熟成される。
 人は、心、言葉、行動。この3要素に概ね分解される。

 戦略は言葉で表現し、伝え、行動へと促す。

 個人は心。心が基本、根底。
個人にやる気を促すには、表現に細やかな神経を使う必要がある。組織の目標達成に向け、個人は行動を起こし骨身を削るのであるが、個人には個人の考えや目論見がある。 個人目標と連動してこそ、組織目標は達せられる。もちろん組織目標が、最優先されるのは、優秀な組織人は百も承知であり、その度合いこそが、優秀さを示す。
 しかし優れた組織人も、人の子である。もしピンチになったり、虐げられ逆境に立たされれば、どのような行動に出るか計り知れない。
 明智光秀などその最たる例であり、トップに反旗を翻す。優秀な組織人は、組織の中枢にいて、重要な情報を持ち、発信する。急所を握っている。 そこで厚遇される高位置が、ひっくり返ったり、ライバルからその地位を奪われたりした場合は、反逆の長になる恐れが生じる。
 全体戦略を握っている上に、個人戦略がエゴとともにむらむらと湧き上がっていく。
個は全体を優先する。個にあっては、当然であり、身を守るために必死で動く。後先が見失われ、時間の軸が薄くなる。明日よりも今日。今日が危ういと逼迫した気持ちに追い詰められる。
 君子も豹変。まして君子の一の子分などは、毎日が豹変である。じっと維持しているという選択を日々、神経質に行っているに過ぎない。スイッチは、いくつも手元にある。
 優秀な策士を敵に回したら、大変である。
 劣勢の敵は、その取り組みを日々、画策している。もちろん優勢な陣営も、相手側から優秀な者を取り組み、より強固になろうと模索している。
 状況は流転する。
 変動の主体になったものが、勝ちである。

 劣勢の側は、変動の受身に立たされた振りをして、転換および逆転の機を狙っている。その機、即ちタイミングと、場所、目的の変容、 自分たちに都合がよくなる次元の実現、評定尺度の変化を待っている。
 尺度さえいじれば、事態は好転する。少なくとも光が当る。
 この変容を図り、導こうとするのが、戦略である。

 組織の戦略をつくる際には、個人の戦略、少なくとも欲求の満足を配慮しなければならない。
  
飴と鞭
飴だけについていくような戦略家は、しれているが、人間は弱い。弱い面を持っている以上、ふらつき崩れる。弱さへと追い込んでは、危うい。窮鼠、猫をかむ。

 戦略は、TPO、時間、場所、目的に幅および深みの余裕を持った方が、成功に導きやすい。ぎちぎちでは、対応に追われ変容する過程で、戦略の大事なところが失われ平凡なものになる。
 あるかないかわからないぐらいに、ぼんやりした形と雰囲気を醸し出してこそ、効力を発揮する。相手からも見破られない分、攻撃されたり、予防されたりしない。

 戦略は十分に用意して隠しておき、相手の戦略は察知した上で、周到に叩く用意はしておく。
 状況に応じて、戦略をつくる。無戦略にして、速攻。

 戦略は、後付でも良い。とりあえず、急務を行い、しかるべき後にじっくりと、その後の展望まで踏まえつつ、戦略を立てる。

 戦術の大家。実務ばかりで、何年も過ごしてきた人は、戦略構築ができないというより、形式化した戦略など軽視にしている。
 「そんなものを時間と人をかけて作るぐらいなら、さっさと仕事をしろ。汗水垂らして仕事をしろよ。」と腹の中では、思っている。
 戦略家は、能力と成功体験もあるので、戦略の大事さをよく知っているし、戦術だけではいけないことをわかっている。戦術だけでは、壁に当たるし、 小規模に留まらざるを得ない。本来の力を発揮できないなど、もっともな理由を持つ。
 戦略家も実務、すなわち戦術レベルの仕事をすべし。
 戦術家も落ち着いた時間の中で、戦略をつくる、まとめる、練る等を行う必要がある。
 ものごとは、分析と総合から成る。片方だけでは、大家にほど遠い。
 人は、得意な分野に走り、のめり込みやすいが、苦手の領域も、普通のレベルまで習得してこそ、得意な領域をレベルアップできる。
 不得意な分野こそ、本当の力を発揮できる可能性も秘められている。
 「過去と虚栄」だけに、拘らない、溺れないことが、大切である。

 当面の問題を解決するのは、戦術であり、戦いが終わった後のことまで踏まえて考えるのが、戦略である。戦略は、必ずしも勝つことを目標にしない。 負けないように、引き分けでも可とする戦い方である。即ち、事を荒立てて戦うのは避け、平行線のまま状況を推移させるのも、高度で大局的な戦い方である。
 目に見える相手だけが、敵ではない。むしろ背後からひたひたと迫るものこそ、強敵である。あるいは味方と称しながら、 いざという時は首を取ってやろうと思う紳士・淑女的な優しい素振りの強敵もいる。
 従って、強敵と思われる者も、いつ親愛なる味方にならぬとも限らぬのである。
 実力者、すなわち強敵は、機をみること敏であり、相手の力量を自力と比較して計ることに長けている。それらの強敵に対し、 一本調子で攻めまくるだけでは、埒が明かないし、平和を求めれば肩透かしを食わされ、多大な労力が無駄になる。
 大きく敵を囲んで、陣営を固め増やすことも賢い選択肢である。
 その応用として、相手の旗になびき、取り合えず相手陣営に参加するのも、遠謀深慮の考え方である。部が悪いなら、 消耗しないように考えるとともに、勝ち組の一員として大きな顔をするのも、一法である。
 負けるが勝ちとは、表面にとらわれず、真相をついた我慢のいる高等戦術である。

 人は集まりたがる。集団を作るのは、本能であり、生きて行くための知恵から生まれている。
 ゲマインシャフトもゲゼルシャフトも、原理は同じところから発生している。できてしまえば、後は集団行動の原理から動き進む。

ブランドへの道
 ブランドは風評であり、人気投票のランキングである。
みかけが良くなければ、投票は入らない。しかし急げば回れで、内実が豊かで、正確、嘘がないことが、基本条件である。

 司馬遷「史記」より
・深き川にいる魚は追うな。
  もう一つ気分がすぐれない者や鬱屈した人は、おもしろくないことや辛いこと
を抱えている場合が多いので、あまり根掘り葉掘り尋ねてほじくり返さないように
した方が賢明である。

 ある苦悩者
 生い立ちの問題は、誰にもある
 特に義理の親から育てられると、反発するか、無理に合わせていい子ぶろうとする。
 幼くして場の雰囲気や親、即ち相手の意向を察知する能力が高められる。そしてよく出来る子になる。
 場において、その時に何をなすべきか、理性で読み取る。しかし欲望は、もっくりと顔を出し、場合によっては早熟にかつ異常な方向に発展する。 しかも得意の理性で上手に欲望をコントロールできるならば、目覚めた欲望は長い年月をかけ育てられ強固なものとなる。
 
 理性は青年期に生まれる。ところが欲望や感情の発達より先に身に付けた場合、本当のコントロールが難しくなり、 異常な性格や奇妙なバランスの成人になる恐れがある。誰のせいでもないのだが、そこで本当の理性、即ち大人としての人間性が求められる。

 要約の陥穽
 要約の優れた人は、現実から目を離しやすい。現実は見ているのだが、自分の頭で取りまとめてしまおうとする。またそれが上手だから、習慣にもなるし、特技にもなる。
 例えば、人の話をまとめようとする時、聞き終われば、頭の中にイメージが湧くし、言葉や表情をもとに深層心理まで迫ることもできる。しかし真実は相手の言葉の中にある。 言葉は裏表があるとは言っても、相手の言葉に真実がある。たとえ裏から発言したとしても、裏を言わんとしたことに、本音があるし、それ自体は真相である。
 言葉から自分流の要約に走るのではなく、相手の思いや心理、背景にまで心を寄せることが、真実に迫れる。何より心が心と触れ合い、交わることができるからだ。 それを要約から解釈に走ると、自己の世界を一人で掘り下げるだけで、現実から離れ背く。
 はやくまとめたい。あるいはしっかりつかみたいという気持ちは強い。しかし本当は相手の気持ちをいかにつかむかに掛かっている。 辛抱が要る。焦ってはいけない。そしてその人と1泊2日の旅を楽しむように、じっくりと思い遣り、考えそして感じた時に、インタビューのレポートができる。 少々言葉は拙くとも、相手のその方が喜んでくれる作品が完成する。自己流ばかりでは、進歩や発見に乏しくなる。

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