イチロー選手

宮川俊朗


イチロー選手
      宮川俊朗
 イチロー選手がマリナーズからヤンキースに移籍した。アメリカ大リーグ12年目で38歳、逆は多くあっても、ヤンキースに招かれるとは本人もびっくりしたであろう。ヤンキースの有力な外野手が負傷し、手術をしなければならず、今シーズンの出場が絶望的になったためだ。ヤンキースとしては、何とか穴埋めをしなければ、リーグ優勝はおぼつかない。
 そこで俊足で強肩のイチローに白羽の矢が立った。交換トレードだ。
 イチローは年間200本の安打を連続で打ってきた。ところが昨年は200本に届かず、打率も3割を切った。得意のバンドヒットの成功確率が落ちたからだ。折角良い所へバンドしても、アウトになる。
 コーチで先生の中西太さんが
「足が遅くなった。人よりはまだまだ速いが、あと半歩のところでアウトになる。年齢から来るもので、仕方なかろう。」
と寂しそうに話されているのを、私は側で聞いた。
 イチロー本人もマリナーズの首脳陣もヤンキース側もそのことは知っている。
 それでもヤンキースに招かれた。三顧の礼とは行かずとも、きっちりとビジネスの価値として認めて、8番に抜擢した。
 守備と強肩は、名門ニューヨーク・ヤンキースになくてはならぬ武器だ。次が9番ピーチャーだから、もうバンドヒットを狙う必要はない。あるいは時に敢行するだろうから、それも楽しみだ。
 レフ8、ライ8と、レフトでもライトでも守れる。弾丸ライナーが飛んでくる外野だ。俊足のランナーが駆け巡り、その一歩前で強肩のボールで刺す。スリリングな場面が起こりそうだ。
「敵を知り己を知らば、百戦戦うも危うからず。」
とは孫子の兵法だが、イチローは練習を重ね、見事に兵法の一端を実践している。自分の強みと弱みをわきまえ、磨き鍛えて勝負する。プロ中のプロだ。
 活躍に期待したい。

 イチロー 2
 イチロー選手は、名古屋の名工大附属高校を卒業した。中学時代から野球の才能は芽生え、引き手あまたの中で、自分で高校を選択したと言う。
「野球を上達するには、どの高校が最適か。」
という問いの元に、多くの高校を放課後に見に行った。
 練習の仕方から監督の考え方、更には甲子園出場に向けての成績等を細かく、自分の目で見て確かめた。まだ15歳の中学生の頃である。
野球の構造と自らの将来像、更には大リーグで活躍する姿まで描いて、高校を選択した。こまめに指導してくれた父親とも相談したにちがいない。

 イチローは抜群の成績で、プロ野球にスカウトされた。練習の賜物であったが、工業高校での勉強が野球の腕を上げるのに役立ったと思われる。
 野球は球とバット、グローブとの相対関係、相手が動くのに合わせて、先を読みながら動かなければならない。もちろん一か八かの山を張ることもある。運鈍根の世界は、賭けの入る要素もある。まじめに練習を積み上げてもしれている。どんぐりの背比べである。
 打ちたい球をわざわざ空振りして、次に同じ球を誘い、狙い打ちをする戦法もある。ストライクを一つ献上するから、ハンディのある戦法だ。「肉を削って骨を断つ」のすさまじい世界だ。だから賭けの要素は多くなり、スリリングな場面が増える。
 イチローは科学的に野球を解明し、その理想像に向かって練習を重ねた。
 振り子打法は、オリックス時代、コーチから禁止され、反抗したイチローは、二軍で冷や飯を食った。もし仰木監督がイチローを見出さなかったなら、単なるへんてこな打者で終わっていたろう。仰木監督は、一見、奇妙なトルネード投法の野茂をエースに抜擢して仕上げた。
 ヒットを打てばよい。
 内野であろうと外野であろうと、ヒットになれば良い。
 しかし相手のピッチャーも打ち取ればよいと、緩急自在の球を投げてくる。ピッチャーの投げた球しか、打てない。ここで打者は受身に回るのだが、得意のゾーンで待ち伏せ、おびき寄せる手がある。これも賭けである。
 イチローは球の流れと速さに応じて、スイングを変えた。つまり球がピッチャーの手を離れ、キャッチャーのグラブに吸い込まれる間に、スイングを変形させた。ヒットを打てるように変形したわけで、スイングの幅は誰よりも広く深い。眼力と足腰が良いのも、スイングの幅とフレクシビリティを可能にし、そのためには誰よりも練習した。
 動くものを動いてとらえる。
 グラブで球をつかみにいくように、バットで時速145kmの球を捕らえ料理する。手のひらには、詩人のような繊細な感受性がある。目の神経で捉えた、球の情報を手に伝え、待ち受けるように先に振る。振り子は基点と先端があり、常に動いて獰猛な動物のように獲物を狙う。
 イチローが振り子打法に到達した影には、高校での物理や数学の考えが役立っている。応用しながら、独特の打法を修正し高めていく。 
イチローはダブルヘッダーで、8打席7安打の猛打を放った。振り子打法から一つ上の打法を開眼したのかもしれない。移籍したヤンキースでの輝かしい1ページである。

小林秀雄の言葉
 赤心を以って腹中に入る。

 歴史に対しては、屈服を始めとしその後に懐を探る。
対等とか、現代から過去を見下ろす、あるいは欠点を批判する態度では、何も学べずずれてしまう。謙虚に見詰め、見守るのは自然に対するのと同じ態度で、「どうにも勝負にならない。」との覚悟から、一つ一つ探り、発見するのが正しい。

評論を書くには、論理を組み立てるとともに、心理分析を深めなければいけない。
小林秀雄の得意とする評論は、理性による論理の組み立てから成り立つ。論理がなければ、思想は上に進めないし、横にも広がらない。しかし論理ばかりで、ゴリゴリと組み立てたところで、読者はついていけない場合がある。一旦、筆者の論理に疑問を持てば、それからは意見に隔たりが生まれ、反論を心の中で行うようになる。
詩やエッセーならば、作者の感性や詩情から自由に綴られ、歌われるという前提があるから、読者も距離感に対しおおらか且つ自由に読み進めることができる。わからなくても楽しければ良いというような気分も許される。
ところが論理は、将棋の指し手のように正しいか誤りかという具合に絶対を求める。真実はどのジャンルでも「絶対の探求」である。しかし読者は人間であり、感情の塊だ。いくら「理性が大事」とカントから説かれても、感情がついていかなければただの「紙書き」に過ぎない。
「読者の思考及び感情に思いを寄せて、評論を書くのがよろしい」と小林秀雄は提言する。独善の戒めである。評論家も一人の人間であり、一社会人である。同じ社会人たる読者に、それも高価なお金を払ってくれて読む方へ、心の状態と流れを無視して書き進めるはずがない。近代社会はお金を中心に回っているから、本の金銭的な価値を考え、その読者は失望して次から買わないまでだ。
一人の市井人が何を考え、楽しみ、苦しんでいるかを推察した上で、自己の論理を力強く展開し、説得し、共感を得るのが高等的評論の極意である。どんどん書いてよいならば、これほど楽なことはない。ぎりぎりに悩み、選び、決めるのが、才能であり誠実さだ。呼びかけながら自己の説を展開する、あるいは陰になり見えない思想家に対話をしながら語りかける。社会生活、家族の暮らしがなければ、いくら孤高の評論も唯我独尊の憂き目にあう。
評論は神聖にして、謙虚に書く。筆舌は激しく、奇異な文章を用いようと読者に敬意を持って書く。
小林秀雄は、その道を貫いた。

日々の感想

 幅を広げて、寛容に聞く。

「嵐の船でも、沈まないとわかっていれば、楽しい。」
 保証してもらえたら、冒険は楽しい。しかし誰が保証してくれるのか。

 細かく言い過ぎるのは、よくない。相手が大雑把な性格の持ち主なら、なお更のことである。 Tに対して、病気になってしまったSに対して

 肩が凝るように、目も凝る。必要以上に集中してみるためだ。目的に対し集中させられている。適当に見てよいはずのものまで、真剣に見る。「よく見える。よくわかるね。」などと誉められ、自信を持つために、単に確認すれば良い程度のものまで、深く観る。背景をそして背後を知りたい。人より上回りたいという欲望と競争心も加わり、穴があくほど見てしまう。「眼光紙背に徹す」は、ここぞという時に取る態度だ。良く見えても、昼行灯のようにぼんやるとしている。生活、長生きのための知恵である。
「よき彫刻師は、少し鈍き刀を使う。」
は、徒然草の一節である。
 この言葉のありがたみがわかるには、年期がいる。苦労と喜びも要る。

 ニヒルな感じはいけないね。何を考えるにしても、暗く危うくしか思わない。
 敢えて楽間主義にとまでは行かなくても、世の中や人々を信じ、価値や意味を確かめつつ進みたい。自分の価値や能力を信じ、自分自身にも優しくありたい。

善 
 善を積み重ね、相手に誉めてくれと迫るより、普通に行動し、普通の人間関係を築くことも大事だ。善の施しによる優位性を誇ったり、自分の善を素晴らしいと誉めるのを待つのはおごりだし、スムーズな付き合いにはほど遠い。
 むしろちょっと悪をなし、相手の悪行も黙認するぐらいの度量の広さが必要だ。人間ははかなくもろい。自分自身がいつ悪行を成すようになるか、明日はわが身。
 そこで善を探求し、実行する。謙虚にして積極的に、お互いを知り、特に良さを知りながら協調、協同していく。根気の要る仕事だし、人間関係の根幹を気づく。
 まだまだ修行中、現在進行形である。

 加勢
 仕事が捌けないある男性社員のために、伝票識別の印鑑を私が押すことになった。彼は記憶力が衰え、先ほどまでしていた仕事の内容を忘れることが重なった。誰でも仕事が輻輳すれば、スムーズに全てをこなすことは難しく、取りこぼしも出る。
 彼の場合は、単調な整理作業が多く、一つずつ重ねれば込み入ることはないと思われる。しかし酒の飲みすぎか、記憶力がめきめき落ち、席を離れただけで、進捗状況を忘れることが多くなった。そこで彼はやたらにコピーを取り、仕事の取りこぼし防止に努めた。
 その努力はわからぬでもないが、今度はコピーに基いて仕事をするからダブりが生まれる。同じ伝票で二度打ちまでして、外部の方に迷惑をかけるようになる。
 このダブり防止のために、私があらかじめ朱肉の印鑑を打った伝票だけを取り扱うことに決めた。本人はその意味を余り理解していないように思われた。
「いろいろとご迷惑をかけます。」
とは言わない。
 単に作業手順が変わっただけと思っているらしい。
 しばらくは、二度打ちはなくなった。
ところが私が多忙の余り、印鑑を打つのを忘れた。必要性を余り感じていなかったからかもしれない。
 上司は
「印鑑を外して、コピーしたのかな。そんな事を彼ができるのかしら。」
と首をひねりながら呟いた。
 私は、初めの内は何のことかわからなかったが、顔が赤くなるのが自分でわかる。
拙い彼を手伝うために、印鑑を打つようになったが、それは仕事の付加である。
 私は合点がいかない、彼がちゃんとしてくれれば、こんな作業は要らないはずだと考える。おちこぼれを助け、支えるのも組織人として大事な務めだ。しかしそのために新たな無駄とも言うべき仕事が増える。そしてきちんと完璧にやらねばならない。まるで彼の下請けになったような気分になった。
 気持ちを集中して印鑑を打ち、間を取って、確認した上で、彼に伝票を回す。
 私は自分の作業手順を確認して、淡々と進めようと決めた。混濁合わせのみ、太っ腹で優しく勤める。私へのテストでもある。

 高倉健の「あなたへ」2
高倉健の「あなたへ」の劇場公開が迫る。暑い8月が待ち遠しい。
高倉健は寡黙の人だ。ビートたけしがよく喋る俳優ならば、対極として高倉健がいる。
いるから、寡黙に見える。本当はずっと思い考えている。以前、貧しい人を演ずる時に、「本当の貧しさを知りたい。」と電気を消し、3日間断食に近い状態でフラフラしながら、撮影に臨んだことがあると聞いた。美味しいビーフステーキやハンバーグをたらふく食べながら、貧しい人の気持ちやお腹の空き具合がわかるわけがない。
黒澤明監督が「用心棒」を撮るために、主演の三船敏郎を三日間縛り上げて、苦しい様を映像にした。三船は事前に設定を聞いていなかったので驚き、空腹と苦痛でのた打ち回った。その囚われの身の惨状が、映像化され、「用心棒」はヒットし名作に上げられる。
高倉健の場合は、自ら役に徹するために生活を変化させ、肉体的にも精神的にも役になりきる。
今回は「東日本大震災後の思いを映画に託したい」と新聞記者に語っていた。寡黙な名優には、インタビューしたいものだ。記者も探究心と商売根性がムラムラと湧くはずだ。
「それでも生きていく」「みんなで生きていく」という思いが、「あなたへ」へ濃厚に反映、展開しているはずだ。あるいは個人的な気持ちとして、さりげなくささやかに表現されているかもしれない。この派手さ嫌いが、ファンにはたまらなく魅力的である。
高倉健の舞台は、映画ロケ地であり、人生そのものだ。人生そのものは観客であるみんなと同じである。だから高倉健に会いに、劇場に足を運ぶ。たとえずっこけた演技でも良い。(完璧を求める健さんには、そんなシーンはない)
あと何本見せてくれるかなと、高齢に差し掛かられたカリスマ俳優に、観客はハラハラしながら貴重な時を娯楽として味わいながら、自らの時を楽しくかつ厳粛に生きようとする。これを言うのは恥ずかしい。だから劇場で家族にも内緒でこっそり、健さんと対話をしに行く。
 映画は撮り終え、編集の段階だろう。どう料理するかが見ものだ。観客は料理された一品を味わうしかないのだが、含まれた思いを想像力で追いかける。

 相対主義
 いつもお客さま相手の仕事ばかりしている。お客さまは、社内の上司や他部署の方もいる。たまにはゆっくりしたいと思う。そして閑静な場所に一人、ポツ然と仕事をする日が来た。誰とも交渉せず、精神的なサービス提供する必要もない。
 なんだか物足りない、心が空で、ちっとも回らない。
 きっとリタイアしたら、こんな気持ちになるのだろう。

希望、生きがいとして働けたらよい。人間考察、社会学の構築に向けて頑張りたい。その視点が乏しければ、単なる歯車としてグルグル回るだけだ。
 
リルケの「マルテの手記」をゆっくり読みたい。この詩人の手記は社会と個人のことが祈りを伴いつつ、パリで綴られたと聞いている。




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