ジレンマ

宮川俊朗


 告白は胸の痛みを伴う。「もの言わざれば、腹ふくるるわざなり」という格言に従えば、蟠りは一日も早く誰かに告げて解消するのが望ましい。悩みの相手に直に語るのが何よりだが、そこまでの展開は難しい。かといってまるで部外者では、たとえ親友であっても優しく丁寧な言葉で一蹴されるのが落ちである。友情が働いても、苦悩が医者の診断のように冷静に分析され、心の問題よりもしくみやスタイルとして扱われるからである。
 当事者だっておおよその答は持っているが、成功の確率ばかりか失敗した時に晒す恥、いつかは立つだろう風評、我執、不思議なことだが悩みの相手との微妙で激しい競争心、それに危険度を考えると七転八倒で蟠りは膨れあがる。
 だからきつい恋愛を経験すれば、事業家あるいは勝負師としての腕を上げられる。しかし読みと駆け引きに関してはすご腕と称されても、その実、心と臑には傷がある。しかも無理を承知で際どくまとを狙おうとする快感の反面、危うさはいや増す。賭けのスリルが嬉しくて、凡人が立ち入り難い異常な世界に足を踏み入れてしまう。
 山本俊治の場合も初めは仕事の相手であった。ある市民運動の事務局に会社から要請され、運動を盛り上げるために、シンポジウムを企画する役割を仰せつかった。まず各界の著名な論客に運動の理解して貰った上で、公開討論のなかで光りを当てて貰うようにお願いする。各界というのが味噌で、もし一人の論客に演説をして貰うならば、いかにも一方的な応援演説に聞こえる。話のここ彼処から、よいしょ、よいしょの掛け声が聞こえて来るようだ。ところが各界となれば、多角的なおもしろさが生まれる。もっとも議論が伯仲すると、街のスクランブル交差点のような混乱が生まれる。即ち論客たちは自分の得意な専門分野からばかり意見を発する。いずれも高度で尤もではあるが、議論に負けまいと自分に固守する。聴衆からは喧嘩や派手な劇に似ておもしろいが、収束が難しい。発言がいわゆる我を忘れてだから、運動の目的から外れてしまうことになりかねない。そこで事務局としては腫れ物から手を引っ込めるようにシンポジウムの開催を避けてきた。
 山本は携わる運動には多少の疑問もあったが、シンポジウムそのものには興味があった。同僚たちは失敗の危険を嫌ったのに対し、ひりひりした手触りを楽しんだ。混乱は途中であるだろうが、そこを乗り切り収束させる道筋の模索にぞくぞくする興味を抱いた。
 事務局長は初め首をひねっていたものの全権を委任すると、山本は燕の早業で各方面を飛び回った。依頼の論客たちは書斎に長く籠もる分、演壇が好きな方も多く一つ返事で快諾した。
「十分に喋らせて欲しい」と念まで押した。
 論客方はシンポジウムのしくみとともに大変さをよく知っており、内容の要望があればお応えしますよという意味である。
 山本が「思う存分にどうぞ」と即答したので、彼らはますます意を強くした。条件での自由自在な発言はおもしろく、会場があっと驚くような創意工夫を仕掛けたい。それが運動の推進に役立つし、裏を返せば商いである。
 ところが公開のライブとなれば、華が欲しい。ごりごりとした取っ組み合いでは妙味に乏しく、華麗な花が望まれる。
 清水真美女史は単なるかわゆい微笑派というより論理明快で、もし名を伏せた議事録からは進行リーダーにも押されるほどの実力者だ。そこで清水に出演を依頼する場合は三顧の礼を尽くすのは勿論、男性たちより高いギャラを約束しなければならない。極論すれば花は三対一の役割をしてくれるから、三倍のギャラでも惜しくはない。
 山本はそこまでのありがたさもわからぬまま、清水女史に直にお願いをした。一月前の会合で清水の明快な弁舌を観たばかりで、自分の判断には自信があった。もっと詳しく知っていれば、高嶺の花には身がすくんだであろう。
「何を話せば良いのでしょうか」
 清水は簡単に土俵に乗ってくれたし、行きつけの喫茶店でカフェオーレをご馳走してくれた。
「サインをしますから大丈夫ですわ」と断りまで足した。
 山本は市民運動の趣旨を述べ、清水女史の役割についてゆっくりとお願いした。思いつくままに語ったのであるが、日頃から大事にしていたキーワードが散りばめられ筋が通った。清水は頭のなかで言葉を線から面へとつなぎながら、山本の手腕が気に入った。気が合ったのである。
 それからも山本はシンポジウムの成功に向かって、清水に対しこまめな情報を送り続けた。清水は教えて貰うままに段取りが自然に出来上がってゆくのが嬉しかった。清水真美の美貌は自他共に認めるものであり、依頼者の大半は容姿端麗さを近くで拝見したいがために、打ち合わせの回数をやたらに増やす。しかし山本は仕事中心であり、このひたむきさが、真美の心を打った。
 私の美貌を問題にしないばかりか、軽い否定さえしているのではないか。いや山本さんは自分よりもっと麗しい女性とお付き合いをしているのではないかしら。
 そこで清水の方から「もっと綿密な打ち合わせをしましょうよ」と申し出て、テーブルにはカフェオーレやケーキが所狭しと積まれた。山本はお勧め文句のよく利いたケーキを忠実に頬張った。
 チャンスはそこに転がっている。
 山本がショートケーキの話をすると、同僚たちぱオを流しながら聞き入った。もしこの中の一人が同席させて貰えるならば、火の中にも飛び込んだであろう。しかし山本はまるで無頓着であるかのように、仕事ばかりに精を出した。そこでシンポジウムは初期の目的の通りに成功を重ねたのであるが、清水女史にしたら拍子抜けの感がした。
 依頼者の殆どは自分の美貌をより近くで観たいために、好条件を続々と用意する。もし精緻なシナリオを求めれば、依頼者たちは徹夜をしてでも粗筋を組み立てるであろう。
「もっと花になりたい」とおねだりすれば、他論客の発言分を少々地味にしてでも花をつくった。ところが山本は清水を同等に扱い、従来と比べればやたらに指示されたような印象を持った。
 真冬に開かれた際は、清水は手みやげを持って行った。山本がそれほど感激しないので、銘柄の素晴らしさをはにかみながら説明した。

 山本は日の当たる道をゆっくり歩いていた。早春の風が頬にすっと触れた時、清水真美は自分に惚れているのではと思った。それはひょんな考えだし、傲慢故に我ながら恥ずかしかった。しかも土産を抱えて来てくれたのに、自分は鈍さの塊になりうっちゃってきたではないか。
 シンポジウムの講師も元を正せば、自分に逢うためではないだろうか。あれほど才色兼備の女性が社会的にちっとも冴えない自分に思いを寄せている。

 まもなく清水は転勤し担当を外れた。だからというわけではないが、それからのシンポジウムは道筋が混乱し、収束が難しかったと聞いた。清水も演台のライバルに負けまいと論陣を張り、勢い余って事務局のもくろみから外れた。事前の打ち合わせも十分ではなかった。
 長い間恐れていた事が現実となった。山本は清水の真意を聞き正した。
「どこが間違っているのでしょうか」と返しはきつかった。
 心の内を告げたかった。済んだ事を細かく語れば語るほど、事態はこじれる。自分から掛けたプライベートな電話は初めてであった。
「いや清水さんはいつもと論調が違うような気がしたからです。気持ちを確かめたくてお電話したのです」 
「新聞の報道はあくまでも一方的でセンセーショナルにしか書かれていません。私が本当に何を喋ったかは、議事録を読んでくださればおわかりになると思います」
 さようならと告げたか、失礼と引いたのかは帰り道で容易に思い出せなかった。夜道は長かった。時間が経つにつれ、真実は浮き彫りにされた。清水は予測データに基づき、運動応援の発言を精一杯してくれていた。事務局の連中は新聞の断面を捕らえて、折角今までに協力的だったのになあ、反対意見を言われるなんてといつまでも余震のように振り返った。
 山本は仲立ちの自分がいなくなったばかりにこんな様になったと半ば悔やみつつ、妙な自慢心も浮かんだ。清水さんは、事務局で孤立する自分を助けようと精一杯のことをしてくださったのだ。自分がここにいなくなれば、運動で掲げた夢について冷静に発言するのは当然だと心に言い聞かせようとした。
 山本本人も転勤して第三者の立場から、運動を賛成しながら冷静に眺め始めた。しかし火が付いた恋心はどうすることもできなかった。
 もしクレオパトラの鼻が低くかったら、世界の歴史は変わっていただろう。
 パスカルの箴言を思い出しては、自分に当て嵌めてみた。清水真美をクレオパトラに例えるのはどうかと思うが、とにかく至近距離に長くいさせて貰ったことが、「たら」「れば」の仮想を牛の胃のように反芻した。仮想に熱いせりふを僅かでも加えれば、愛は実ったと確信すると、居ても立ってもいられなくなった。おまけに電話での詰問で何もかもを台なしにしたかと思えば、せりふは前衛劇のように激しくまた奇妙な方向へとさまよった。
 清水女史があの運動に関わる会合からすべて降りたと知人からこっそりと聞いた。降りるというどこか素敵な響きがあり、さすがに才色兼備と感心もした。しかし関わりには自分も含まれている気がしてならない。

 三ヶ月後の晩秋、山本は意を決し携帯電話を清水にかけた。三ヶ月という期間は諸々の罪を赦してもらえる長さと考えたからだ。いろいろと弁明ではなく挨拶程度の時間だから迷惑は掛けない。何より声が聞きたい。いや清水の方だって自分の声を待ちわびているはずだ。
 何度も発声練習をした後、本番を試みると
「今、電車の中です」と場所の説明が返って来た。
 三十分も経てば降りるだろうが、もう一度試みる気にはなれなかった。足を洗う方が良い。
 押し寄せるさざ波を何とかうっちゃりながら、年は暮れる。腹の虫がのこのこと這い出しては、電話を掛けたくなる。しかしまたもや彼女は電車の中にいるような気がしてならない。やりわりした口実なのだ。きっと電話ぐらい十分に掛けられ所にいるのだが、白黒つけるのを遠慮しているにちがいない。
 山本が引いた分、清水があっさりと押し切った。今更「好きです」と勇を振り絞っても「ああそうですか」と一蹴されるのが落ちだ。未練を断ち切れないストーカーのようだ。ふつふつと思いを湧かせながら断られるのは、無期懲役の囚人にも似ていると思う。
 
 まるで対照的な出来事が起こる。日常生活を闇から眺めることで、光りが満ち溢れる。山本は仕事仲間と酒を酌み交わす。量は余り進まなくとも、酒は日常から離れたときめきを醸し出してくれる。もともと日本人は本音と建前の二重構造のなかに生きていると言われる。アメリカナイズが進む今日では、本音をストレートに語れる若者が増えている。しかし昼間が建前中心の言葉ならば、酒は本音の湖から思いを発してくれる。わざわざ深層心理などと難しい説明をしなくても、押さえた枠を取り払ってくれる。
 忘年会の酒は特に利く。山本はにこにこしながら飲んでいた。座を一巡しようと試みようとした時、ある女性がこちらへと来た。
「この前の勉強会にはおいでになりませんでしたね。心よりお持ちしておりました」
とうら若き乙女が声を掛けて来た。
 山本は感覚的な分、ずぼらな性格なので興が乗らないと資格取得を目指す勉強会にも行かない。資格は自分自身のためだから他人からいろいろと言われるような筋ではない。なぜ注意するのかと首を廻すと、さっきの乙女が正座している。
「本当にお待ちしておりましたのよ」と繰り返した。
 哀願する調子が胸に響いた。
「用件があったからです」と咄嗟に言い訳をした。
 本当に来てくれと頼まれたのなら行くつもりだったと言い訳しようかと思った。
 顔がくっつきそうなくらい、安田恵美が迫った。山本はじっとしているから、恵美が乗り出して来た分、接近した。酒宴が盛り上がっているので、この程度の近づきは珍しい光景ではない。しかしよそは三名以上の車座であるのに、ここは将棋でも指しているかのように一対一である。
 清水が若い女性と話したのは久し振りである。しかも相手がえらくうち解けているからきょとんとした。お酒のせいではあるが、おちょくられているのではないかと訝った。しかし安田恵美が余りに真剣なので、丸っぽい顔が四角に見えた。
「来年から私たちの勉強会に来てくだされなくちゃ嫌ですよ」
 中身はくどいほど同じなのに凄みが帯びて来る。清水は答えようがなにので首を二、三度振った。わかったよという合図である。恵美はやっと納得してくれたかとばかりににんまりした。
 ところが首を振ったのが「こちらへ来いよ」という合図と勘違いしたのか、仲間が寄ってきた。どやどやと現れて賑やかな車座が生まれた。来客組は可愛い女性に敬意を払いながら、駄゚ュ落で場を盛り上げようとした。清水はこれ幸いと誘いに乗ったが、安田も連れられて興に乗った。自ら゚ュ落た言葉や少し際どい色気まで披露した。清水は笑いを振りまきながら難局が去ったのを覚えた。
 翌朝のバスで、昨晩のことをスライド映写のようにゆっくりと思い出した。当然に安田恵美からの大胆な呼び掛けが胸に響いた。映画で熱い告白のシーンを観ることはあるが、直に受けるのは十数年前のことである。即ち結婚してからは遠く遮断された世界である。
 安田恵美さんは本当に自分に告げたのだろうか。
 酔狂に任せて誰彼なしに言ったせりふが偶々、自分にも廻ってきただけではないのだろうか。
 鬼の首でも取ったように友達に話そうものなら、
「冗談というものだよ。僕にも言われたから一緒になって茶化しておいたよ」と一蹴されるであろう。
 恵美のことなんかうっちゃっておくのが賢明と次の場面を思い出そうとした。しかし恵美は瞬きひとつせず、じっと自分を見つめている。その訴える姿は真剣さを超え美しい。目の輝きには魅せられるものがある。
 それ以上は劇的な場面は現れそうもないので、車窓に目を移した。幹と枝ばかりの木々は木枯らしに吹かれて屹然と聳えている。この荘重さが春を一日一日と呼び込んでいる。
 清水は自然を眺めていると猥雑な生活や我執を忘れる。心が空になるのだが、このほんわりとした気持ちが幸せをつかみたいと思う時に現れるのはいつも清水真美であった。真美との楽しい語らいやショートケーキ、短い散策の道のりが鮮明に思い出される。日記にもメモ帳にも一行も書いていないのに、頭がそして五感が覚えている。
 大事なことはメモに残さない。いやメモ書きしなければ記憶に残らないようなことは
重要ではない。この粋がった信念は気障に聞こえるだろう。だから自分の胸だけに仕舞っている。そもそもプライベートで大事なことはいくつもないはずだ。僅かなことを覚えられなくてどうするのか。
 優れた忍びの者は平静さを装うために書状は携えなかったと言う。秘密は頭の中に叩き込んで遠路を駆け抜いた。万葉の歌人たちは道中にメモ紙などなかった。琵琶法師は盲目でありながら平家物語を諳んじていたという。 
 山本は故事を尊ぶために、スピーディな現代社会に遅れがちである。誰よりも自分が知っていることではあるが、心構えを変えれば改善できるという期待は抱く。
 しかし車窓に清水が現れると陶酔感にひたれる。正しくは挫折感であるが、ときめきの積み重ねは宝である。ときめきを思い出の上に好きなように重ね合わせる。極論すれば事実さえベースにあれば、ときめきや夢は塗り放題である。
 例えば旅人が街のお目当ての場所に向かっているとしよう。街は碁盤の目のように整備されている。一部は曲がりくねり行き止まりや迷路もある。それでも憧れの地を目指して歩む。憧れの人や物に逢うまでの時間を大切にしたいために、道は複雑怪奇でも良い。それは詭弁にちがいないのだが、のっぺらぼうで目的地が初めから見えると詰まらない。旅人は憧れを抱いて歩くことが好きだ。
 山本も旅人になり真美への憧れが車窓に現れる瞬間が待ち遠しい。本当に終着駅で真美が待っているなら、春霞のような憧れは消え失せる。貧すれば鈍すか。挫折がきつ過ぎたから、会うのはもう止めます。会いたがりませんと肝に銘じたせいでもある。そのせいか電話を掛けた残酷なシーンが現れるや、測ったようにバスは目的地に着くことになる。
 これは単なる気紛れであり、空想の世界だ。しかしこの憧れの塊が飛来するのを楽しみに通勤していると言っても過言ではない。しかも内緒にしていることが宝を保ち続けている。もし喋れば、何をめそめそと悩んでいると笑われるのが落ちである。秘密は戦略の元である。山本は色っぽい話を殆どしないために堅物と見なされている。
 美人の清水真美が好意を抱いたのも、得体の知れない憧れが山本の周りに漂っているせいかもしれない。それからしつこいほど会話の場へ誘ったのも、山本の正体を知りたいし、できれば本人の口から解き明かして欲しいという一念からであった。山本は奇跡的な勧誘を遅ればせながら恋とみなし驚いた。しかし清水にしたら、得体の知れないものからいつまでも追い掛けられるとは夢にも思わなかった。憧れが別の対象に向けられるならば、清水だっておもしろい行動として誉めていただろう。しかし自分のハートに照準を当てられると、雪のように美しいというより執念の塊に見えた。
 愛しているなら、僕の言うことを聞いてくださいよ。
 口調はもっと丁寧であろうが、命令を含んでいる。鋭敏な清水が執念の足音を聞きつけた時、体はたじろぎ耳を閉じた。
 山本はお目当てが消え失せたことで、さすらいさえ忘れて悲しみの海に沈んだ。自分のどこがいけなかったのかしらと、出逢いからの日々を虱潰しに調べた。何も見つからなかったことで一安心するとともに、何もかもが嫌われたのではないかと震えながら落ち込んだ。しかしどん底で踏ん張ってみると、お得意の憧れの術で振り返りつつ再び恋い求める姿勢を取り戻した。
 憧れは実体に触れる直前までは生き生きしている。憧れはそれ自体で意味をなし、お目当ての実体とは漸近線の関わりでしかない。触れないことが値打ちでさえある。山本はこの憧れに悩みのすべてを包み込んだため、久し振りに安定感を取り戻した。そして秘密の小箱を一日に一回確かめること、それが朝陽を浴びて走るバスでの務めである。
 その朝も二日酔いのままに、憧れの小箱が健在なことをさりげなく確かめた。と同時に拘りに似た堅いものがこびり付いているのを感じた。酔いの記憶を探り直すのは霧の山道を歩くように神経を使う。丁寧過ぎるとちっとも前に進まない。かといってどんどん進めば、岩や大枝に体をぶつけ、挙げ句の果てには谷底に落ちてしまう。
 真美の言葉は耳元に集められている。しかしこちらから言葉を発しないと聞こえて来ない。そもそもこちらから挑発するような言葉を発したのだろうか。しかし初めは憧れは抱かなかったから、聴く側から始まったのだろう。この結論に達するまでは随分ともどかしく、記憶を辿る好意そのものを止めてしまいたいという焦燥感に駆られた。
 そのとき恵美の顔が全面に現れた。瞑っている目の中がすべて恵美になり
「来年から来て下さらなくちゃ嫌ですよ」ときっぱり語った。
 山本は目を閉じたまま肯き、恵美の顔が薄らいでから外界を見た。真美とともに恵美が現れたのは不思議だ。貴い憧れの時だから、損をしたような気持ちになった。
 しかし次の日からは二人がセットになり、車窓に現れた。恵美は通行人に身をやつすなど控え目であったが、それでも一場面は必ず現れた。
 山本はこの夢想の時間をありがたく思った。束の間とは言え、日常生活のストレスを忘れることができた。逆にひっくり返せば車窓の時以外はこれと言っておもしろいものはなかった。朝のひとときのために一日がある。仕事について考えると心は曇るが、朝のバスだけは何が何でも乗りたい。二人がまぶたに現れるやそれ以外は無念無想となり、気が付けばお目当てのバス停に着いている。
 山本は少年時代に戻ったような嬉しさを覚えた。と同時にこんな他愛もない戯れにいつまでのめり込んでいるのかと、息苦しさを感じた。どれほど思い詰めようが、車窓から具体的に良いものが生まれるわけではない。特に清水真美の面影を繰り返しても、記念切手をいじくり返すのに似ている。しかも切手にはど真ん中に消印が付いている。少年のきらきらする魂とともに、老境のあきらめがすぐ側にある。自分は五十そこそこだから、老境など知る由もない。しかし乾いた砂のようにさらさらと軽く、投げ槍に近い虚しさがある。
 たら、たればと仮定法を使うのは止めようと腹に決めている。腹筋をぐっと絞めれば、何とか我慢できる。しかしこれと同じ営みを恵美ちゃんもやっているのかしら。きっと想像は正しい。優位な者は傲慢に考える。
 恵美は思いを必死で伝えようとする。相手、つまり私は十分わかったよと返す。勿体ないほどありがたいと礼を尽くしたつもりだ。恵美ちゃんは取り敢えず嬉しく安心する。しかし言葉だけの話だ。誠意に乏しいし、すぐに現実の行動を起こすとは思われない。神経がぴりぴりしているから、ちょっとした反応にも読みが走り恐ろしい。
 精一杯の思いはわかったと返す。普通の人なら切羽詰まった思いがわからないはずはない。人に好かれるのは嬉しい。行動や態度の目的は殆どが人に好かれるためと言っても良い。だから直に好きと言われたらこそばゆいぐらいに嬉しい。当然だ。
 要はあなたも私を好いて欲しい。たとえ私の思いの半分でも良いから好いて欲しい。三分の一でも構わない。率直に私を好いて欲しい。できれば胸が張り裂けんばかりに好きになって欲しい。しかし私はあなたをずっとずっと長い間、好きだったから、私の思いに勝てるわけがない。もし愛を測る機械があれば私の勝ちだ。あなたの方がもっとたくさん私を好いてくれるなら、あなたから先に何らかの行動を起こしてくれたにちがいない。しかしその素振りもないし、過ぎ去りし日々に求めても仕方がない。
 今からがすべてだ。私が好きですと発信したのだから、返事が欲しい。わかりましたでは当たり前で、あなたの思いを私にしっかりと伝えて欲しい。私の胸に鳴り響く言葉を待っているのです。
 私はそのことをはっきりお願いしていました。何度も何度も頼んだはずです。あなたがまるで梨の礫だから、ここでもう一度お願いしているのです。あなたは体裁を気になさるから、過激な願いは正直言って困っていらっしゃるでしょう。顔にちゃんと描いてあるし、私を長い間待たせるような方だから、即答を求めるのは酷でしょう。だからと言って放っておけばその内、台風一過で落着なんて思ってらっしゃるなら嫌です。
 あなたは私に人前での行動を慎むようにと言いたげですね。周りの人たちから良からぬ誤解を受けぬようにと、ひたすら守りの姿勢です。ご立派な立場ですから、わからぬこともないのですが、馬耳東風で凌ぎきろうと思っていらっしゃるなら大間違いです。何も大好きなあなたに、きつく当たろうというのではありません。きつければきついほど、あなたはきっと引いて仕舞いになります。私だってできるだけ優しく接していたいのです。だから少しでも前に出ようとする動き、風の囁きぐらいでも結構ですから私に心をください。
 心の対話がここまで進んだ時、山本は目が覚めた。バスは思ったより進んでいなかったが、空が晴れやかだ。
 恵美の言い分は正しいように思う。自分が恵美の立場なら、きっと同じような発言をするにちがいない。清水真美に対しては殆ど同じように劣勢の片思いでいるからだ。待つしかないのだろう。果報は寝て待てと言う。しかし待っても待っても音沙汰がないのなら、次の行動へと走らざるを得ない。本人としてはやむを得ないだろうが、相手はどう捉えるだろうか。
 まじめな問いに差し掛かった時、また眠り込んでしまった。終着駅まで余り時間がないはずだ。だから結論を早く出したいのは、深層心理の方もよくわかっている。今朝の夢には収まりが要る。
「着きましたよ。お客さん」では折角の夢がカッターナイフでぶった切られるようだ。昨日まではそれでも良かった。しかし今朝は良い所まで来ている。
 清水真美の方へは戻れない。壁は自分でつくっている。壁は自分なのだ。しかし自分は誠意を旨にまじめだから、真美への壁を破るには血を見るにちがいない。要領の乏しさが壁の高さをそそり上げている。壁をよじ登ろうとする際、爪が岩盤にがじがじと音を立てるようだ。そもそも城壁は内側から徐に開けて貰えば何のことはない。必死でこじ開けようとするから、壁はますます頑なになる。何しろ壁は城の命だからだ。
 それでも形振り構わず迫るのは、熱心さを訴えて好結果を呼ぶかもしれない。もし真美に好意の一脈でも通っていれば、かぐや姫が貴公子たちを確かめ手なずけるように微笑みを投げかけてくるかもしれない。全力投球は賭けである。しかし山本は恥ずかしがり屋だから、挫折が一応収まっているこの凪を超えてゆけるだろうか。恥じらいは誇り高いことの裏返しであり、情熱に理性がいつもブレーキを掛ける。情がそれでも走りたいと望んだ時、汗と時には血が流れる。
 山本は冷静であり、唯我独尊の図に遊び戯れている。ところが恵美はうらやましいほどしつこく迫って来る。自分が不得手だけに、その熱心さは厚かましいぐらいにきつく映る。この情熱を持っていればなあと妬ましい。いや恵美からの熱情が真美から降り注がれるならば、死んでも良いほど嬉しいではないか。いや情さえ通じるならば、熱の表現の激しさはどちらでもよくなる。
 恵美さんは壁にもめげず迫る。間が空いたように見えても、ずっと切望している様が痛いほどわかる。ちょうど籠の飛蝗が、蓋に当たれば傷を負うとわかっていながら、体が続く限り挑み続けるのに似ている。山本自身なら数度試みたら諦めてしまうだろう。いや痛みを想像しただけで、挑むことを止めるであろう。そこで体験から翻って、恵美さんの気持ちがいじましく、放っておけない。好きなら当たり前の行動のように見えるが、そのままでは全てを台なしにしてしまう。どん詰まりの泥沼だけは救ってやりたい。恵美のリスクが露わになりつつあるだけに、自分を守るだけで逃げ回っているのでは我が儘も良いところで狭苦しい。お互いの危険については話せばわかる。
 恵美に会ってあげよう。この結論は同情から生まれたものだ。憐れみと言っては失礼だが、強いて付け加えるならば自身の不甲斐なさへの憐れみとこれからへの応援歌である。こちらが歩み寄れば、恵美は照れながらも意気揚々と近づくであろう。孫子の兵法にある「初めは処女の如く、終わりは脱兎の如く」振る舞うであろう。兎は更に犬や狼になり主導権を握ることになろう。
 あなたが惚れて結んだ契りでしょう。
 山本はのっぴきならぬ事態に陥れば切り札の用意はある。しかし背水の陣から始めて何がおもしろかろう。リスクにはリスクを。攻めには攻めを。恵美にも守りたいものはあるはずだ。
 こう思うと一刻も早く会いたい衝動に駆られた。会ってから光景や遣り取りも浮かぶ。それは宝くじに当たった暁には色々な夢を実現したいという空想に近い。しかし光景の一つや二つは実現できるし、会った瞬間から自分の方がぞっこん惚れそうな気もする。ところが踏み込んだと同時に、清水から「来週はお時間がありますか」と電話が掛かって来るのではと思う。二兎を追うどころか、二兎が押し寄せて来る。
 清水は終着駅が近いことを耳から知る。久し振りに気持ちが飛び跳ねている。明朝、夢とリスクのおさらいをしてから乗り出すつもりだ。もう引き返すことはない。




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