自転車の男

宮川俊朗

 父が二月になくなってから、時間が重く滞る。戸籍の手続きやお返しなどで忙しいものの、夕暮れ時から寂しさが募る。
 母は看病生活が長かったのもあり
「何もしたくない。」
と父の服は父のベッド横に置いたままだ。
 春の光は、いつもよりまぶしくて
「服は風を通し、陽にあてなくちゃあ。」
と箱から一つずつ取り出してみる。
 冬服ばかりか、夏服まで広げると、部屋いっぱいに、父の服だらけとなる。服の一着、一着に思い出があるのか、広げては折りたたむのに、時間がかかる。
 翌年の秋には、さすがに片付けようとした。整理箱にぎゅうぎゅうと押し込みながら
「あんた、これを着らんかね。着てくれんかね。」
としきりに私に言った。
 私はいいわけ程度に、一つ持ち帰った。ぱっと見ただけでも、十着や二十着はある。
 父が五十歳の誕生日に、私たち夫婦がプレゼントしたネクタイもある。ニットの明かるい紺色だ。

「知り合いのおじさんたちにあげたよ。喜んでみんなと分け合っていたそうだと。」
 父の服を着てくれたことが、何より嬉しかったのだろう。母は頬を染めた。一仕事おえた安堵感がある。思い出も服といっしょに片付けたのだろう。 
 あのネクタイも、見当らない。
「それは良かったね。」
と私はできるだけ弾んだ声を出した。
「絣の着物は三十万円はするから、あんたよかったら着らんね。」
という訴えに近い声が、頭に蘇る。私が生ま返事をしたばかりに、譲ってしまった。

 家への帰り道に、自転車と出逢った。かなり年配の男性で、ゆっくりゆっくりと自転車を漕ぐ。少しよろよろとしているが、しっかりとペダルを踏む。
 後姿が似ているな。
 父は八十二歳まで、元気に自転車で街に出かけた。似ているのは、乗り方とともに服だ。年代に共通の服装という以上に、母が「みなさんに」と譲り渡した服ではないか。
 考えている内に、自転車は川沿いの細道を軽快に駆けて行った。
 感傷にひたっている場合ではない。心地よい風が吹いて来る。きっと颯爽の自転車男がつくってくれた風だ。
「元気を出せよ」
と父が贈ってくれるメッセージだ。
 私はもう一度、背筋を伸ばし歩き始めた。

  時計
 六月の旅行が近くなり、その時に新しい時計を買おうと思う。今、腕にはめている時計も、三年前の旅行で買ったものだ。その旅行がとても楽しく、意義深いものだったので、思い出の時計としてずっと左腕にある。
 しかし一週間前に、電池が切れた。
 コンピュータの仕事にしている友は
「電池が切れたら、新しいのを買いますよ。どうせ安物だから、電池の交換代にちょっと足せば、新しいのが手に入るからね。」
と笑いながら言った。
 理屈ではそうなのだが、机の奥に仕舞い込めば思い出まで忘れてしまいそうだ。それに一年前の時計屋での遣り取りを思い出した。
「お客様の電池交換は、苦労しましたね。部品が相当、痛んでいるので、交換は今回が最後でしょうね。」
と技術士は、度の強い眼鏡を光らせた。
「そうでしょうね。」
と相槌を打ったが、心臓が早鐘のように鳴った。
 今度、またその店に行かねばならにと思うとぞっとする。
「もうなおしようがありません。」
と一蹴されそうな気がする。
 梅雨にはまだ遠く、蒸し暑かった。大通りを二つ越えた時計屋に行くことにした。もし恥をかいても、その店はお客さんが少なそうなので、何とか耐えられそうだ。
 案の定、客は私と主婦の二人だけだ。
「交換には十分ほどかかりますが、よろしいでしょうか。」
と若い店員は、さわやかな案内だ。
 私は、はいと快答し、ショーウィンドウにある時計を眺めた。立派な時計がいっぱいで、もし身に付けられたら、きらきらと輝きそうだ。
「お待たせしました。」
という明るい声に、恐る恐る内容を尋ねると
「ちゃんと交換しておきましたから、二年間は大丈夫です。保証書を付けていますので、もし電池が切れるようなことがあっても、無料でお取り替えいたします。」
「ありがとう。その時はお願いしますね。」
と礼を述べ、いそいそと外に出た。
 左手首に戻った時計は、新しい心臓を移植されたかのように、チクタクと動いている。
「君も旅行に連れてやるよ。」
と唇を近付けて、ささやくと
「わあ、嬉しいな。」
と元気に時を刻んでいる。

  拳
 友から聴いた話を、膨らませて書きました。少し格好良い悲劇かな。

 羽矢秀一は仕事ができる上に、自他ともに許すプレーボーイだ。妻に子供二人の三十五歳だから、結婚の対象ではない。ところが窮屈な条件こそ本領発揮で、おもしろいほど若い女性にもてた。特に、口説くわけでもなく、
「ちょっと寄って帰ろうか」
という呼び掛けに、女性は喫茶店でも飲み屋でもついて来た。高越政子は、同じ職場で、ずっとずっと羽矢のファンで来た。
「三十前の女にはどうせ興味がないのよ」
と渇いた諦めで、秀一を見つめてきた。ところが、春の人事異動で、入社二年目の辻村千代がやって来た。格好のピチピチギャルなのに、礼儀正しく奥ゆかしい。
「深窓のお嬢さまで、修行中ね」
というのが、もっぱらの評判だ。
 秀一も同感であったが、礼こそ尽くしながら靡かぬ所が、情欲に火を付けた。年が離れ、不倫はいけないと思い直そうとして、何とかねじ伏せたいという気持ちが日毎に沸いた。余裕はなかったが、ご馳走に誘い、高価なプレゼントも贈り、少しずつ間口を開かせた。結局は秀一の思い通りになったが、莫大な時間とお金を費やした。誰より政子がこの悪戦苦闘ぶりをずっと見ていた。二人の目の動きや夕刻からのそわつきから、勘が働いた。
「昨夜は羽矢さんとどこへ行ったの」
 政子は遊びを覚えたての辻村千代を詰め、具体的に吐かせた。それからも泳がせ、スキャンダルが溜まりに溜まってから職場に噂を流した。千代は政子から仕事を習わなければ勤められない。羽矢秀一は不倫の咎で長く左遷された。プレーボーイの面影はなく、見送る人もまばらで、妻のやつれが目を引いた。
「政子を先に誘ってあげたら良かった」
 羽矢は遠隔地への車窓を見ていた。風景が退屈になり、少し俯くと右手で拳をつくっているのに気づいた。いつの間にか握る拳が震える。

  金閣寺は美しい破壊
 私は太宰治とともに三島由紀夫の本を愛読してきました。濃いウィスキーをストレートで飲むように、心身にしみわたります。
胃の健康を気にする年代になれば、どんどん読むのはしんどい。

 三島由紀夫は、晩年の太宰治を訪ねた。晩年と後から振り返っても、太宰はまだ三十代後半のバリバリである。
「もっと強く生きてください。」
と感想というより、発破をかけたと伝えられている。
 太宰は静かに笑うだけであったが、彼の哀しみや寂しさを最もわかりあえたのが、他ならぬ三島由紀夫であった。
 「人間失格」の延長線上に「金閣寺」がある。
 太宰治は美しくも哀しみの内に、女性と心中したが、三島由紀夫は「哀しくも男らしい行動を」と過激さを募らせ、美しい破壊へと進む。この典型として花開いたのが、「金閣寺」である。
 主人公は純粋な心ゆえ、社会とは同調できない。悩みを顕在化させ、己の正しさを証明せんがために、狂気を持って(実は演技を含め)金閣寺を焼いた。
 太宰のなよなよしたナイーブさに比べれば、三島は筋骨隆々とした行動派だ。しかしその逞しい筋肉をめくれば、太宰以上にナイーブで恥ずかしがり屋の文学少年が顔を出す。正体を勘づかれまいと強がり、金閣寺を作品の中で燃やし、金字塔を建てようと試みた。作品は成功したが、危険な道を歩み始める。

  或る「小倉日記伝」を読んで
 松本清張は、同郷福岡県出身であり、晩年からのデビューという経歴で愛着を感じます。とりわけ短編小説を中心に読み、元気と希望をもらってきました。短編には、清張のエキスが美しく詰まっています。こつこつ読み進めば、エキスが溶けて心地よい気分にさせてもらいます。

 松本清張が生誕百年を迎えた機に、或る「小倉日記伝」を読み返した。松本清張は、私と同じ福岡県の出身で、高校時代より親近感を抱いてきた。「点と線」や「黒い画集」などの長編小説は、出来立てのホヤホヤの頃、本屋を梯子しては読み通した。最初の二頁を、右左と読めば、次のページをめくりたくなる誘惑と魅力があふれる。また小倉にある松本清張記念館には、ゆっくり足を運んだ。
 この或る「小倉日記伝」も何度か読んだが、改めて読み直すと、わくわくするような興奮に襲われた。文庫本の頁にすれば、僅か
三十七頁であり、速読者にとっては、喫茶店でコーヒーを啜りながら、ものの一時間で読めるほどの短編である。
 しかし私は今回、松本清張の実像を知りたかった。清張の実像を知り、格好良く言えば、清張を「張り込み」追いかけたかった。
通り一遍で読むだけでは、面白いで済んでしまう。そこで一日に読むのは、二頁と限定し、私自身が読者とともに作家の側にも立って読み進めた。
 清張は、小説の中で堂々と胸を張り、ささやくような小声ではあるが、人生を語る。作品は芥川賞受賞のデビュー作とはいえ、もう四十三歳の時の作だ。今年同じく生誕百年を迎えた、同期生の太宰治は、既に六年前にこの世を去っている。片や同期生がゴールを切った同じグランドで、今から長距離を走り出そうとする志の小説である。
 しかし清張は、太宰と変わらぬか、それ以上に、人生の酸いも辛いも知り尽くしていた。いや太宰が走りついたゴールで、血の通ったバトンを受け取り、「走れメロス」より速く駆け抜けていった。
 そんなことをして何になりますか。
 或る「小倉日記伝」で、主人公の田上耕作は資料を蒐集する途上で、問われた言葉である。耕作は、ふらふらするボクサーが急所にパンチを食らったように、ノックアウト寸前の状態に追い込まれる。或る日記、即ち、森鴎外が小倉に在住の三年間に綴った日記が、どこかにあるかもしれない、きっとあると信じて耕作は母に付き添われながら必死で捜す。
 そんな古い日記を見つけたところで、何になりますかという皮肉な反語である。
 その問いかけは、清張自身が文学、いや人生への感傷でもある。というのも清張自身が太平洋戦争中に軍隊に召集され、ジャワ島で食うや食わずの生活を強いられた。作品で小倉は、爆撃により焼け野が原となる。昭和二十七年はまだ生活が貧しく、文学もへったくれもない。それでも耕作は日記の蒐集に命を賭けた。この一途な生涯をともに泣き、ともに喜び、連れ添うように書き上げたのが、松本清張である。
 或る「小倉日記伝」は、清張の自画像であり、人生観、いや人生讃歌である。主人公耕作がぶっ倒れ、母が遺骨を白い包みに抱いて故郷に独り帰るところまで描かれている。そこは地獄、白いニヒリズムである。この究極まで追い込めば、あとは何をしても何もならないと思う反面、今からは何でもあり、何でもできるという開き直りが生まれる。
 或る「小倉日記伝」から、松本清張の文学は始まった。少なくとも可能性や方向性が、この作品に芽生えている。人生の縮図を描ききったがゆえに、放射線状に茎や枝葉を伸ばし、花を咲かせることができた。
 清張は元来、画家である。私の先輩は、小倉で修業中に同じ絵画研究サークルに籍を置いていた。公募の観光宣伝コンクールなどで、清張は既に大きな賞をもらっていた。文筆稼業に専念するようになってからも、執筆する前に、デッサンで絵コンテを創り、構想を固めた後、文章づくりにやおら取り掛かった。
 黒澤明監督がまず絵コンテをしっかり描いた後、映画づくりに入ったことを思えば、松本清張と黒澤明は創作の上で、一脈も二脈も通じていた。実際、清張の作品は、たくさんの映画になっているが、映画人からみれば、文章の中にたくさんの美しい絵が潜んでおり、なぞってゆけば自然に映画ができたのかもしれない。
と同時に簡潔な文体は、俳句の道にも通じる。清張の文学がいつまでもみずみずしいのは、大衆社会に身を置きながら、純文学、そしてその典型とも言える俳句の達人だったからだと思われる。
 もっと遡れば、清張が植字工として勤めた新聞社の生活にも通じる。鉛の活字を拾いながら、文章の行間を、鋭い探偵となって読み進めていたにちがいない。
 僅かなキーワードから真相へ。鍵をパチンと開ければ、秘められた世界が美しい月光とともに露わになる。男と女。生と死。善悪に喜怒哀楽が、どの作品にも満員電車並みにきしみながらせめぎあい、高めあう。
 閃いた筋を詳しく展開すれば長編小説となり、もう一度、折りたたんで新たな鍵を施せば、傑作短編となる。
 松本清張がもし新聞記者の身分で入社していたら、偉大な記者になっていたろう。活字工ゆえに、行間を推理し、スケールの大きな作家に育った。
 田上耕作は不自由な足で、日記を追いかける。母は心身の杖となり、必死で我が子を支える。清張の目は澄み、泣きながらその献身ぶりに感謝する。清張こそ主人公の耕作と読み取れよう。
 そんなことをして何になる。
 疑いの影が、刑事のようにしつこく問いかける。
 そう言う君は、誰なのか。
 きっぱり返しつつ、影の正体を作品の中で、つぶさに解き明かし、世の生きとし生ける者へ声援を贈り続ける。

  ドア
 愛犬ベルがまだ元気な頃に書いた随筆である。ちょうど一年前だ。ある随筆集に応募しようと書いたが、頓挫して机の中に眠ったままだ。ベルが庭の片隅に、菊の花を献じられるようになって懐かしく読み返した。

 「行ってらっしゃい」
と笑顔の妻に送られながら、ドアを開けるのがためらわれた。思い切って開ければ、忠犬が待っている。ベルは、鋭利な角の扉が半円形を描いても触れない場所に居て、バタンという音を確かめるや、尻尾を振って寄り添う。
 ベルは、満十五歳で、近頃、耳も目も遠くなる。人間で言えば、後期高齢者に属するであろう。ドーベルマンを先祖に持つミニチュアピンシャーの血統で、勘が鋭い。靴を履く音を察知して、ドア付近の安全地帯に待機する。私を見送るためだ。
 私はしっかり見送ってもらうために、クッキーを二個、用意している。左手にカバン、ドアを開ける右手にクッキ−だ。というのも妻はほんの三カ月前まで、毎日、近くの大学病院へ働きに出た。それも朝八時に出勤するので、残された私は独り、身支度をしてでかける。
 犬だって散歩に連れて行ってもらうわけではないので、初めのうちは犬小屋で寝そべっていた。それではいかにも侘しい気がして、クッキーを一つ投げると、愛想良く飛び出す。二日間続けると、三日目から「お座り」の姿勢で玄関に待つようになった。
 朝七時にはドッグフードをたらふく貰っているから、小粒で高品質のクッキーに決めた。子供を含め、家族みんなの好物である。一種の餌付けであり、パブロフの定理通り、犬ばかりか、人間である私まで餌付けは、習慣化した。以来十五年間、朝ばかりか、帰りの靴音にも歓声を上げて待ち受けてくれる。
 子供が成長し、学校や勤めに外に出るようになってからは、ベルは完全に家族の一員となった。

 ところが妻が専業主婦になった今春からは
「今日は帰りが早いですか? お付き合いでも余り飲み過ぎないでね。」
と会話を重ねた後、「行ってらっしゃい」という熱い声援の中でドアを開くようになった。
 ベルは十年一日の如く、ドアの向こうに待っている。私は背広の内ポケットに忍ばせたクッキーを与えると、喜びようはなかった。しかし私は罪を犯した気がしてならない。
 ベルは心臓に不整脈が起こり、医者から
「カロリーの高い食べ物はやらないようして下さい。」
と注意された。
 家族全員で心を鬼にして、注意事項を実行している最中だ。
 私は妻の笑顔に対しても、直ぐ後で、面従腹背の行為をしている。考えた末に、クッキーをやるのを止めた。
 ドアは重かった。忠犬はあらん限りの力で、尻尾を振って待っている。私は見て見ぬ振りをして、さっさと歩いた。捨てられたような思いがしたのだろう。その三日後から、愛犬は小屋で寝そべったままとなる。
 私は小屋へと迂回して、頭を撫ぜてやる。ベルはこちらを向くが、「ふん、それだけ」という顔だ。
 夜の散歩に、クッキーを持参するか、ハムレットになり思案している。満月までに結論を出したい。

 ベルは体調を崩し、歩くのがやっとになった。公園への階段は、抱えて上り下りをした。猛暑の夏を何とか凌ぎ、食欲が少し出たと安心するや、秋風に誘われるように旅立って行った。
 人は悲しみや苦しみに包まれても、生きていかなければならない。落ち込んでいては、誰も喜ばない。

 海に出て 木枯し 帰るところなし
 名句に歌われた木枯しは、海風となり、広い海上を吹き続ける。心身を過ぎる悲しみの木枯しは、山に登り海に出て今も吹く。




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