張名人のスイッチバック

宮川俊朗


張名人のスイッチバック
      宮川俊朗

 碁の張名人(当時)は、対局中、緻密に読むので、読みの記憶が夜になっても消え去らないと聞く。真剣勝負では、神経がピリピリして、部屋に帰ればストーンと寝るわけにはいかないのだろう。どんな対局者だって、生活と名誉がかかっている限り、今日の反省と明日の対策は身を入れて行う。そしてうまいものを食べたり、殆どの騎士がお酒を飲んだり、軽いギャンブルで遊び、眠りにつく。
 寝なければ、明日の後半戦に影響が出る。対局中に眠気が襲えば、考えるどころではなく、座っているので精一杯となる。勝ちは遠のき、コントロールできない理由から自己嫌悪に陥る。
 もし張名人がよく考え、よく食べ、よく眠れたら、大名人になれるだろう。今は神経過敏なジレンマで、スランプに陥り、壁の前にたたずんでおられる感じだ。過ぎたるは、及ばざるが如しか。腹八分で思考し、遊び、楽しむ術を習得できれば、ピアノ線のように細やかな神経は再び、強みとして生きてくる。切れやしないかと不安を抱きつつ、綿々と読み戦うのは、相当の消耗で戦力減だし、相手から強く出られてしまう。
 戦いは心技体、そして運鈍根である。自己を見つめ、立て直してこそ展望は開ける。こぢんまりと収まるのは勿体ないし、棋界の発展にとっても損失である。囲碁棋士はどっしりした骨太の体型が多い。これに対して将棋はやせ型で目をギラギラ光らせた神経質そうなタイプが多い。張名人は体型や気質からすれば、将棋の棋士タイプに見える。芥川龍之介のように鋭い眼光で風貌が似ている。盤面を睨み、冴えた手を放つ張名人が復活する日を心から待ちたい。

 秘めたるもの
 Aは厳格で気難しそうに見える。仕事に厳しく、生活態度も自ら律し、倫理規定は古典的で「論語」などに造詣が深いので余人は近寄り難い。取り巻きのBやCも同じく厳格で、ちょっとした話も国際情勢や危機管理体制を議論するが如く、真剣かつ細かいところまで緻密に論理的に詰める。
 ところがAはカバンに漫画本を忍ばせている。カバンは皮製のブランド品だから、洋書や高級な本、機密データが入っていると周りの人たちは思っている。開ければ逆鱗に触れる。
 Aは電車やバスなどで一人になると漫画を取り出す。辺りを憚りつつ「少年ジャンプ」や「少年マガジン」を広げる。発売日にすぐ買う。至福の時である。ひょっとしたら愛読書は家族にも知られていないのかもしれない。通勤時限定の読み物。少年たちは大きな声を出すような内容でも、くすりともしない。Aは目元でささやかに微笑むのが関の山で、じっと観察していなければ発見できない仕草である。
 「アクション」など大人用の漫画は、読まない。「少年」が付く雑誌が好きで、間もなく定年退職を迎えようとするのに、少年ジャンプが秘められた座右の愛読書である。電車の中だから座前の書というべきか。少年時代より綿々と読んできた。
 「現代漫画について語ってください。」
と頼まれれば、日頃の趣味と実践を遺憾なく発揮して、2時間は優に語れるであろう。
 その時は難しい顔でなく、優雅な知識人の顔か、喜劇役者の風貌で経験と見識を披露するにちがいない。

 営業マンZは、ふとした弾みに、管理者Aの趣味を発見した。カバンの隙間から漫画の表紙を発見したのだ。それからは提案する際に、上品なユーモアやジョークを挟むようにした。気難しい表情がほころび、提案話に首を突っ込むことになる。Zは不思議なほど営業成績が伸びたが、そのわけは誰も知らない。Aさえ知らないのかもしれない。
「俺と気が合う。俺の心を気遣ってくれる。」
とAが評価している。
 Zは、少年ジャンプやマガジンが発売になると、真っ先に本屋に行き、立ち読みする。小さなカバンには、入らないからだ。小さな財布では、お昼のハンバーガー2個分に相当するからだ。
 さっそくAの事務所を訪れ、四方山話から始める。
 同じ厳格なBやCのところへは、足が向かない。行っても生真面目なしたり顔で、いわゆるロジカルな話をするばかりだ。
 厳格という態度も、一つの役、悲劇ばかりか喜劇にも必須の役である。少なくともAは、漫画愛読のため厳格を中心に、多くの役をこなしている。殆ど厳格風というだけだ。
 少女趣味の女性も、周りに寄って来る。
 芸は身を助けるか。遊びは心を広げ、人生を豊かにする。

 芥川龍之介の言葉に
「Aは英語に堪能だった。しかし机に置かれているのはドイツ語の本ばかりであった。」
とある。
 現代のAは、漫画本だ。実務と趣味とどちらが本物になるかわからない。Aが漫画をも読むというのは、精神的なストレスや壁にぶち当たったためからで、ほんの弾みで、あるいは止むに止めれぬ選択と実行だったかもしれない。しかし硬軟の二刀流は、世渡りの優れた技であり、戦術である。
「いや、ほんの気晴らしだよ。」
と本人ははにかむだろうが、背水の陣から攻めあがった心理学の戦略本でもある。

 宝くじの季節
 街全体が賭博場となる。

 意志と表象としての世界
 やる気があれば、方法や途中の表現は自由だ。ルールやマナー違反でなければ、自由自在だし、また自由でなければ良い仕事はできない。
「黒い猫でも白い猫でも、ねずみを捕る猫は良い猫である。」
と訴えるトウ小平の言葉は現実に生きる者に力となる。当時の常識に挑戦する気持ちが、顰蹙を買いもしたが、改革への力強いメッセージとなった。
 TO BE OR NOT TO BE
とするハムレットは、追い詰められているが、究極の集中と選択、「生きるか死ぬか、それが問題だ」というつぶやきは、枝葉の問題を切り捨て本質に迫る。
 見かけよりも実体。苦しい時こそ単純明快な本質を追求し、実現したい。
 
 我慢
 行動を起こしたいという欲望が生まれる。公的で合理的な目的の事項であるが、しばし待て。それをやっては脇道にそれる。集中して成そうとしている目的事項からすれば、気が散ることになる。それは明日でもできる。思いついた事項は、腹の中でグルグル回っている。
 集中と選択。言うは易く、行うはかたし。決定の段階だけではない。事を成そうとした時に、邪悪なもののように自らの心から湧いてくる。自分との戦いだ。「走れ!メロス」を思い出す。目的地に向かって走るには、敵や障害とともに、自らと戦わねばならない。戦うことで、己がわかり克服できる。
仕事は我慢。我慢こそ最強の戦力である。我慢しているからにこにこと笑って戦える。







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