林 望

宮川俊朗


林 望
      宮川俊朗

 3月3日(日)20時から21時までNHK第2放送で、林望さんの「文章が上手になるには」という文化講演会を聞いた。翌日から仕事なので、日曜日はできるだけ早く寝るように心がけている。テレビや本を見ると興奮して、平日以上に眠るのが遅くなる。ささやかながらストイックに生活を律している。
案の定、講演会はおもしろく知的に刺激されて、夜中までいろいろと考えてしまった。「文章上達法」と聞けば、文筆愛好家の私にとって魅惑的なテーマであり、特効薬があればスポーツドリンクのように、一気に飲んで効果を確かめたいと思う。
林望さんは団塊の世代ということで、親近感がわく。もうスイッチを切ろうという禁欲主義は捨てた。明かりをつけてメモを取りたいぐらいだ。メモについては林さんが大のメモ魔で、メモの効用を講演中にしきりに力説していた。それも立派なメモ帳ではなく、広告紙の裏側を利用してすぐにどこでも(ドコモみたいだ)書けるように心がけている。研究室はもちろん、電車の中、トイレからお風呂、寝間にまでメモ紙は用意されている。
「メモは早い内によく整理して文章にすると良い」
と秘訣を語る。
「パソコンも良いけれど、推敲の跡が残らない。もし良い作品を創ろうと思うなら、推敲の段階でそれぞれプリントアウトした方がグレードを上げられる。それにメールばかり打つのでは、文章は上達しませんよ。ただし初めは要点を書いたメモが大切だ。」
というアドバイスには同感だ。
 私はパソコンに直接打つのは苦手だ。メモを取り、原稿用紙にきちんと書いて、それからパソコンに入力する。「無駄な作業だ」と笑われるが、どうしても止められずに遅筆、寡作となる。大器晩成型だと自分で自分を慰めているが、どうにかしたい、せねばならぬとは焦りながら思っている。だからメモの重視を説く、林望さんの講演は、耳を欹てて聞くことになる。当然に夜更けまで興奮し眠れない。そもそも文学と仕事は両立しない。どちらかにしなければ、虻蜂取らずに陥る。林さんが大学の講師という素敵な地位に昇りながら、文筆家の道を歩むのは素晴らしい勇気ある決断であり、今日の活躍の礎である。
 世の出ぬ作家志望は、食わねばならぬ。家族を養わねばならぬ。「箸は二本、文筆は一本」
とは川柳にして、しみじみと腹にしみる。パトロンが要る。宝くじで一発当てねばならぬ。およそ作家稼業とは、別の分野に莫大なエネルギーを使い、作品は遅々として机上のままである。愚痴は止めて、耳を澄まそう。

 林望さんは、小学校の時から作文が好きで、文集や同人雑誌をやっておられた。お父さんが近未来学者で、「情報化社会」の到来を予言したことで有名だ。叔父さんの林健太郎さんは西洋史の大家で東大の総長をされた。インテリ一家で、SF小説を既に中学生時代から書いたそうだ。
 私は横になって聴いていたので、ディテールは覚えていない。それこそメモの必要というより、テープの必要があった。しかし私は講演を聴く時は、メモ中心で、テープは殆ど使わないという主義だ。後で残念に思う時もあるが、真剣勝負で聴ける。
 武蔵中学の時は、その日の出来事を作文にし、放課後に先生からみてもらった。
「1クラス60人はいるのが、団塊の世代のクラスだ。その中で、先生は自分の作文を毎日、添削してくださった。」
と感謝の言葉を述べている。
 中学は首席で卒業し、都立戸山高校に進学する。
 戸山高校は日比谷、西と並んで東大進学の御三家だ。新宿高校も並び、時にはダントツの日本一となる。
 なぜ新宿高校と言うかと言えば、私自身が新宿高校卒業だからである。1年生の夏に転向して青春を過ごした。転校生は、外人部隊と呼ばれ、なかなか溶け込めない。私は方言丸出しで反発し、ボコボコに苛められた。ちっとも好きになれずに卒業した。しかしその新宿高校は、新戸対抗戦としてスポーツの多くで、戸山高校と定期戦を行った。東大の合格者数とともに、この新戸対抗戦は全校挙げて燃えて戦う。そこで戸山高校と聞けば、転校生の私も血が騒ぐ。夜中に血が騒いでも仕方ないが、ライバルは憎きぞ懐かしい。碁敵と同じだ。

「みんな自分が秀才だと思っているが、その考えは捨てなさい。」
が、林さんが入学時に受けた挨拶であった。
「みんな秀才で独特のすごい勉強方法を持っていておもしろかった。」
 新宿高校の秀才は、春休みに次の学年の教科書を読んで、新学期に臨んだ。教科書を2冊買い、主な用語を黒く塗りつぶして問題集をつくる。もう一つのまっさらな教科書が、答えであり、参考書となる。日本史や世界史といった暗記物の学科はこの塗りつぶし戦法が有力で、多くの秀才が口コミで採用していた。「雰囲気になれるため」と称して、高校2年生で早くも大学入試模擬テストを受けていた。その程度では驚くには当たらない。テストでは、高校3年生以上の高得点を上げ、学校の高度な授業はおさらいとみなしていた。 先生方は百も承知で、生意気な生徒たちを褒め上げ、ひねくれた逆質問を放ち、授業はさながら掛け合いの漫才を含んだ議論の場、知的パーフォマンスの舞台と化した。
 学友は数学の問題を創っては受験雑誌に投稿し、アルバイト料を稼ぐちゃっかり者もいた。数学1教科とはいえ、レベルが格段に高かった。私は彼から数学を習いつつ、囲碁を教えてあげて精神的なバランスを取った。本当は英語を教えてあげるぐらいの実力を備えなければならなかった。教える時の鉄則は、断片的で全容はベールに包み、もったいぶる。お菓子を持って行けば、次の断片を教えてくれる。ライバルにはやすやすと手の内を見せないし、そんな時間もなかった。

 林さんは大学では森鴎外の勉強をし、イギリスにも留学される。
「漱石は百年経った今でも新しい文章です。わかりやすい現代文を書いて、今もなお愛読者が多い。鴎外は古典からの日本文学を集積して、漢字が多く難しい。鴎外を読む人は残念ながら少ないです。」
 翌日、インターネットで検索すると、林望さんの作品がずらりと並ぶ。多作家であり、読みやすいポピュラーな作品が多く、現在進行形である。
「文章は読まれてなんぼ。一人よがりでダラダラ書いても誰も読みません。それにユーモアが必要です。源氏物語にはユーモアがあふれています。枕草子は読んでいて、げらげら笑ってしまいます。もっともおもしろくユーモラスな文章は、教科書には載っていませんね。」
と語る。
「読まれるように書くのは難しい」
と修行中の私には、耳に痛い。
 客観的にまたユーモラスに書くことが大切か。客観的になれば、自分自身を含め大きく、豊かに物事を捉えられ、ユーモアも自然に沸いてくるのかもしれない。ギチギチでは、周りも自分自身も見えない。 

ドストエフスキー
わかるように書くとは、読んで聞かせてその内容やストーリーが眼に浮かぶかどうかだ。ドストエフスキーの「罪と罰」は、恋人(もしくは愛人、その違いは本人にとっても微妙なところだ)に口述筆記をしてもらい長編小説を創った。相手即ち読者が「口述の内容をわかるか。楽しめるか」を日々、確かめつつ構想を進めたからだ。
作品は愛。恋人に会い、食事をした後、コーヒーをすすりながら口述筆記の共同作業となる。愛の言葉を受ける方は、最高のラブレターにして最初の読者。世紀の預言者ドストエフスキーは、恋人のときめく顔や息遣いを感じつつ物語を進める。
「眼に浮かぶように書き進む」とは、二人で同じ風景を観ることになる。首都ペテルスブルグばかりか、二人はパリでも口述筆記を進めて、名作を創った。彼女にすれば、パリ旅行とともに楽しい筆記作業が待っている。あるいは感想を漏らせば、作品に反映されているかもしれない。次の作品の構想を練る時、新しい恋人が待っている。恋人のリクエストに応えて、奇抜で深みのある作品づくりに励む。口述筆記は愛の語らいであり、知的作業、重労働でもある。

「春秋」と松永安左エ門
西日本新聞の「春秋」に病気についての随想が掲載されていた。筆者の友人が目の病気になり落ち込んでいる。
「君もゆっくりして一緒に語りあおうよ。」
という呼びかけがある。
聞くところによれば、筆者は60歳を超えておられるから、友人も同じくらいの年齢で、眼病を患っている。文筆業につきまとう加齢の職業病だ。筆者も「いつまで書くのかな」との呟きが、別の随筆に見られるから、ソフトランディングについて思いを巡らせている。
「文を書くのが何より好き」と随筆にあるので、健筆はあと三年は大丈夫と思っている。「春秋」の中で、「何ができないのか」を悩むより「できることを考えよう」と呼びかけている。具体的には友を含め読者にだが、自分自身にでもある。この優しい楽観主義が、勇気を呼びかける。
私は同じ日に、松永安左エ門の言葉を読んだ。松永安左エ門は壱岐出身で電力の鬼と言われ、今日の電力体制の基礎を創った。
「できる人はできるように考える。できない人はできないように考え、できない理由探しに明け暮れる。できる人はどうすればできるようになるかを必死で考え実行するからできてしまう。」
と成功の秘訣を紹介する。
 この言葉は、「日本の百名言」に挙げられている。味わうほどに快い言葉で、今日読んだ「春秋」の思想とも一脈通じているように感じた。

モティベーション
あるエリートは50代半ばで挫折した。普通の人から見れば、羨ましいほどのポジションまで昇進した。本人としては同期のライバルたちと比較して、遅れていると感じ、好きなそば打ちに転進することを考えた。こっそり勉強したし、早期退職制度を利用し、そば屋に修行に出た。家族との葛藤があった。
「本当に定年になってからでは、やる気が失せる。」
 一か八の賭けは、早期離陸である。
 将来設計とともに、自己の心理と対話を重ね決断した。密やかな平行ランも可能であったろう。早期と言う決断が、モティベーションの平行ランだったかもしれない。チャレンジはリスクを伴いつつ、そして夢の実現から成功物語。
私は陰で見守り、時々店に顔を出す。そばの味以上に顔色とつやそしてお客さまへの明るい応対を楽しみに聴いている。

友達
友に愚痴をこぼしたことがある。
「もうしんどいから、そろそろと考えている。」
 友は大病を2回したが、立ち直り勤め続けている。私は数度、お見舞いに行き、病室でゆっくり話し立ち直りを勧めた。
 友はその時の恩返しと思ったのか、私の悩みを聞いてくれ引き止めようとした。私は「右か左か」と揺れる心を告白したつもりだ。真剣に受け止めてくれ、却って恐縮した。
 次回も「続けるように」としっかり説得した。
 3度目は和気藹々とした会話になった。
終わりがけに「がんばれよ。」と強い声で励ましてくれた。
「フリーハンドは、持っておく方が良いよ。」
とも付け加えた。
頑張ることとフリーハンド。宮本武蔵の二刀流だ。
私は心に暖かいものがわくのを覚えた。

羽生善治三冠
名人戦が始まった。森内名人に羽生三冠が挑む。
森内名人はいつも笑顔でふくよかな趣である。沈黙は金、秘すれば華と、本当の勝負師だ。戦略はたくさん立てて臨む。
羽生さんは対戦前に
「反省はしても後悔はしない。」
「ゲロは吐いても、愚痴は吐かない。」
と語っている。
 羽生さんは勝率7割強で、棋界の中でも抜群だ。同じく三冠の渡辺明さんたちでも6割強で、普通の棋士は5割の水面上下を行ったり来たりだ。それでも新戦法が続々と現れる、プロ将棋の世界にあっては、生き残るだけでも大変だ。
つまり5勝5敗が日常の世界で、一々、後悔ばかりしていては次の対局に積極的に臨めない。わかっているけれど、ついつい愚痴を言って後悔する。家族にいくら愚痴を言っても理解を得られない。頼りの友人は、しのぎを削るライバルばかりで、手の内を見せるようなものだ。
「対局のどこがいけなかったのか。どうすれば勝てるのか。」
と次の一手を探し求めるのが、職業棋士の宿命であり生き甲斐だ。
 後悔して夜も眠れないのが、普通の人間だが、そこを一歩、二歩と前に進むこが反省になる。後悔と反省は表裏一体の明暗であり、掘り進めれば勝つヒントの宝庫でもある。
 どの棋士もこの分水嶺をよく知っている。そこをとことん実践しているのが、羽生三冠である。自分との勝負を続ける。

二面性
分析と総合、いずれも大事だ。いずれかを極端に重視する人がいるが、両面あって事をなす。分析が優れていると、現実的な総合へと辿り着けない。現実の総合ばかりをやっていると、深みが乏しく、それ以上の要因に対して、進めない。
一例としてファイリングの目次つけは、分析と総合の両輪がかみあって、実質的な有効性を持つ。目次は、分析と総合の両面を睨み済ます。




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