星の流れに

宮川俊朗


星の流れに
      宮川俊朗

歌の好きな日本人に
「好きな歌は」とアンケート調査すると
「故郷」とか「みかんの花咲く丘」などが上げられる。もう随分昔から、上位10曲ぐらいは定番である。それらの歌は、小学校かせいぜい中学校で習い歌ったものであり、その後は同窓会で歌うぐらいのはずだが、心に残り心で歌い続けているのであろう。あるいは祖父祖母、父母が口ずさむのを聞いて、その思いとともに歌の意味がわかってくるのかもしれない。
 故郷を離れ、就職し結婚すれば、盆か正月ぐらいしか帰郷する時はない。子供が大きくなれば、四人家族で帰郷となれば二十万円はかかる。電気製品の一つや二つは買えるし、大切なわが子の塾の授業料にも当てることができる。小遣い銭をめぐって、不毛な夫婦喧嘩をやる必要もない。二十万円から少し取り出し、車で海の見えるレストランで
「一番、好きなのを腹いっぱい食べて良いよ。今日はお母さんが運転するから、お父さんも生ビールでもイタリア高級ワインでも飲んで下さい。私はウーロン茶で乾杯します。」
と昼下がりの宴が始まる。
 酔いが覚めて外に出て、空を見上げる。空の向こうには、故郷がある。
「山の向こうには幸いがある。」と歌ったフランス詩人がいた。
じっと夕焼け空を眺めていると、さわやかな風とともに故郷が思い出される。戻りたい、今は戻れない故郷だ。故郷で過ごした少年、少女時代なのかもしれない。

 うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川
 夢はめぐりて 忘れがたきふるさと
 本当は小鮒など釣ったことはないし、うさぎが走りまわる故郷を持っている人は、現代日本では珍しいだろう。それでもみんなと教室で歌った故郷が思い出される。隣でハンドルを握る妻も、同じ気持ちなのかもしれない。

 私も「故郷」や「みかんの花咲く丘」が大好きだが、実は「星の流れに」も好きな曲だ。教室で歌う曲ではない。
その時代背景や心境、究極には職業とそのお客さまについて小学校で説明するなら、まじめな先生も赤面するだろう。
だから裏(アングラ)アンケートで、こっそり上位に顔を出す曲なのかもしれない。アングラは謎とときめきがいっぱいだ。
 
詞を習ったわけではないが、いつか口ずさんでいるのが、「星の流れ」だ。私は昭和24年生まれだから、当時歌われていた歌だろう。戦後すぐからの心情は、明るく歌いたいと思いながらも、「こんな私に誰がした」と語る方が、心に沁みる人も多くいた。大半とはいかずとも、多くの人たちが不幸せのまま引き摺るようにやっと生きていた。大人がそうだが、子供も同じだ。
米軍の支配下で、歌は禁止されていた。
その中で「星の流れに」は歌われた。
「こんな女に誰がした。」
というつぶやきが、メロディーを呼び、周りの人たち、つまり同業者のパンパンたちに歌い継がれ全国に広まった。
「折角、平和になり、民主主義とやらの素敵な考えのもとに、みんな仲良く生きていけるはずなのに、貧しい者は相も変わらず貧しくて、ほんの一部の人たちしか幸せになれないの。しかも私たちは、一握りの幸せな方たちの夜のお手伝い、おもちゃになって働いている。これからどうなるの。私たちだけ、どんな星の元に生まれてきたのかしら。」
という嘆きが、自然に歌となり、芸として花開いた。

 名曲である。しかしなぜか今でも、おおっぴらに歌うのは憚れる。たとえば美空ひばりやちあきなおみと言った歌唱力に優れた歌手が、心を込めて歌い、ファンはレコードやCDで心しびれて聴いている。ハミングしながら聞く人も多い。
 しかし「自分の大好きな曲は、星の流れです」と誇って語るカラオケ愛好家は稀だ。こっそり隠れるように歌うのが絶妙で、人知れず、辛いとき、悲しいときに歌うというより、思い出して歌って仕舞う曲である。
 ランボウの詩に
「誰か心に傷がなき」
と詠うように、どの人も悲しみや苦しみの傷がある。
 幸せの絶頂の者でも、いつ不幸せの泥沼に陥るかもしれない。もがいても、もがいても辛いことばかり。じっと辛抱していれば少しは落ち着くのに、もがくから余計に泥沼が底なしになる。
 そんな時に、夜道でひとりつぶやくように歌ってしまうのが、「星の流れに」である。

 私は若い頃、ある職場に係長として赴任した。私としては栄転であったが、現場では必ずしも歓迎されなかった。私より十五歳年上の主任が、口を固くしながら
「おめでとうございます。」
と係長になった私に祝辞を述べた。 
 本来ならその方が遅ればせながら、係長になるという下馬評が立っていたし、みんなの期待でもあった。ところが私が赴任することで、主任はそのままだし、新たな主任が誕生するという期待の芽もつまれた。
 歓迎会は全員参加で、盛大に行われた。酒盛りの後、カラオケが用意された。みんなの楽しみであり、誰でも十八番の曲を持っている。この日に備えて磨いている。
 私は盛大な拍手の中で「北国の春」を歌った。
 気持ちが高揚して自然に、希望の曲を選んだ。
 古参の主任は終始、緊張して殆どお酒を飲まれなかった。
 課長が気にして
「もっと飲めよ。そして歌いなさいよ。」
とマイクを押し付けた。
 主任は拒んでいたが、やっと口を開いたのが、「星の流れに」であった。拍手は鳴り止まなかった。
 課長は酒をつぎながら
「もっと明るい歌を唄えば良いのになあ。」
と感想を漏らした。
「そんな歌を歌わせたのは、あなたでしょう。」
と主任は言いたかったが、うなずくばかりだ。
 私はほんの側に居て、一部始終を見ていた。「どうして暗い気持ちで歌うのかしら」と単純に思ったぐらいだ。勝者は敗者の気持ちがよくわからないし、下手な同情は止めた方が良い。
 私は2年間、係長を務め主任はよく補佐をしてくださった。私の後は、主任が待ちに待った係長へと昇進した。現場を良く知り、叩き上げだけに、よくも悪くも苦労し活躍されたと聞く。

 私は再雇用の身となり、若い上司に仕えるようになった。上下関係が逆転するのは初めてで、お互いぎくしゃくしながら職場の関係を築いていかねばならない。調和は妥協の産物であり、我慢の成果である。
 週に一度ぐらい、旧友と酒を飲み語り合う。同じような年齢とは、気が合う以上に歴史を共にし、心の土壌が同じだ。
 軽い酒を心がけているが、その日は深酒となった。家までのゆるい坂を上りながら、口ずさんだ歌が「星の流れに」であった。
 歌詞を見たこともないのに、スラスラ歌えるのが自分でも驚きであった。酔ったのに歌えた、酔ったから歌えた。気持ちを素直に歌に託した。託す歌を探し、難破者が救命ボートに手を伸ばすように「星の流れに」を口ずさんだ。
「溺れる者わらをもつかむ。」
は言い過ぎにしても、漂う心がやっと掴んだ曲であった。
 昭和23年頃から歌い始められ、今は平成二十五年で、もう六十年以上経って、新鮮で切れのよい歌である。

 星の流れに 身をうらなって
 どこをねぐらの 今日の宿 
荒む心でいるんじゃないが
 泣けて涙もかれ果てた。
こんな女に誰がした。

 フランス映画で「誰が彼女をそうさせた」という名作がまもなく現れた。
 「星の流れに」は日本的な叙情歌である。
 
「小僧の神様」を読む
 志賀直哉の「小僧の神様」をゆっくり読む。「城崎にて」とともに志賀直哉では、今もなお多くの人に愛読されている短編の傑作だ。
志賀をして「小説の神様」と称せられる源の傑作である。読めばあっという間に終わるが、内容は深く難しい。そこを克服し、みんなに思想の一端を披露したのがこの作品だ。
 施しと自己主張、エゴイズムとの葛藤を描く。現在のトレンド、ボランティア精神の基点とともに問題点を問うている。

 定型
 俳句の五七五。あるいはラ・ロシュフーコーやパスカルの寸鉄詩やアフォリズムは、短くて意味がよくとれないものがある。作者は万感の思いを持ち、日記風に2、3行を綴った。備忘録であり、明日への糧である。一日の思いを丹念に書けば、原稿用紙で5枚や10枚は要するであろう。書いて考える方法もあるが、毎日そんな執筆作業ばかりでは、自分として多く深く考えたつもりで、ちっとも先には進まないし、狭い範囲の固定観念に陥ってしまう。独りよがりも良いところだ。
 偉大な作家は得てして、没後に有名となり業績や価値を評価される。こつこつ一人で歩まねば、未踏の頂きには登りきれない。
 ニーチェのアフォリズムは、鋭く強力で優しい。一人机に向かい、こつこつと考え、その歩みが「人間的な余りに人間的な」「この人を見よ」などの短文形式の傑作として結実した。
 一日、一日を大事にした成果だし、一つの物事をまるで動物が獲物を狙うように集中し、糧とした。短文でないと描けない。一つ一つの短文を拠り所にして、まるでロッククライマーのように全身全霊で崖を登っていく。全体を見通せたら、降りて再度、逆の方向から登り直す。大変に困難で辛抱強い知的な作業であり、生き様である。
 以前、メモに書いたアフォリズムが、逆光のように生きて来る。
「病者の光学から健全な者の光学へと変わること、それが私の努力してきたことだし、得意とするところだ。」
とニーチェは感想を漏らす。
 決して自画自賛ではない。病者の立場に身を置き、人生を見つめ生きたこともある。随分長い時間だったのかもしれない。
 朝陽の当たる頂に立つ、それが健全者の光学であり、希望である。朝陽は短く、昼には色も変わる。ちりばめられたアフォリズムはぎりぎりの感慨であり、突先の思想である。順序立ててはいない。人生が立体であり、流れる以上、文章という点や線で描くことは困難だ。(万物は流転すると、ギリシア哲学にある)せいぜいヒントを得る、あるいは生きがいを感じ取る道標である。
 そして読めば、感想を短文で良いから日記に綴ってみる。パスカルやニーチェとも出会いと教えが、自分の言葉で書かれ結実する。偉大な思想家の行間を歩み、鼓舞されるかもしれない。
 百年以上生きた名著には、知恵と力と優しさが溢れている。難渋な顔をしていると恐れていれば、狭い世界に固定観念で閉じこもる恐れがある。思想家は世界の隅々まで考え、遠い将来と過去にも思いを馳せた、スケールが大きな豊かなデッサンを描く。知的冒険のリスクが大きな分、花や実は美しく豊かだ。

 きっかけ
 ちょっとした言葉でジャンプし、相手の何気ない言葉に躓き落ち込む。一人で思い考えれば楽だろうが、タフにはなれない。温室の花々のようにきれいで整ってはいるが、ひ弱い。
 社会は人間ジャングル(「人生は万人が万人に対する戦い」とホッブスは看破する)、お互いに切磋琢磨も競争でしんどい分、実りは多い。避ければ悪霊が追いかけてくる。過度の住み込みは危ういが、街の風は心地よい。

記憶の達人
 Nさんはメモを取らないのによく覚えている。パソコンを見たら、大事なポイントは思い出せる。
「メモを取ると、読み返して思いださなければならない。パソコンの画面やキーボードを見れば、記憶が蘇るように心がけている。」
と手の内を明かす。
 何事もマニュアルの時代。人はマニュアルに依存し、それなくしては生きていけない。
 Nさんは、マニュアルを読み、その意味と仕組みを行間に刻み、思い出すようにしている。忘れれば読み返せば良い。大事なことは選んで、何度も読んでいる。だから手帳はシンプルだし、マニュアルはまっさらに近い。

 領域
 自由な領域と所属する社会システムの大きな領域がある。勤めている限り、後者の領域に心は占領され、それも前向きで取り入れ働かせようとする。いわゆる会社人間がそれであり、厳格かつスムーズに運営するために、良好な企業文化を育成し、リニューアルしてダイナミックなものに創り上げる。
 しかし企業文化を取り入れ、行使するのは、微弱ながらも個人であり、個人の自由である。
「人間は考える葦」とするパスカルの仮説を信じるならば、企業文化即ち「諸々の仕事を取り入れる」のも個人であり、自由な選択に関わる。「やるかやらないか」は、決断であり、それからは行動の連続となる。ただし決断の前には、自由な思考があり、しかる後に巨大システムの一員として、元気に生きていくことになる。
 システムは巨大で強力、個人はたった一人で弱い。
しかし「一人の命は地球より重い」とするならば、自由はナポレオンやヒットラーを除いて、巨大システムに勝つことはないにしろ、心のうちでは対等である。
 社会に出て、生きてこそ思想は成熟する。個人の安楽な生活だけでは、たとえ独創的でも絵に描いたもちに近い。

 毎日がセールス
 いざと言う時に売り込もうとするのではなく、日々の接触、態度、振舞いが、高感度を持って受け入れられる。そこばかりを狙っているのではないが、雇用の継続か否かを判定するには、日々の印象それもちょっとした振る舞いなどの総合によってなる。
 日々新たなり、意欲を持って積極的に振舞えば、微妙な雇用状態も継続して生きながらえる。
成功は一日にしてならず。まして勝利をや。

 人間関係のこつ
 つかず離れず。語呂合わせ、言葉のリズムが良い。
 腹八分。「過ぎたるは及ばざるがごとし」に通ずる。格言は時代や場所が離れていても、似ているものが多い。人生の知恵、生きていく教訓、「道しるべ」だから語り継ぐ。そう心掛ければ、成功に導けるし、大きな失敗を避けられる。
 人間関係では良くしようと、ついつい過剰になる。相手にしたら余り深く触れ迫られると迷惑になる場合もある。
 離れずは、心をもって気にかけてであり、つかずとは、ひっつかず、客観性を持ってという意味だ。
 程度の問題は実行が難しい。頭と心を使う。頭寒足熱に通じる。

 ちょっとした事
 書類で文字のフォントが異なっていた。たった1字でと思うが、1字だから目立ってしまう。前の資料を3回続けて複写して、上司からとうとう指摘された。私が気づくのを、待たれていたのだろう。赤面する思いだ。
 細心の注意で、二度とないように気をつけたい。

 退社後、事務所の鍵を守衛室に返そうと胸ポケットに入れながら、そのまま帰ってしまう時がある。2ヶ月に1回あるかないかだが、失敗すると我ながらいやだ。バスの中で気がつき、あっと驚く。忘れないようにしているのに、どうかしたら手に握ったまま数分歩いてしまう。知人と挨拶を交わした時が危ない。

 天は二物を与えず
 ある有名なピアニストが、ニューヨークのコンサート会場に行くのに迷ってしまった。ショパンやベートーベンなど夥しい音符の楽譜を暗記し、演奏できるのに、ほんのちょっとした地図が頭に入らぬらしい。どこの会場など、興味がないのだろう。

 




トップに戻る