飼い犬

宮川俊朗


 飼い犬
              宮川俊朗
 私は犬好きでよく飼っている。猫は苦手だが、犬は血統書付きであろうと、雑種であろうと構わない。前者はペットショップから買い、高価な場合が多い。後者は拾ってくるか、知人に「世話を頼むよ」と懇願されて、うちに連れて来る場合が多い。犬も身の上を知って、遠慮しながらえさを求めつつ、なついて来る。だからこちらも情がわき、散歩にも余計に連れていくようになる。前者は毛並みが良いから、賢いのが多い。ただ純血ゆえに立派だが、万が一、病気になった場合、弱い。雑種は色々な血が混じっており、タフだし苦労をした分、鍛えられ免疫ができている。
 散歩をして、犬連れに出会うと、飼い主と犬がよく似ているように思われる。飼い主は自分が好きな種類の犬を選んだのだから、自分の性格や考え方、行動様式に似たものを選ぶ。そもそも原点が合っているから、それからの生き様や散歩の様子も似てくるのだろう。
人間の夫婦がいつの間にか、性格や考え方まで似てくるように、飼い主と犬も似てくるような気がしてならない。どちらかが妥協して従うのだろうが、お互いに歩み寄って、一つの理想をつくっていくのではないか。
犬は散歩でも同じコースを好む。たまに私が別の道を行こうとすると、犬はいつものコースに行こうと引っ張る。ワンパターンは良い意味で、犬にとって精神衛生上、好ましいのであろう。人間は時には浮気をするように、ワンパターンにはマンネリを感じ、別の道を歩きたくなる。一つの事に満足せず、欲が多く贅沢なのかもしれない。

 帰宅の七時半はまだ明るい。坂を上る途中で、犬に出くわした。かなりの年齢で、あっちうろうろ、こっちうろうろという感じだ。私は知らぬ振りをしていようとしていたら、向こうもしばらく見詰めた上で、カッポ、カッポと降りて行った。
 私は夕食を済ませ、散歩に出た。十六年間飼っていた愛犬が、昨年末になくなり、ぽっかりと穴があいた。もう次はいいと思ったが、寂しさにたえかねてトイプードルを飼った。元気な動きに、いつしか辛い別れを忘れていた。その新犬を連れて外に出る。
 男性があっちこっちを探し回っている。
「中型の犬を見かけませんでしたか。ちょっと隙を見せた間に、逃げてしまったのです。」
と泣きそうな顔だ。
 私は一時間前の事を話そうかとも考えたが、却って絶望を深めることになりかねない。
「遠くで、犬がうろうろするのを見たような気がします。」
「ああ、ありがとう。」
と男性は小走りに坂を下りていった。
 私はいつものコースを散歩していると、今度は女性が懐中電灯をつけながら
「犬を見かけませんでしたか。十年間大事に飼ってきたのに、飛び出してしもうてね。」
と悔いるように話しかけた。
 ご夫婦は何人かの子供を育てられ、独立し、今は犬しかいない。その愛犬を手塩にかけて可愛がっているのに、逃げ出してしまった。いじめた覚えはないのに。
 振り乱した髪が、心を伝える。
 女性はここで長話をしても仕方ない。少しでも探さねばと去った。
 犬の名を呼ぶ声が、いつまでも続く。

 三日経った。気の毒にと思いながら、どうすることもできない。
 私は夕食後、ルーティンワークの散歩に出た。上弦の月が空にある。目を落とすと、ずっと向こうの道に、男女が犬を連れて歩いていた。中型犬の様子で、あの夫婦だとわかった。あの夫婦であってほしかった。
 犬は紐でつながれているものの、ゆっくりした調子で歩いている。その一本の紐を、二人で握って離さない。みんなで一心同体だ。
 犬は戻って来たのだ。きっと玄関前にご馳走を用意して、徹夜で待っていたのだろう。
「お前、どこへ行っていたのかい。」
「僕だって、行きたい所があったんだい。」
 会話が聞こえて来るようだ。

 時には犬にも自由をさせてやりたい。散歩だって、重い鎖無しで自由に歩かしてやりたい。
しかし犬は
「別の世界に逃げ出したい。」
「隣の家の方がご馳走を食べさせて貰える」
と思っているかもしれない。
だから相思相愛の忠犬も脱走する。
「徒然草」の一節では、愛犬が夜、飼い主を噛む。犬はそもそも狼を先祖とし、人間とは赤の他人だ。赤の他動物だ。そして狼は、一匹狼と言われるぐらい、孤独を愛し、自分だけで生きていく。なぜ一匹狼の末裔が、人間と仲良く暮らすようになったのかは、考えれば不思議なことだ。古代エジプトの時代から、犬は人に飼われている。相性が良いのだろう。それとも人間が狼以上に、一匹ならぬ一人でいたいという本性が深層心理にあって、その純な性格を恋い求めるのかもしれない。

 時計
 六月の旅行が近くなり、その時に新しい時計を買おうと思う。今、腕にはめている時計も三年前の旅行で買ったものだ。その旅行がとても楽しく、意義深いものだったので、思い出の時計としてずっと左腕にある。
 しかし一週間前に、電池が切れた。
 コンピュータを仕事にしている友は
「電池が切れたら、新しいのを買いますよ。電池の交換代にちょっと足せば、新しいのが手に入るからね。」
と笑いながら言った。
 理屈ではそうなのだ。机の奥に仕舞い込めば、思い出まで忘れてしまいそうだ。それに一年前の時計屋での遣り取りを思い出した。
「お客様の電池交換は、苦労しましたよ。部品が相当、痛んでいるので、交換は今回が最後でしょうね。」
と技術士は、度の強い眼鏡を光らせた。
「そうでしょうね。」
と相槌を打ったが、心臓が早鐘のように鳴った。
 今後、その店に行かねばならぬと思うとぞっとする。
「もうなおしようがありません。」
と一蹴されそうな気がする。
 梅雨にはまだ遠く、蒸し暑かった。大通りを二つ越えた時計店に行くことにした。もし恥をかいても、その店はお客様が少なそうなので、何とか耐えられそうだ。
 案の定、客は私と主婦の二人だけだ。
「交換には十分ほどかかります。よろしいでしょうか。」
と若い店員は、さわやかな案内だ。
 私は「はい」と快諾し、ショーウィンドウにある時計を眺めた。立派な時計がいっぱいで、もし身に付けられたら、きらきらと輝きそうだ。
「お待たせしました。」
という明るい声に、恐る恐る内容を尋ねると
「ちゃんと交換しておきましたから、二年間は大丈夫です。保証書を付けていますので、もし電池が切れるようなことがあっても、無料でお取り替えします。」
「ありがとう。その時はお願いします。」
と礼を述べ、いそいそと外に出た。
 左手首に戻った時計は、新しい心臓を移植されたかのように、チクチクと動いている。
「君も旅行に連れて行ってやるよ。」
と唇を近付けて、ささやくと
「わあ、嬉しいなあ。」
と元気に時を刻んでいる。



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