雪村いづみ

宮川俊朗


雪村いづみ
      宮川俊朗

雪村さんは声が明るく弾んでいる。ラジオで耳を澄まして聴いているとよくわかる。今にも歌が飛び出し、ミュージカルが始まるようだ。芸を、恋を、そして人生を楽しみ、トライしていらっしゃる様子がよくわかる。モーパッサンやフローベルが生きていて、取材する機会があれば、別の「女の一生」を書くだろうと思われるぐらいに陽気で頑張り屋の人生が、現在進行形である。歌を聴いてみたい。

日曜日の夜、NHKラジオの文化講演会で、雪村いづみさんの話を聞く。正式にはトークショーであり、形式は主催者側と本人の希望が相まって司会者との対話形式になったと思われる。七十五年の半生を、わずか1時間で語るのは、余程、講演慣れた方が行うことだ。雪村さんのように波乱万丈で、しかも現在進行形となれば、ある一時代を語るのも一時間やそこらはかかりそうだ。
十五歳で歌手のデビューをされた。お父さんがハワイアンのプロだったから、幼い頃から歌の勉強をした。お父さんは厳格で完璧主義であるから、音楽についても厳しい教育と楽しみ方の薫育がなされたであろうと伺える。
雪村さんは、トークショー形式だから質問に答えるばかりで、それも簡潔明快であるから、真実の背景や本音はてまた深層心理などわかるべくもない。ただ全体として、人生への主張と生き様の大事な部分を余すところなく語られた。それが音だけのラジオ放送を生き生きしたものにした。私は床の中で眠いはずだが、欠伸ひとつしなかった。
お父さんのしつけは厳しく、愛に基づいていたが、妙なところで破綻する。お母さんが異常に気づいて、ビンをいづみさんに探させる。庭に落ちていたというより、隠されていたビンを、いづみさんは探し当てるのだが、それは青酸カリのビンだ。真相究明のために、夫婦の口論などが激しく行われたが、まもなくお父さんは自殺する。不倫のためであり、のっぴきならぬ状態であった。
「明日のことはわからない。」と何度の口にされた思いは、この時の衝撃が最も強烈であった。
雪村家は、東京目黒区大岡山の豪邸であったが、町外れに引っ越さざるを得ない。わずか10歳の時だ。苦学の段を超え、中学を出て就職しなければならない。と言ってもこれと言って職があるわけではない。
ダンスホールで歌を歌い、それも無給が多い。お客様から駄賃代わりに連れて行ってもらった料亭が「雪村」であり、それが芸名となる。どうしようもない状況ではあるが、偶然のおもしろさが気に入り、雪村となる。旦那さんにつけられた名前でもあろう。
「日劇」でもミュージカルを歌った。日劇はストリップ劇場である。ストリッパーの艶かしい踊りを見ながら、盛り上げるために英語の歌を歌う。どこで歌っても上手で、引き手あまたとなり、ついには映画出演となる。
雪村さんは、ターニングポイントたる劇的な場面を振り返りながら、まさに今、ミュージカルの主人公を演じているかのように、美しい声でリズミカルに語る。人生はミュージカルで、その逆も真である。雪村さんの元気の良い、波乱万丈の半生は、自らがシナリオを作り、演じ、歌い続けるミュージカルでもある。
「明日は自分が作る。自分たちが作る。」
まるで矢沢永吉が語りそうなせりふが、雪村さんの生き様から浮かび上がり、魅力的だ。本などに著す暇はない。歌わなくっちゃ、生きなくっちゃ、恋しよう。
美空ひばり、江利ちえみと雪村さんが、三人娘である。三人は昭和十二年生まれの同じ年、ライバルでありながら、仲良し娘、人気スターである。
「劇をやるのも、ひばりさんだけ特別室を持っているのよ。でも三人でいつも4畳半の狭い部屋でよく喋ったわ。
ひばりさんはああ見えても、とってもきさくでよく笑うのよね。ちえみちゃんは、とても神経質で小さいことに気になるの。健さんと一緒になったけれど、健さんの方が惚れていたみたい。」
と饒舌な楽しい話に悲劇が待っている。
 江利ちえみさんは若くしてなくなり、美空ひばりも五十二歳で病いに伏す。
「ひばりさんがなくなった時は、神戸でミュージカルの公演中だった。報せを聞き、タクシーを待たせて東京まで行き、翌日は一番の新幹線で神戸に帰りました・」
 語る声が沈み、かみ締めるようだ。
「明日のことはわからない。」
は、とりわけ美空ひばりさんとの別れを指す。
 ひばりさんも神戸に行く前は、元気だったにちがいない。

「私にはヒット曲はない・」
と謙遜しつつ、ひばりさんやちえみさんのヒット曲をコンサートで歌う。歌唱力は往年のもので、磨きがかかる。
 恋愛遍歴を披露する。さすがに公開トークショーで、具体的なことまでは触れない。素敵なことも辛いことも、恋多き女性にはあまたある。
「私は義理がたいのよ。今付き合っている人と別れて、けりをつけない限り次の人にはいかないのよ。」
「別れるのが大変なのよ。」
と声のトーンを高くしてはにかみつつ笑う。
もしゴーストライターが現れれば、ピアフやマリア・カラスのように素敵な深みのある自叙伝(本当は違う)や映画を創るだろう。しかしミュージシャンは、本は嫌いで、歌うのが好きだ。

アメリカ人と恋をし、結婚してアメリカで子供を産む。マリアさんだ。
「アメリカでは仕事は余りしなかったわ。」
とは、はにかみの謙遜にしても、妻、母、主婦に徹した。
「4年後にサンフランシスコから船に乗るときは泣いたわ。4日間泣きっぱなしだったわ。」
日本と違い、アメリカではもう二度とは会えまい。ミュージカル以上に素晴らしい恋を味わい、幸福の絶頂であった。
「マリアも音楽をやり、レコードも出したわ。私はそのレコードを大事にしています。でもマリアは「性(しょう)に合わない」と音楽を止めました。」
 雪村さんは音楽が性に合い、今も現役バリバリのミュージシャンだ。音楽家とミュージシャンは、英語と日本語のいずれもが大好きで、ペラペラの雪村さんこそできる役割だ。似ていてちょっと違う、夢とドリームの差だ。
 雪村さんは、言葉を選び、選び話される。沈黙が長いというわけではないが、素早く言葉を選び、大事に発音し歌う。
「ひこうき雲」は荒井ゆみが、雪村さんに贈った歌だ。シンガーソングライターが一生懸命に創り歌ってもらいたい相手が、雪村さんだ。荒井さん自身がヒットさせ、一流歌手に上り詰めた。
音楽家は音楽家がわかる。

「もう25年も恋をしてないのよ。だって恋は素敵だけど、しんどいのよ。」
 しんどいという関西弁が、重々しく心を伝える。
きっと新しい恋をつかみ、芽生えさせていらっしゃるのかもしれない。トークショーは主演のミュージカルと同じく盛大な拍手で余韻をもって幕を閉じた。
 

特技
論理思考が強い人は、議論に強く、混乱した状態でも論理的にまとめ整理し、対策を考えきる。選択と集中が上手で、その知的作業を好むからだ。
しかし「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、自らがピンチに陥った時も論理的に思考し過ぎて、極度に悲観してしまう。情だけで楽観的に思うのは曖昧かもしれないが、希望や夢を加味して未来を想うのも大事だ。論理一辺倒では、刃先が折れた時、次の一手が難しく暗くなる。
「名人は少し鈍き刀を使う。」
とは、吉田兼好の名言であり、生活の知恵である。

 雑感
「財布の底まで使いきってしまう書き方は感心しない。」
という志賀直哉の言葉が、心に沁みる。
 夜、悩みの中に読んだだけに、感心した。

朝の通勤時間にすれ違う、YS君のお母さんが、黒いサングラスをかけ始めた。濃い黒でフランス映画に出て来るマダムのようだ。ゆう君は来春に幼稚園を卒業だ。マダムはどこか新しい世界へ入学するのかしら。

数字と言葉による表現。数字を言葉へ。言葉を数字へ。双方へ行ったり来たりできる人は、仕事ができる。




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