徒然草の感想

宮川俊朗



 急ぐ仕事は、これと言ってなくなる。あと1年が山の7月1日を乗り越えるとほっとする。いつかはゆるい日が来るとは思っていたが、自分の番になるとたるむというより気が抜ける思いだ。ピッチャーがストライクだけを取りに「ボールを置きにゆく」という気持ち、窓際族が「一日をとにかく過ごす」という乞食根性が恥ずかしながら芽生える。
 徒然草に「木登りの名人は降りかけに細心の注意を払う」とある。険しい木を登る時以上に全体を見ながら神経を使うということか。優秀なピッチャーがノーヒットノーランで8回まで投げてきたのに、あと1回で猛打を浴び敗戦投手になる恐れがある。攻めから逃げに入るのか。心の片隅に勝ち逃げを狙う気持ちが現れると、敵はここぞと待っている。

 それにしても吉田兼好は、京都の庵に隠遁していたはずだが、祭りや行事に顔を出し、多くの名人たちと話をしている。ジャーナリストの一面が強い。

「もの言はざれば、腹ふくれるわざなり」
とは、徒然草が最初らしい。
 四季について述べる段で登場する。引用にしてはあっさりしていると感じた。
「四季については、源氏物語や枕草子に言い尽くしている。」
と綴りながら、同じことを思うのは良いことだと書き、続いてこの格言が出てくる。
吉田兼好は世捨て人として遁世しながらも、古典にはいそしみ愛読されたことが推察される。多くの段でも、祭りや政治など街の出来事を書いているから、庵にこもって暮らしたというより、昼は京の都に出て人との交わりが多かったように思われる。

出家とは、社会的な関係を絶つとともに自由人として生きる。
固定観念を捨てて自由に思い考えようとする態度であり、自由な時間が多すぎると
「あやしうこそものくるおおしけれ」という狂気に近い精神状態に陥るのだろう。

一日たっぷり考えて、数行を綴る。数行に絞り込むために、再び時間を費やす。
書いた紙は、障子に貼って眺めた。弟子が貼ったと伝えられている。弟子は選ばれ、貴重な体験をした。弟子が障子の文章を編集して、徒然草を著したとも言われている。
自費出版するくらいならば、隠遁などしないだろう。
隠遁したからこそ、多くの古典を読めたし、徹底して考え、自己を確立できたとも言える。王朝がぐらつき、戦乱の世とあって、ぐらぐら揺れて右往左往の状態、とても自己確立など夢のまた夢。
ただし吉田兼好もさすがに生活に困ったらしく
「ものをくれる人は良きなり」
と本音を漏らしている。
 食うや食わずの日々もあったのだろう。
 腹を空かせては戦ができぬ。腹が満ち足りれば、今度は言いたいことを言わなければ腹にたまる一方だ。書くというより、思いを弟子に話したというのが本当かもしれない。

 松尾芭蕉に同行した曽良、ゲーテの言葉を息づく側で、筆記できたエッカーマン、マルクスを経済的に助けたエンゲルスだって、偉大な思想をくまなく聞き理解する幸運に恵まれた。天才たちのお目に適うからこそ、ほんの側で生活の世話をする役を任じられたし、同居を許されたのであろう。
一人では生きられない。しかし一人自由に生きてみたい。この矛盾の中に、リッチでタフな弟子が彗星のごとく登場することになる。弟子たちの中で選ばれた幸運のエリートだ。馬が合う、相性が良い、敬愛の気持ちが感じられるなど選抜の理由は多々あろう。山あり、谷あり、横には荒海ありの「奥の細道」を同行させてもらうには、体力、精神力が並外れて強くなければいけない。自分がアップアップしているようでは、とても師匠松尾芭蕉のお世話などできない。いざとなれば、師匠をからって松嶋、平泉から山越えして山形に向かわねばならぬ。食糧が尽きてくれば、自分は食べずとも師匠にあるだけ食べていただく腹がなければ、役立たずとなる。師匠とて人間で、疲れれば怒りやすくなり、当り散らすことにもなる。そこでも人間ができていれば、平静さを装っていただけるだろうが、師匠が心身ともに落ち込んでいれば支え、助け、時にはユーモアを交えて励ますことも必要になる。自分が心の暗夜行路に落ち込んでいては、とても励ますどころではない。一つも二つも上を行く度量が必要だ。同行、同宿の弟子は、師匠こそ尊敬の眼差しを持って招待しているのかもしれない。
こう考えると吉田兼好のお世話役は、兼好の最初にして最大の理解者であり、敬愛者であったかもしれない。

第39段 法然上人の話
 法然上人への敬愛の気持ちがよく現れた随筆である。
「念仏を唱えながら寝てしまう。どうしたら良いか」との質問に
「起きている時に唱えなさい」と答える。
 きつい縛りがなく、一休さんのとんち話のようだ。もちろん法然上人の方が先に生まれている。
「悩みながら信心をして救われるか」
「それも結構、救われます」との回答。
 凡人は信仰しても疑い、さぼる。
 本人は厳格な修行を重ねているが、信徒には寛容で懐が深い。その態度は、吉田兼好に通じるところがある。隠遁しながら、街にぶらぶら出る。世のはかなさを感じつつ、生を楽しみ、人と大いに交わる。古典を尊びつつ、鋭く疑い、知恵のありかを求める。女性への恋しい気持ちも、あちこちに見られる。明暗がバランスよく取れた名画のように、知恵と幸せ、虚無が文章に散りばめられる。早くから悟りを開くとともに、いつまでも迷い、苦しむ様は、人間そのもので親近感がわく。

 第41章 栗娘
 「栗娘」の逸話はおもしろい。因幡の国にすごく器量の良い娘がいて、お金持ちや貴族たちが「私の妻に」とプロポーズするのだが、お父様が「私の娘は栗ばかり食べて、米を一つも食べません。」と断るという話だ。
 兼好がその理由を尋ねたのか、聞かずにいたのかは短文ゆえに、21世紀の読者にはわからない。ただつれづれなるままに日暮し、思い考えたのは事実だ。楽しく考えから書き綴ったのは確かで、その中身は真実に近くても問い正していないから記述していない。
 美人の父は、娘に何度も「ご飯を食べなさい。」と説得したであろう。「ご飯を食べないとお嫁に行かれませんよ。」と強く言ったかもしれない。
 あるいは愛妻が栗ばかり食べて困っていた。自分にはご飯をつくってくれるが、時には「栗をたべなさいよ。」と迫り、付き合わざるを得ない。娘は母の感化で、栗ばかり食べる。因幡のお金持ちだろうから、栗はたくさん手に入る。しかし娘は栗以外の食べ物は口に入らず、一種の拒食症に陥る。そこで仕方なく、毎日、毎日、栗ばかりの食生活になるのだろうが、こんなのは因幡の豪族だからできる業で、結婚したら物理的にも財政的にもできないばかりか、白米のご飯を強要されて娘は絶食状態に陥る。その危機を恐れて、身に余る見合い話や恋文を断る。
 あるいは、誰も彼も断るために「我が娘は栗しか食べません」と奇妙なキャラクターを創設したのか。美人ゆえに謎の多い逸話である。

 第45章 ニックネーム
 極めて腹あしき人の登場である。「極めて」と断定するからには、単なる噂だけではなく、兼好自身も交渉があり、痛い目に合わされたのかもしれない。腹あしき人の悪行により、隠遁生活を余儀なくされたのかもしれない。
 榎木の横に住んでいるから、榎木の僧正、そのニックネームがいやで切り倒せば、「きりくひの僧正」それもいやなので、株を切り取り池を掘ると「掘り池」の僧正とまたまた好ましくないニックネームを付けられる。
 もともと悪知恵を働かせて、寺を乗っ取ったのか。寺の上役を追い出して、自分がNO1の僧正になったのか。
「それはいけないことでしょう。」
と庶民や檀家の人たちは、僧正本人がいやがる、そして本人とすぐわかるニックネームを付けて憂さを晴らす。いじめの返しだ。まさか兼好がニックネームづくりに加担したわけではなかろうが、反対もせず同意して使うところは腹に一物も二物もある。
 それからどうなったかは、謎である。僧正は耐えられず、どこかに退散したか、あるいは池を埋め返しては、新たなニックネームを被せられたのか。改心し、みんなから慕われ、悪名を返上して、めでたし、めでたしとなったのか。
 読者もつれづれなるままに考えることにしよう。




トップに戻る