心模様

宮川俊朗

 心の中にかすかに有るか、無いかわからないようなものを、無理矢理搾り出して書き作るのは、控えたい。心の中にかすかにでもあって動くものを自分自身で究め、確かめる作業は要る。しかしわずかなものを、真理として鬼の首を取ったように書き刻むのは、止めたい。

 もの書きは、心に空洞が生ずれば、物語を作ったり、新たな対象を求めたりする。物語を創れば楽しい。自分の考えを盛り込みながら、自由空間を創れるからだ。
 そしてその物語が世間に受け入れられ、収入を得て生計を立てられれば、願ったり叶ったりだ。
 しかし小説家として成功しても
「自分は何か。何を今、しているか。何をこれからやりたいのか。」
と煎じ詰めるのは、容易ではない。
「小説を書くのが、本来の仕事である。」
と心の中を究めるより、執筆に専念するのが王道である。
 ゴチャゴチャと心の中を、いじくり回しても時間ばかりかかり、埒が明かない。しかしどんなに名作を書こうが、心の舞台裏はついてくる。表と裏を行ったり来たりの平行作業が大切だ。裏舞台が整理されまとまれば、表に専念できる。
 ただし物書きも舞台裏に篭り、表への扉を閉めて、しっかり過去、現在、未来を考える時間があっても良い。舞台裏は基礎だ。
 私は還暦を迎え、定年退職し、同じ職場に再就職させてもらっている。この人生の節目時こそ、自分自身の心模様を眺め、思考する時だ。

 徒然草
 徒然草は簡潔で短い随筆だが、内容は鋭く豊かである。現実描写や理想を語るなかに、本音をちらつかせる。

 「つれづれなるままに、日暮し、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくる」とは大変なことだ。思考がどちらの方向に進むかわからず、不安になるからだ。
 独りでたらふく時間があれば、本を読んだり、テレビを観たり、音楽を聴きたくなる。何れを取っても、長くは難しいので、家族団欒やら、もう一度、社交の場に戻ろうとする。
 吉田兼好でさえ、ずっと考え続けていれば、善い事も悪いことも浮かんで来て、「あやしうこそものぐるほしけれ」と心の内を告げている。
 何かを実現しようという目的で考えるならば、成功に向けての線や軸がある。ところが特にテーマを設けず、自由に考えるとなれば、どちらの方向へ行くともしれない。思考の素人が、余りにのめり込めば、不安になるし危険を伴う。
 心をそのままにしておくのは、心理学への道となる。
 「つれづれに」ではなく、「なるままに」とする所が、勘所だ。徒然草のキーワードと言っても良い。ある特定の好きな考え方から、人や物事を解釈するのではなく、人生そのものをあるがままに、自分の心で感じ、考える。随分と時間や根気がいる。きっと兼好は、自然体であるとともに、座禅と同じく厳しい思考スタイルを取ったであろう。あるいは座禅こそが、最もリラックスできる思考スタイルかもしれない。
 「心でとらえる」という静かで粘り強い思考が身につけば、もう個室に留まる必要はなくなる。内に篭って考えるように、外でリラックスして考える。あるいは外のことを、家庭という内で思い考える。内で思い巡らせる心模様を、外の人たちに当てはめて考えてみる。
 徒然草は心の内面をこんこんと楽しく考える章が、機軸である。しかしそれ以上に多くの章では、京の都や四季折々の出来事、人情が自由闊達に描かれている。全部の章を読んで、比較検討すれば、相矛盾することも多い。しかし本人に矛盾点を鋭く指摘し、理路整然と書き直してもらったところで、堅苦しいロボットの文集が一冊できるだけだろう。
 むしろ吉田兼好は相矛盾するものを、いかに乗り越え、歩いて行かれたかを、行間を含めて読み取る方がおもしろかろう。

 小野道風の偽りの書を見て、怒ったり、誤りを指摘するのはやさしい。「偽りの書だから、珍しく、おもしろい」と感じたその心こそ、人生の知恵であり、妙見である。
 連歌士が、連歌会の帰りに、自宅で飼っている犬にかまれる話もおもしろい。頭が連歌のままで、愛犬が寄ってきても雑に撫ぜてやったのだろう。犬だっていやな所を触られると噛みつく。
 娘が栗好きで、米のご飯を食べない。父が将来を案じて、嫁にやらないという逸話もある。本当はかわゆくて、家におこうとする。あるいは妻が娘以上に、栗好きで手を焼いているのかもしれない。
断片とも言える短い随筆なので、正解を出しにくい。兼好だって真相はつかめない。それだけに想像力を刺激し、たくましくする。

 兼好は代筆業をし、生計の足しにした。決戦の果たし状から恋文の代筆まで営んでいたと伝えられている。名文家にとっては、たやすい事で、腕の見せ所であったし、腕を更に磨く場であった。
 この逸話の真偽は、他の古典と同じく、残された数少ない文書から想像していくしかあるまい。余りの名文ゆえに、後代の研究家が敬意とおもしろみを以って作り上げたのかもしれない。
 決戦への猛々しい書状、心ときめき艶っぽいラブレターは、独りつれづれなるままにしたためられた。もはや兼好は世捨て人というより、世を引き寄せ、世の中心で生きた。少なくとも物事の本質が見えたゆえに、様々な代筆にも快く応じ、依頼者の想定以上の成果を贈り捧げた。
 代筆の余韻は忘れないようにと綴った集積が、徒然草として開花した。

 独り暮らしの兼好にも、生きていくための生活がある。逸話伝によれば、弟子を一人抱えていたらしい。ただの一人暮らしなら、日々の生活を営むためにあたふたとなり、「つれづれなるまま」の時間は乏しくなる。
 「良き人は食べ物をくださる人」と一節にある。
 時には今日、明日の食べ物にも困っていたと見える。弟子を雇っていたとは、経済的にも考えられられない。貴族か学者か知人が、我が子を生活のお手伝いと教育のために居候をお願いしたにちがいない。あるいは志ある本人が、親にせつに頼み願い出たのであろう。「名文の秘訣」を習えるならば、丁稚奉公もたやすい事だ。

 兼好は気に入った文章を障子に貼り付けたと言われる。名随筆では書いた順にほぼ時系列的に並んでいるのは、枕草子である。兼好は自ら手応ええのある文章をよく見える所に並べた。冒頭の「つれづれなるままに」は、障子の真ん中に貼りすえる。文章の方法論ばかりか、人生論の中核をなす。
 兼好がなくなってから、障子の名文は丁寧にはがれ、随筆集となった。私生活の大半を知っている弟子が、編纂の中心になったのは言うまでもない。弟子はこの時に備え、派遣されたようなものだ。弟子は自らの解釈や執筆の背景を、名文集の側に添えたかったであろう。
 たとえ微細なことでも、例えば弥勒菩薩やミロのヴィーナスを制作に伴う逸話が残されているならば、誰もが必読するように、弟子の手記は尊い価値を放つ。ただ弟子が書きたかったことは、徒然草の行間に忍び描かれている。行間を含め、本文を読み解けば、ジグゾーパズルを構築するように、兼好や京の街、人生の縮図が浮かび上がってくるであろう。

 言葉
 私は定年になり、現役時代と同じ職場で再雇用されて働いている。課長から係員の仕事に戻り、給料は約三分の一に減り、今年入ったばかりの新入社員と同じである。それでも雇って貰っていることに感謝し、会社のため、世の中のため、家庭のためと精を出している。それでも悩みは多い。
 体力と精神力を現役時代と同じように維持するのは大変で、こまめな努力と節制を続けている。一例を挙げれば、つい俯きがちになりそうな時は背筋を伸ばして大股で歩く。横断歩道で信号が青になる際は、先頭を歩くなど、心身ともに誇りを保つように心掛けている。その甲斐あってか、同僚や後輩たちと、何とか同じレベルで仕事ができていると思う。
 初秋の晴れた朝、三歳下の現役社員と廊下で擦れ違った際、
「老いてますます盛んですね。」
と語り掛けて来た。
 本人は誉めているつもりだろうが、言葉の使い方が間違っている。「老いて・・・」とは普通、男女の情を言うものであり、仕事振りについては当てはまらない。
 私はその日、喉に小骨が刺さったままのように厭な気持だった。

 三日後の帰り際の廊下で、同室の後輩課長から
「傘は持たれてありますか。」
と敬語で呼び止められた。
 夕暮れが早く、薄暗い。窓の外は粉ぬか雨が降っている。
 若い課長は勤務中は、部下に適確に指示、命令し、私も今やその対象の一人である。しかし一旦、職場を離れると、私を先輩として立ててくださる。三年間のホテル勤務の経験が、気配りや優しい立ち居振る舞いを後押ししている。
 コントロール・管理と優しい気配りが両方ともできる人は稀である。当面は管理ができれば仕事は進む。しかし気配り、思い遣りが乏しければ、人はついてこないし、友だちや仲間も増えない。
 私の先生は、フランス留学の経験があり
「シャープでブリリアントでなければいけないよ。」
と講義中によく口にされた。
 物事を切り砕くシャープさと、輝きを放ち豊かさを持つのは、両立しにくいことだ。直ぐに成果や結論を求めるならば、シャープさを重んじる。しかし本当の価値や意味合いはブリリアントでなければ共有化されない。余裕が出てきたら、ブリリアントさもついて来る。それでもシャープさが落ちやしないかと凡人は心配になる。
 若い課長は、気配りとコントロールがよくできる。将来は、シャープさとブリリアントにつながるであろう。その芽はある。
 私はとても嬉しくなり
「はい、カバンの中に持っております。」と大きな声で答えた。

 山本昌投手
 プロ野球の左腕は、金田正一、江夏豊、工藤公康と長く投げ続けた名投手が多い。山本昌もその一人である。

 平成22年のセリーグ・ペナントレースは、中日ドラゴンズが優勝した。多くのヒーローが出た中で、山本昌投手の活躍が光る。四十四歳にもなって完封勝利をあげた。やれ中継ぎだ、抑えのセーブだの、こまめな作戦を競う時代に、完投ばかりか完封だ。
 どんな球を投げたのか。
 日頃からどのようなトレーニングや節制に励んでいるのか。
 山本昌さんは、記者の質問に色々と答えながら、本当の核心は喋っていないように思う。それは企業秘密に似た個人秘密であり、信条、魂、命であるからだ。
 例えば「愛する家族のためにマウンドに立ちます。」
と述べたとしよう。
 美談として翌朝の新聞に掲載されるとともに、
「何んだ、たったそれだけか」
とこそこそ批判されるのが落ちだ。
 家族のために傷を克服し、鍛え直す。得意の持ち球を点検、リフレッシュするとともに、相手の打者や休場の状況を研究してきた。シーズンオフには家族全員でハワイ旅行を約束しているのかもしれない。
「打てるなら打ってみろ」と投げる球は、命である。
 小手先で打てるようなヤワな球ではない。プロなら誰でも励んでいる努力かもしれない。金田、江夏、工藤投手たちは、一般に評される峠を越えてから、更に凄みと輝きを見せた。
 野球ファンは、四十四歳の大ベテランが、十八歳の新人に向かい、命を賭けて戦う姿に感動する。
 これも私が再雇用の身ゆえに味わえる感動だ。

 ピカソ
 ピカソは生涯にわたり多くの名作を描き続けた。この二十世紀絵画の巨匠についての写真集や評論は多い。画集といくつかの評論を組み合わせて、真剣かつ敬意と愛情を持って読み探れば、一冊の感想文集ができるであろう。
 ピカソは最晩年、セント・ヴィクトリア山の麓に移り住んだ。その住み処は、敬愛するセザンヌのアトリエ付近だ。三階には絵の道具以外は何も置かず、真正面にセント・ヴィクトリア山が見える。ピカソは山ばかりか、晩年のセザンヌと向き合い、その時間、空間を楽しんだ。庭には自らが入るであろう墓も、既に用意していた。
 パリに居れば、斬新で華やかな絵を描き続けられた。作品の評価は既に高い。また生まれ育った故郷のスペインにも帰りたかったはずだ。ピカソ伝を読めば、里帰りの史実を確認できるかもしれない。
「太陽と死は長く見つめてはいけない。」
とは同じフランス人、ラ・ロシュフーコーの警句である。
 余り見詰めると、心身に害を与えるからだ。ラ・ロシュフーコー自身がその傾向に陥り、自戒を伝えた養生訓かもしれない。
 ただし死が近づきつつあるのを、身に感ずれば、じっくりと向かい合うのは賢い生き方だ。死から逃げようとしても、死は追いかけて来る。死から止めを刺される前に、心身は死に包まれる。だったら死を包んでみよう。残された生を以って、死と対峙し、時には握手してみよう。
 死は絶望から虚無への道だ。古今東西の夥しい人々が通った道を、たった一人のちっぽけな頭や心で、全体を捉えられるはずがない。こう思うと心は挫き、崩れる。
 ピカソは死の近づくのを直観した折、師セザンヌのもとに赴いた。それから感じ、考えたことは、すべて絵の中にある。私たちが、じっくりと観賞してゆくと、セント・ヴィクトリア山が見えるかもしれない。

 老年
「老年」は、志賀直哉の晩年における傑作である。優れて真摯な作家は、同じテーマをもてあそぶように、いくつもの作品に繰り返し書かない。テーマを突き詰め、結論まで持って行く。
 老いが募れば、その行く先を自分のありったけの感性と考えで書いてみたい。主人公は有名な洋画家であり、一人身にかこつけて若い愛人を家に住まわせる。それが創作の活力源であり、欲望の塊、夢の世界である。
 短くも楽しい生活の後、若い女性に男ができる。それは年齢から考えて自然な流れである。女からの告白には、裏表がなくリアルであるがゆえに、老人にとっては残酷極まりない。老人は愛人に財産を譲ってやる。まもなくその女と別れることで、何もかも失う。それが晩年の荒野であり、志賀直哉が突き詰めた心象風景であった。
 真摯で情熱のある作家は、難しい深刻なテーマに挑み、傑作を残した。と同時にまもなく創作活動自体を停止してしまう。まだまだ力作は書けるはずだし、それからも優れたエッセーはいくつも書いている。しかし小説家は小説が命であり、小説で勝負する。
 「老年」は志賀直哉の人生と小説へのレクイエムである。ご本人は九十歳まで長生きされたから、若き日のレクイエムと言って良いのかもしれない。

  ヤナーチェック 
 晩年に差し掛かってから、芸を磨き完成した芸術家は多い。ヤナーチェックもその一人で、六十歳頃からの創作は、心の青春とも称せられる。もともと作曲では名高く、音楽大学などで教えていた。しかしこれと言った名作は乏しい。若き女性との出遭いが、心の年齢を逆流させた。
 三十五歳以上離れた、うら若き女性は、作曲等の手伝いを始めた。たまたま志願してきたのか、友人が「君と呼吸が良さそうだ」と紹介したのかは、定かでない。人生は煎じ詰めると、藪の中になる場合が多い。藪は多くの樹木や草花から成り立っている。雑草という草はないように、本当は藪もない。樹木と草花が、一本、一本育っている。茂り過ぎて、藪と呼ばれる。
 音楽志願の女性が、友から紹介された。藪の中は、霧の中だ。ヤナーチェックは、その女性に恋をした。厳格なドイツ女性と結婚生活を続けていたが、心は若き助手に傾いた。そこから猛烈な作曲活動が始まる。妻の父は、音楽の権威で、物心ともに彼を援助し、監察官としての妻が、まじめかつ厳格にいた。ヤナーチェックのそれまでの作曲は、厳格な義父の流れを汲み、生活はまさしくきっちりと、揺るぎないものであった。
 しかしお手伝いの女性が、殻を破ってくれた。もくもくと仕事のお世話をする内に、ヤナーチェックの心の殻を突き破る。それまでの作曲も良かったが、ヤナーチェックが出ていなかった。少なくとも全開までには、達していなかった。ヤナーチェックは彼女に恋をし、彼女のために曲を捧げた。音楽は言葉なき、ラブレターである。
才覚のある女性は、ラブレターの調べを敏感に聴き取った。そして仕事のお手伝い、例えば楽譜の清書とか、机や椅子の清掃など身のまわりのお世話で返した。心をこめた返し方は、恋。ラブレターの返事となる。
 ヤナーチェックの部屋は、恋の園となる。人が羨ましがるほどの、あつあつの愛。音符で交わすラブレター。
 創出する作品は、活発で意欲に富み、どこまでもエロティックと言われる。聴く人が聴けば、ラブソングそして高品質で前衛的な作品群だ。自然に聴いていても、心が慰められ、豊かになる。
 ヤナーチェックと聡明なる女性との関係は、具体的には知られていない。ブラームスとシューマン夫人との関係のように、どこまでもプラトニックであり、それ故に耳元でささやき口説くエロティックな調べであったろう。創作の源泉であったことは言うまでもない。ブラームスの場合、シューマン夫人の思いが、余りに熱くまたストイックであったために複雑怪奇の様相を漂わせる。
 フランスの妖精サガンから「ブラームスはお好き」などと皮肉られる。
 ヤナーチェックはストレートであり、どこまでも進んだ。休火山が、満を持して噴火した。行動の自由が作曲の自由となり、名曲を生んだ。紹介した友人こそ、先見の明があった。もたもたしている大器晩成の男に、そっと援軍を送った。若き女性は、ヤナーチェックというたった一人のオーケストラを指揮することになる。もう藪の中ではない。実りの季節を迎える。

   スランプの壁  
 庄治紗矢香さんは、天才バイオリニストでと称せられる。少女時代から音楽を習い、15歳で世界音楽コンクールに優勝した。「どこまでも上手になれる」と期待されたし、本人もその気で練習に励んだ。しかし20歳前後に早くも挫折した。
 「バイオリニストやピアニストは、野球をしてはいけない。恋も控えた方が良い。」
とある音楽教師は、語っている。
 野球で突き指や骨折でもしようものなら、演奏どころでなくなる。恋愛を深めれば、デートの時間を取られるし、心が異性に向かう。かなりの名曲が、恋をモティーフに作曲されたのだ。本当は恋を知りて、音楽を究めるのが筋だろう。しかし大家になる前に、異性との夜のドライブにときめいていては、練習が滞る。まさかバイオリンを抱えて、デートに臨むわけにはいかない。
 天才と謳われた少女も、もうやめようかと思うぐらいに挫折した。言い訳程度しか練習をしなかったし、演奏会には数年間、顔を出さなかった。
 「人間はおろかで、人生ははかないというドストエフスキーの言葉で立ち直りました。」
とにこやかに振り返る。
 彼女は、ドストエフスキーを読まざるを得ないぐらいまで追い込まれたのか。全集を読み上げたのか。しかし若き潮は、一直線に世界最高レベルへと上昇しようと努め、壁にぶち当たっていたにちがいない。
 「壁は一歩引いて眺めよう。どうしても難しいなら、回り道をし壁を遠くから眺めながら歩く」ともドストエフスキーの箴言にある。
 芥川龍之介は、「ドストエフスキーは悪魔さえ憂鬱にする。」
と書いている。
 人間を憂鬱にするのが悪魔なら、悪魔は憂鬱の大家である。憂鬱については何もかも知り尽くしている。
「その悪魔の一つ上をいくのが、ドストエフスキーだ」
と芥川龍之介は畏れながらも綴っている。
 一つ上なら、憂鬱の本質も深みも究めるとともに、脱出法についてもプロであり、歓喜と憂鬱を往ったり来たりできる。その往復ピストン運動を元に名作を著した。

 下手でもともと、駄目で当たり前、そうならないように努力する。おろかな演奏をしたらご免なさい。
 上方志向が行き詰まり、地獄に落ちた時、バイオリンから美しいメロディが流れる。
 私の人生、そしてあなたの人生も明日はないかもしれないのよ。今生きている嬉しさ。あなたと巡りあった喜び。それではバイオリンを弾いてさしあげましょう。あなたのことを思って、弾かしていただきます。
 いつも心にドストエフスキー。虚無の地獄から這い上がった少女が、演奏すると聞けば、文豪ドストエフスキーも目を白黒させて、演奏会に馳せ参じるかもしれない。

 ドストエフスキーには、名文が多い。天国と地獄が描かれる。
 今日、苦心して掘った穴を明日は埋めさせらる。人は、明後日掘る出あろう穴も同じことになると思った時、絶望に沈む。
 悪人ほど美しいものに憧れ、求める。
 「そこでどうするか。」「それからどうするか。」とドストエフスキーは呼び掛ける。決断しなければ、前に進めない。



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