心の色

宮川俊朗
絵は言葉なき詩であり、詩は言葉による絵である。 プルタルコス

 膠着を何とかしたいと思っていると、天井から滴が落ちた。この温泉湯は都会から近くにあるが、ひなびている。しかも周りは高層マンションながら、由緒ある歴史を抱いて佇む。いや歴史の仔細を知らない者にも、都会の喧騒から解き放ってくれる。
 わずか三百円で半日は優に遊んで過せる。゚ュ落た喫茶店ならコーヒー一杯で三百五十円は要るし、独りで行けば雑念の振り払いどころか寂しさのお土産まで貰う羽目になる。彼女となら倍の値段だし、お茶を飲んでお終いというわけには行かない。「ではまたね」と言ってくれる相手ならそれこそ暇潰しだが、レジの音がかん高く聞こえる。
 パチンコでの三百円でなら、釘師が点検用の球数しか遊べない。あと百円足せばロト6の券を二枚買い求め、「もしも当たった暁には」と皮算用を幾晩か楽しめる。しかしささやかな楽しみも凡人には三回が限度で、沈滞ムードを切り開くには潤沢な軍資金が要ることを悟る。
 三百円程度では十分には遊べないのだ。大金持ちなら、年に三百万円のお小遣い銭でも腹一杯には遊べないのかもしれない。蛇足ながらロト6の一等賞を当てたら、新たな心配が生まれそうだ。温泉につかり浮き世の有様を考える。こんな大それた挑みだってつかの間の戯れであり、夕陽が落ちる頃には背筋がきしむような雑踏へと復帰しなければならぬ。
 この二日市温泉は、電車の駅から少し歩けば湯船につかれることだ。十五分ほど歩く内に日頃のイライラが抜け、お湯を肩からざーっと浴びる温泉気分だ。逆に帰りは電車の音を聞きながらほてりを取る間に、浮き世に足を踏み直していることになる。
 ここまではいつもの心映えであった。憩いの温泉は全国に数多で、老若男女が好きな時々に利用している。まさか苦悩や重圧を自慢するために湯船につかるわけではあるまい。もし世界最大の苦悩を背負い湯の語らいで癒されるなら、自慢話の相手捜しなど無駄な努力はするまい。そもそも世界最大などと思い上がりこそ肩凝りの遠因である。
 谷川佐助はそろそろ帰ろうかと脱衣所で腰を下ろすと、古新聞が目に留まった。古新聞といっても三日前のもので、ここが山里の湯であれば知的好奇心をそそられるにちがいない。今朝は新聞もテレビもニュースを観て来た。眼前の新聞も少し濡れている。
 もう少し小綺麗にたたんでおいてくれたらなあ。安い温泉だからこの程度のサービスかなと我が身のことのように寂しい気持ちがした。
 しかしべっとりした古新聞に触れてみたくなる。明朝には捨てられる運命ながら、角は尖って挑発的だ。重い紙面をめくると、この二日市温泉に関する記事を発見した。約百年前にある有名な画家がここを訪れ依頼の肖像画を描いたとある。月日をかけた労作の宿がこの二日市温泉と述べている。しかも記事は画家の日記から写したような安直なものではなく、研究家が日記や手紙はもとより画家の親戚や友人まで訪ね足跡を探ろうという真摯な試みに見えた。
 青木繁は日本の名画集に必ず登場する天才画家で、青年期の昇り方は龍にも比する勢いがある。若年にして中央画壇の賞を取り、冠たる地位を築こうとした。作風は大和絵をベースにしながら、洋画とりわけフランスの画魂を組み入れようと工夫を凝らした。今でこそアクセサリーを付加価値にする画法は頻繁であるが、明治時代には奇蹟に近いほど珍しかった。
 いわば崖にしがみつく者が体を支える右手を宙に浮かし、崖上のあるもの、つまりフランス画法を手にしようとする試みである。それは賭けに近く、体は左手一本で支えられ、辛うじて線として生きている。

 佐助が青木繁に興味を抱いたのは、実家の三軒隣りに住む老婆の呟きからである。
「青木さんはフランスに行きたいな、行きたいなと口癖のように言っていましたよ。
私は青木さんから水彩画の描き方を習ったし、モデルにも立たせて貰いました。しかし描きながらも、フランスへ行きたいなと呟く声が忘れられませんね。」
 壁際のテーブルには水仙や朝顔の水彩画を並べてある。他に誰か観に来るものでもなく、描きたいから描いた作品が積もり積もって、四畳半の部屋を埋め尽くす勢いである。
 佐助は町内の回覧板を持って行った序でに 
「まあ上がれや、お茶でも飲んでいきなさい。」
という誘いから、小さなアトリエを拝見させて貰った。
 ボランティアの奉仕とは、困っている相手が望んでいることをしてあげることだ。とかく自分たちが思い遣り、目一杯に考えて上で行動に移す。して頂く方もこちらの願いと当たっていれば嬉しいし、何より自分へ向かってくださる心が嬉しい。だから具体的な用件の通りに、奉仕をして頂けるなら渡りに舟である。奉仕は償いを求めずに施すことが快感である。利害関係が中心の日常生活から解き放たれた喜びがある。まして相手からお茶でもと申し出があれば、佐助こそ奉仕される立場にあった。
 出されたお茶は紅茶であった。老婆は金属缶から焦げ茶色の葉を取りだし、電気ポットでふつふつと沸かした。泡が「もう少し待ってね。」と呼び掛けている。学生の佐助は家に帰っても何をするものでもなかったが、なぜかいらいらした。
 そして老婆の話を聞かされた。彼女の暮らしはべたっと地を這うように見えたが、フランスへの憧れ話は夢の世界であった。
「この水仙は繁さんの画法が生き生きと映っていますね。」
と佐助は誉め言葉の一つも堅い頭に浮かんが、どうしても発言できず紅茶をがぶがぶと飲んだ。
 老婆は宝物の思い出を語るにつれ、表情が澄み渡っていった。表現とは心身に偉大な力を発揮する。佐助は感心したので、ねぎらいの言葉をかけるぐらいの時間はあった。しかし飲み干すや、席を後にした。老婆は右手に新しい作品、いや生涯にわたる最高傑作を持っていた。更に語りたい内容があるのを感じながら、振りきった。
 小説「羅生門」で貧しい若者が、老婆から身ぐるみをはぎ取るシーンがある。
 「それだけはご勘弁を」と縋り付く老婆から最後の一枚をもぎ取る。
 佐助は「自分はあれほどまでに冷酷ではあるまいに」と表に出た。梅雨前の空気は重苦しい。秘蔵の宝を披露されようとする心積もりを知りながら、放ったらかしにした罪は羅生門の青年に等しかった。
 佐助は罪滅ぼしに、本屋で青木繁の画集を観た。才能は溢れているが、暗くて好きになれなかった。自分自身の心がすさんでおり、何を見ても触れても明るくなれなかった。

 そこから二十五年間でどのようにして光ある世界へと歩き出したのだろうか。
 佐助はお湯にたっぷりつかりながら振り返った。立ち直りの道程をつかめば、これから困難に陥った時の盛り返すきっかけとなる。いやたった今のもやもやを何とか払拭できるのではと淡い期待を抱く。
 これが外にある障害なら力ずくでも排除してみせる。しかし内なるわだかまりは、どんなに理屈で乗り越えようと試みても霧のベールのように舞い戻る。そこであるがままに放っておく手も考えてみた。わだかまりがご来客なら一夜の宿に泊まって頂き、語らいもまた楽しいと悟れば、百夜も二百夜も居直られてしまう。 
 心の痛みは胃の痛みより強くしつこい。思い出を懐かしみ可愛がるが故に、ちっとも忘れられない。ところで何を? あるいは日記に綴ってみればあっさりと整理できるかもしれないと思う。ただし今は独りではない。古典画家の青木繁が側におられるような気がする。
 古新聞の一枚ぐらいで何を大げさなと笑う人がいるかもしれない。もっとも佐助の温泉通いなどに関心を持つ者は家族以外にいないし、告げる気持ちも毛頭ない。
 しかし佐助にとって青木の伝記が載った古新聞は魔法の絨毯を得たように嬉しい。喜びの後には果てしない寂しさを伴うにしても、成り立ちがわかれば至福の喜びとなる。もっとも第三者と孤独を分かち合うとは、異様な響きである。そもそも他人とは共有できないものを孤独と呼ぶ。しかし活字を通し青木繁の心情が透けて見えるような気がする。

 房総の海、ここで青木繁は二十世紀の日本名画「海の幸」を描いた。そんな事ぐらい畏まって言わずとも高校の美術史で習った。房総は単なる固有名詞であり、たまたま降りた駅が房総布良であった。
 ゴッホにおけるアルルは日の当たる花盛りの世界だ。ヴィクトワール山はセザンヌにとって神聖にしても、道行く我々にとっては単なる山である。もし南フランスにぽつんと置いてきぼりを喰らったとしたら、四方の山々はいずれもヴィクトワール山に見えるだろう。
 しかし佐助が別れたばかりの真島澄子が房総の地に住んでいることを思い出すと、身の毛がよだった。今が寒風吹きすさぶ季節なら、みのけも季語としてふさわしかろう。ところが湯上がりでのほほんとしている最中に、身の毛とは落差が大きすぎる。そもそも思いを馳せるだけで、体に電流とは神経過敏である。しかしやっとの思いで忘れようとした澄子が選りに選ってくつろぎの湯船に現れなくともよさそうなものだ。
 もともと忘れるとは自動詞であり、いつの間にかそうなってしまう、つまり自然の成り行きに委ねるという意味だ。ところが無理矢理に視界から消し去ろうという営み自体が不自然極まりない。いわば金だらいを水底に押し込もうとしたのは良いが、泡がぶくぶく上がって在処を知らせるようなものだ。
 佐助は深呼吸をしもう一度、意識を画家の方へ押し戻そうと試みた。青木が房総で描いたという逸話だけで、澄子を思い出すなんてインテリ失格ではないか。その論法からすれば恋しい女性が二重瞼だからと、電車で隣りに座る女性の二重瞼をしげしげと眺めるようなものだ。往復ビンタが飛んでくるのは、時間の問題である。はっきり言って赤の他人である。
 しかし別れたばかりの彼女の面影はどうしても周り捜そうする。募る思いで宙を見つめるより、真顔を持った人間を視界に求めたい。要は肉体を持ち息を吐き掛ける女性を見ていたい。あたかも渡り鳥が空を見上げ、これから渡る大地に思いを馳せているのに似ている。更には大地を餌に舌鼓をする。

 佐助は事務所で午前十時にお茶を啜りながら、澄子によく似た女子事務員を眺めるともなく眺めた。これが日々重なると、思いは類似の女性にも募り、恋しい気持ちが乗り移るのだ。例えば剛速球の大リーガーが草原で子供相手に遊んでいる内に、本番の真剣勝負が目に浮かぶ。すると目一杯のスピードボールを小さなグローブ目がけて投げ込む。逆に子供達も大リーガーのピッチャーを前に、大歓声を聞いている。
 山本華江が仕事に取り組むひたむきさに澄子の面影が映る。それは幻で、澄子とは別人であるのは、一呼吸すればわかる。ところが佐助は挨拶の言葉さえ失った。近くへの思いは澄子に寄せていたピーク時と同じ質と量になった。もし二人で秘めたる旅ができたらどんなに素敵だろう。耳を澄ませば谷川のせせらぎが聞こえる。湯煙の向こうには恥じらう華江がいる。目を閉じれば澄子に変わり、麗しい容姿に心の絵筆を動かして来た。
 魅せられた心はどっきどき、悩殺されてあなたの虜。
 悩殺は辞書で引けばチャーミングとある。たったそれだけの話かと安心するとともにがっかりもした。悩殺は脳を殺すことかなと゚ュ落てみる。それでも思いが頭に詰め込まれると、失礼な言葉を吐きはすまいかと沈黙した。
「仕事中はもっとみんなに話しかけ、活気ある職場にしてください。」
と上司からはっぱを掛けられた。何もかもお見通しなのかしら。
 佐助はのっぴきならぬ状況を打開したい。友だちは三人いる。その内の一人に夜更けて電話をし会う日取りを決めた。お酒を酌み交わし興が乗って来た時に、胸の内を話した。できるだけ抽象的にと努めたが、日々の思いを語るにつれ心は露わになった。ロマンティックに創出しようというわけではない。要は固有名詞を避け、いい女、素敵な女性と表現したまでで、気持ちをわかってくれるのが親友だ。
「君が黙りこくろうとするから、自分の中で思いが募るんだ。普通に話し掛けたら相手がわかるし、気心が通じる。直に当たるのが正道だ。」
 友は酔った勢いで教訓を垂れた。自らの苦い体験からにじみ出た知恵である。
 佐助は瞬間的には反発したが、肯くものがある。友は苦楽の恋遍歴をやさしく、佐助以上に抽象的に話してくれた。それでも佐助は助言を半分ぐらいしか納得しなかった。たとえ華江に話しかけたところで、うまくいく見込みは乏しく壊れそうだ。年齢が二十歳近く離れているし、仕事に支障を来す恐れがある。
 そもそも黙りこくることで、既に仕事が停滞しているんだよと友は指摘した。
 
 二日後に佐助は仕事の件で華江に初めて話しかけた。
「B社への提案の件はどのくらい進んでいますか。」
「全体の八割はうまく行っていますので、あとは微調整とパソコンによる清書です。」
「主な内容はもうパソコンに入っているのでしょう。」
「おっしゃる通りです。私はアイディアや考えが湧くとすぐにパソコンに打ち込みます」
「パソコンはメモと秘書代わりで漏れがなくなるし、何より遊ぶ時間が取れますね。」
「それが一番の楽しみです。」
 二人は腹の底から明るく笑った。それから仕事は蟠りなくスムーズに進めると同時に淡い思いは消えた。会話がせせらぎと流れ始めれば、心は言葉へそして仕事へと大きく動く。華江は仕事仲間であり、単なる一員へと変わった。周りの女性と比べればやはり美人で評判も良い。しかし佐助は思いを華江の上にぴちぴちと動くことは止めた。そんな動きは幻であり今までの思いが個人的とはいえ奇蹟に近かった。 
 心が広すぎるほど空になった途端、澄子がまた帰って来た。
 華江に連想を育てている間は澄子のことは忘れていた。少なくとも心の襞はすぐ側で活動する華江によって満たされていた。所謂、片思いならこれ以上無くすものはない。後は自分自身の恋しさが屈折し、夢の雲に届き乗るか、地べたを這いずり回るかだ。
 しかし華江が済んでしまえば、澄子がもっこりと顔をもたげた。しかも別れてから半年がたつと、時の流ればかりが気になった。別れと言っても名ばかりで振られたという方が正しい。悔しさは時のせいではないし、時という透明な線に恨みなど抱けるわけがない。半年は平均寿命七十五歳余りの百五十分の一に当たる。それほどの長さなのに事態は改善せず、縮こまり薄められ未練だけが頑なまでに強くなる。まるで黴菌が近代的な抗生物質に向かいしぶとく生き延びるばかりか、新たな抵抗力いや闘争力を付ける姿に似ている。もっとスマートな比喩はないものかしら。しかし未練のこびり付き方は黴菌に例えるのがふさわしい。これを太陽と北風の物語で諭せば理屈の上ではすっきりする。しかしぐじぐじと戦う執念はあせてしまう。肩を落とした本人でさえ「未練にも良いところはあるよ」と思っている。これは逆説とか自虐的などという代物ではない。細々と暮れ沈むにしても未練は我が子のようにいとしい。いや未練こそ自身の情そのもので、エゴ丸出し、傷ついちまった欲望のなれの果てである。
 未練さえ捨てきれない。別に言葉を弄んでいるわけではない。未練ちゃんはちっとも去らないからいっそのこと、今宵一晩ぐらい泊まっておいでよと呼び掛けたくなる。未練は未練で義理堅い。一宿一飯の恩義は立派として、百泊を越えればもう居直りと同じである。元はといえば、思い遣りいうご主人が未練の残留を許したものだが、いざ六カ月という歳月を見せつけられると背骨を揺さぶられる。
 思いといえば青木繁の場合はもっと長く深刻であった。あるいは悩みというやつは本人の力量に応じて大きくも深くもなる。つまり本人の実力が目一杯に使える先まで、悩みは膨れあがる。いや精一杯に努力したその一つ上に、悩み君がぴょこんと座っている。
 それにしても青木の悩みは愛と執念と負けん気の天性により複雑を極めた。

 佐助はもう一度湯に浸かり直した。そして古新聞から生じたの思いにも浸かった。故事はやや黄ばんだぐらいの古新聞の方がよく似合う。これが刷り上がりの朝刊だとピカピカ過ぎてこちらまで気恥ずかしい。秘め事は色褪せた片隅ぐらいに佇むぐらいが、かえって素敵だ。何のかんの言ったところで過ぎ去っている。その詳細をちぎれちぎれの史実でつなぎ合わせようとしても、詮無きことである。ちょうどお目当ての人が街路を右に回ったか左かと調べるようなものである。ところがファンにとっては右の道を選んだ根拠に触れることこそ尊敬する方に肉薄できる手だてと信じたい。いや肉薄など過激な表現はおどろおどろしい。魂の一端に触れてみたい、下座よりお姿を拝見したいと静かに願うのがファンである。あるいはこの事実こそ根っ子だと捉えきった時、逆算して先輩は街の右道に回られたと確信する。この快感こそファンたる者の醍醐味である。だから休日はすべてを抛ってでも史実を捜し求める。
 古新聞には史実家がこつこつと活動した様が十行強に紹介されている。郷土の新聞なればこそである。それは郷土の素人史家の健気な行動を称えるとともに、青木繁に改めて脚光を当てようという特集記事である。
 青木繁は絵画に志し東京で学んだ。明治時代は文明開化と富国強兵を二大柱として欧米に追いつけ追い越せと意気盛んな時代である。実利を重んじる時代に、絵画とは海のものとも山のものともわからぬものだ。文明開化を目指すのだから、欧米の絵画が貴く価値がありそうなことはよくわかる。しかし我が子が絵によってものになるかは悩ましいこと限りなしである。身長や体重のように才能が測定できれば太鼓判を押せる。しかし打ち込んで賭けなければわからない。試行錯誤、必死まめたんでやってみて、才能の有無がわかる。岩石を削り上げダイヤモンドが一個ぽろりとこぼれ出るかどうかだ。
しかも辛うじて得た宝石は本人こそ素晴らしきものと誇っても、あるいは月並みかもしれない。
 父母は繁の上京をよくも許したものだ。繁は説得を振り切り絵筆一本で飛び出した。
 佐助はこの鬼気迫る迷路こそ史実とともに明暗を知りたいと思う。佐助は年頃の男の子を二人持つがゆえに、この岐路が気がかりだ。以前は青木がパリに行くか否かが華やかな故に関心を抱いた。しかし十七歳の長男が遠くで勉強したいと願望を漏らすようになると深刻に思い始めた。というのも佐助自身が二十歳前後に門出の志を抱きながら暗黙の圧力に踏みとどまったからだ。それも煎じ詰めれば自分の問題であり、圧力は条件の一つである。裸一貫でどこまで行けるか。ところが長男も自分と同じ思いで旅立ちを胸にするのなら、背中をぽおんと押してやるのが良い。押すのは佐助だが、嬉しく押されるのは子供であるとともに縮こまっている佐助自身ではないか。
 ジレンマに苦しむにつけ、青木繁の上京があっぱれに思われた。将棋指しは駒に、相撲取りなら土俵に命を賭けてプロの世界に飛び込む。勝てば名人や横綱であるが、敗れれば本当に裸一貫でふるさとに帰らねばならない。本人に悔いはないにしても職もない。当面は地方棋士として子供教室を開くことぐらいだ。それも相当の覚悟で濡れ地をひたひたと裸足で歩くぐらいの胆力が要る。あるいはプロ棋士以上の根性を要する。なぜなら若き日のライバルや後輩たちが晴れやかな舞台で名人戦を繰り広げているからだ。その戦いの中で名手や妙手の意を汲み取られるか。それとも掌を翻したような職に一から出直すかだ。
 青木はとにかく上京し研鑽の末、早くから才能を花開かせ数々の賞を獲得した。一歩引いて考えれば、わざわざ上京せずとも懸命の作品を送り届ければ賞を得ていたかもしれない。
「海の幸」は見た瞬間にはっと溜息が出る作品である。青木繁は夭折であったから、作品数は少ない。彼のファンならばいずれの作品を観ても感動の坩堝にはまるであろう。しかし「海の幸」は群を抜いている。一幅の絵には構成の奇抜さ、光沢の美しさ、自画像と思われる主人公の優しく憂いに満ちた輝き、海の獲物を得た喜び、漁師たちが海に抱かれ屹然と生きている喜びや詩情の物語がある。
 佐助は首までつかりながら、傑作の要因を指折り数えてみる。その指は湯の中で大きくふくよかに見え、一本づつ折ればお湯がぼこっと盛り上がる。なるほど美術解説書を読めば成功の因はわかり、教養や造詣とやらを深めるのであろう。しかしいくら知ったところで第二の「海の幸」が生まれるはずはない。
 当時の青木繁は幸せに満ちており、溢れる幸せが作品となった。傑作の地が房総であると念を押してみると、佐助は叫びたい気持ちに駆られた。絶頂の地は澄子と語り歩いた思い出の浜辺だ。だからといって青木と親密な繋がりなどあるはずもない。ただ絶頂が余りに短かったことが、兄弟以上の親近感を抱かせる。あるいはそれからのチャンスをむざむざと逃した無念さと、もし握りしめていたら天にも昇らんほどの夢に足を掛けていたであろう。いや刹那の幸せだったが故に、海辺の光景は値千金で人に誇りたくなるような衝動を駆り立てる。
 どうせなくなってしまうものだから、見栄を張っても可愛いらしいものでしょう。
 青木繁は「海の幸」で才能を全開させるとともに、賞賛を得た。評価点は多々あり、多くの批評家が史実に基づき丁寧な解説を試みている。丹念に読めば素晴らしさの一端はわかる。圧する感動はもとよりで、その理由を納得させられる。しかし多くの解説が核心に迫ることはあっても、核心そのものには触れていない。音楽は耳で絵画は目で感じ取るもので、言葉ではどうしても核心を語り伝えられない。もっともこのからくりを余りきつく言えば身も蓋もなくなる。
 佐助は仕事の傍ら作詞家を志しているから、言葉こそ命と思っている。しかし絵の感動を言葉で再現するのは難しいと思う。また名作を語るのに、その作品をいちいち持ち歩くわけにはいかない。複製のダイジェスト版を読みほどくか、印象を言葉で組み立て直すしか手はない。もっとも名作はえも言われぬオーラを発し、蟻の行列のように言葉をせっせと観る側に運び込む。言葉は心である。
 あの浜辺はありふれた風景だ。わざわざ房総へ行かずとも、全国津々浦々、浜辺には波が押し寄せ、水平線の彼方には陽が昇る。漁師さんたちが獲物を背に凱旋の歩みを行うのは、当時としてはよくある風景であったろう。大物が見つかれば、槍一本の体当たりだ。命がけでぶつかり、勝ち鬨を上げる時は遠くから見えるように裸列を組んだのであろう。
 この栄えある光景が繁の目に止まった。あるいは連泊を重ねる繁は浜辺で鳥を射るように栄光の時を待ち受けていた。真ん中の中心人物が繁を捕らえる。繁はこちらへ視線を送る若者を写生する以上に、自分の魂を入れたいと願う。たくさんの漁労者の中にたった一人の自画像がある。いや繁自らが仲間に飛び込み、海の幸を味わいたかった。単に行列に参加するばかりか、海に潜り銛を打つ格闘を演じたい。
 繁は自画像をこっそりと添えることで、青い海に輝きを加えた。陽光をふんだんに浴びせるというより、海そのものの色を追求したかった。浜辺の色にも空にもそして人間の素肌にも昼下がりの最も美しい光沢を求めた。道程の幸として素肌のつやはゴーギャンのタヒチの光を思わせる。とりたたて模写の企てはなくとも、色や形を見つめ創ることで繁はヨーロッパの一端を捕らえた。
 連泊の賜物で「海の幸」という金字塔により芸は我欲を超え神聖なものへと高まった。繁は海の向こうに西欧を見つめていたかもしれない。とにかく和のテーマを基に西欧を描き加えた。一連の作品で繁が賞を得たのは当然と言えるぐらい自然であった。あとはこの流れを保ち高めれば芸術家はどこまでも昇ることができた。
 しかしこれほどの高みに昇ったからには、それ以上の険しさを求める必要はなかったろう。ロッククライミング張りの芸は新奇さやあっぱれさを示す。もしマンネリに陥ったなら、危うい世界に芸の活路を見いだす可能性はある。しかし「海の幸」はもう既に十分な高みであり、見晴らしの良い浜辺からは何枚もの名画が見えたであろう。正しくは風景というべきだが、そこから眼力で一画づつ区切れば即、絵は生まれた。手は自由に動かすだけで良く、蝶々がひらひらと宙を舞うように線と色はカンバスに集まる。それが芸の極みであり、時の流れに身を任すことで名作は量産されたはずだ。

 佐助は手がふやけるほど湯につかり、繁の画跡を振り返った。いずれも自分がこれまでに学んだ知識であり、思いのままに組み建て直した。史実という論理はごつごつと岩が並んでいるように見える。それはそうと今は胸の痛みをほぐしたい。恋しい澄子は房州にいる。彼女から好かれるならば、蜘蛛糸のような回りくどい想いなど裁断したい。
 恋は好きか嫌いか。好きなら好かれたいと「白か黒か」の単純な世界である。あるいは身も心もどこまでも単純になれるのが恋である。好きでもないのに好きな振りをして迫る。好きでたまらないのに、まるで気にも留めぬ仕草で冷淡に振る舞う。いや動作さえ控えじっと佇んでは恋しい人が自分の方へと躙り寄るのを待ちに待つ。一日千秋でとにかく訪れを待つ。激しく追いかけたところで可能性は微々たるものなら、開き直りひたすら待っている。いや待つという素振りさえ止める。それは待たないことをも意味し、敗色を強めることになりかねない。身を投げ、あるかないかの隙間を祈るように待つ。
 恋はこじれたらどこまでも複雑になる。あるいはきれいな恋なんて蜃気楼かもしれない。耳元につぶらに輝く真珠のピアス。その光に憧れ、彼女の顔面のすべてを真珠に見てしまう幻。あばたも靨と見たくなる勘違い。
 佐助は自分のわだかまりがよくわかる。ところでもし澄子が華江ぐらいの近さにいれば、事態は変わるだろう。好転するか否かは五分五分としても、事態が動くことだけは確かだ。澄子が至近距離ならば、否が応でも仕事の話をしなければいけない。情を通わせ酒を交えた宴会にも大勢と参加することになる。酔いとともに本音の語らいが始まり、白黒がはっきりする。真珠のピアスとともに醜悪もつぶさにわかる。淡い憧れなど一蹴の元に、生まの澄子が息使う。いやまじまじと見る前に、矢継ぎ早やの行動があり勝負は決まる。
 ところが楽しい思い出は浮き雲のように心に残る。ああでもない、こうでもないと思い出心を揺すりいじると、逞しいど根性が現れる。くぬれた線が印象的でその線を捜してじっと手を見る。悩ましさが乗り移る頃、別の指でいじって遊ぶ。本来は美しい場面ばかりを選りすぐれば、幸せ三昧になれる。ところが思い出ぐらいは自己優位のものにしたいと我を出し始めると、過去は手を変え品を変え思惑に対して抵抗する。
 それでも十分に満ち足り、幸せであったとみなそうと試みる。確かに作詞の勉強会では多くの仲間ととけ込み楽しかった。しかし幸せぶりをどんなに証明しようと焦ったところで、澄子はここにいない。ましてどこかで誰かと愉快にやっているだろうなあと考えるだけで小憎らしくなる。かといって彼女が肩を落としうらぶれた姿を望むわけのはいかない。きつい否定は自分が寂しく落ち込むもとだ。しかし気持ちが惨めに追い込まれたら、憎みきることで打開を図るかもしれない。
 「どんなに好きな恋人でも別れ際は少し憎らしくなる。」
とラ・ロシュフーコは「箴言」で語っている。
 ぼんやり読んでいる時はそうかなと思う程度だが、いざ直面すると悩ましいほど真実味を帯びる。満たされた恋なら建前上からも惨めさなんてほんの一部とうち消せる。しかしすきま風が吹きすさべば、愛憎はシーソーのように揺れて心を苛む。
 「別れましょう。」「そうしましょう。」
と学芸会のようにはすんなりと行かない。たとえ頭の中で完成しても心は残る。お互いに快く和して別れても角を曲がれば未練が後ろ髪にこびりつく。どちらかと言えば別れを強いられる方、即ち振られる側が未練の被告席だ。
 佐助はなぜかその立場に置かれることが多かった。しかし冷静にさよならを告げる側だって解明しがたい未練にまとわりつかれると巷で聞く。別れとは未練を捨てることだ。これを上手にあか抜けてできるものこそ、恋の主導権を握れる。要はどんなにきつく振られたって「こちらが振ってやったのさ」と言うことだ。恋なんて日常茶飯事の一つだから、受け身の悲しさを能動に立て直す技巧と胆力があれば難攻不落の偉業を成し遂げられる。振られそうになれば、頃合いを見てあっさり振り返す。いや残酷な最終章をめくるより、もっと恋してあげることだ。自分こそ大事、負けるのは嫌だと思っている間はちまちました胸算用しかできない。相手こそ大事、恋はお客さま第一主義の典型と身を捨ててこそ浮かぶ瀬がある。
 佐助は上機嫌になった。世の中は何事も自分の考え方一つで動く。よく聞かされた格言が今こそ実感できる。要は澄子への思いやりをどこまで保ちきれるかだ。
 例えばもぐらが春の陽気に誘われて地表に顔を出す。この偶々の光こそが、自分の真実を得たとしたり顔になる時である。澄子なんて思い出の一ページさと鷹を括れるかだ。

 病いがちな妻を思えば、一刻も早く心を家庭に戻すことだ。医者を転々と訪ねたり、胃腸の新薬を試し飲むのが、快癒の道であろう。妻はこの道を感謝と畏敬の念で通ることになるであろう。佐助は専門書を立ち読みしたり、少しでも良い情報があれば根掘り葉堀り尋ねては、恵子に知らせようと努めている。
 「そうでしょうね。」
と優しく微笑みながら肯いてくれる。
 佐助は優れた手だてを何とか伝えたい。決して手練手管で話をしているのではないと言い切れる。妻も素人情報をありがたそうに聞いている。しかし食欲は一向に進まず日々痩せてゆく。
 佐助は澄子への思いを早く断ち切らねばと思う。というのも目を瞑ればいつも澄子がいるからだ。一晩中、夢に現れたことさえある。妻は食卓で新薬の話しを言い訳程度にするばかりだ。それ以上はやりたくてもできない。いたたまれず日帰りの湯を訪れた。小説家みたいに一泊でもすれば結論を得ることはできそうだ。しかし用もないく外泊は物議を醸し出すのは目に見えている。
 澄子とはあくまでもプラトニックな関係だし、君だって気が浮つくこともあるだろう。
 ところが黙りこくられると、たちまち湯冷めして氷の世界に閉じこめられる。心は既に嵐だ。しかも便利な時代を享受しているが故に、携帯電話を胸ポケットに忍ばせている。
 いっそのこと番号など聞かなければ良かったのにと思う。暗誦番号で機械の中央にでえんと登録している。勉強会の蜜月では互いに切磋琢磨しようよと、電子メールの交換も頻繁に行った。その成果があって、全国規模の作詞コンクールで二人ながら佳作に入った。
「ご協力の賜物です。乾杯」
「これからもずっとずっとよろしくお願いします。」
 澄子は祝賀会の二次会でいろんな男性とデュエット曲を唱った。佐助とも唱ってくれたが、大半は祝ってくださっている方とマイクを共にした。入賞者は大半が男性であり、澄子は知的な美しさとスマートさで文字通り一座の花である。また宴を盛り上げるのは務めと言う以上に好きに見えた。とりわけ審査員とのデュエットは熱が入った。薄青のスーツが照明を浴びてピンクに変わる。
「ビートルズのレット・イット・ビーは名曲ですね。」
「イットは希望であり理想であり、ビーは建設、構築、実現の意味です。」
「それってあれのことですか?」
 佐助は少し離れた席で水割りを飲んだ。酔いが進むはずなのに、椅子が堅く耳が痒かった。
 それからもメールの遣り取りは続いた。
「あの時はろくろくお話ができずに申し訳ありませんでした。ついつい審査員の先生に歌わされてしまいました。」「いやなかなかお上手でしたよ。」
 日中は仕事で目一杯だから、作詞仲間と連絡や刺激が欲しい。競争心を煽ることも刺激である。佐助はできたての作詞を送った。
「素敵ですわ。作詞家どころか、詩人の素質をお持ちですわ。珠は磨かれるとますます光を出されますわ。」
 佐助は直に誉められて淡い思いを抱いた。そのほんのりとした心遣いを詩に託した。作詞とは恋文だ。誉められて上気し、詩は内容を濃くした。
「あなた様はこのところ上達が目覚ましいですわ。将来が楽しみです。」
と澄子の返事は好意的でそつがなかった。
 ところが半年後のコンクールで、澄子の方が特別賞に輝いた。こぼれる笑顔がテレビ画面に゚ュ落た作詞家の特集として現れた。
 佐助がお祝いのメールを送ると、返事には感謝の気持ちが丁寧に書き込まれていた。澄子としては精一杯の表現であるし、佐助から啓発を受け助けられたことを素直に感謝している。佐助も同窓生の栄光を喜んであげたい。それに自分も同じように作詞に励んでいればいつか芽が出ると思う。あるいは昇竜の澄子さんがいつか恩返しにと、自分に作詞のチャンスを譲ってくれることだって考えられた。
 しかし彼女の受賞作の一部に、自分の詩句があるような気がした。影を落とすどころではなく本体がそっくり現れている。男の淡い恋心。それを受け止め、いいわとウインクしながらじらし遊ぶ女心。徐に誘い誘われ、寄り添う夜の小道。
 澄子が年上の自分に少なからぬ思いを寄せているのは、わかっていた。しかしあくまでも作詞家を志す仲間として、秋波はうっちゃってきた。それでいて自作の詩には気持ちの高まりを歌い上げている。今日まで辛かったのは澄子の方で、佐助はしたり顔の無頓着で横暴な振る舞いでさえあった。
 澄子は募る思いを逆手に取り、作詞の世界へと昇華させた。見る人が見ればそこにはいじましいほどの片思いとくぐり抜けた珠玉の芸が散りばめてある。
 ところが佐助は神経過敏になり、盗作もどきだと責めた。
 初めのうちは「あなたの詞には私のこの詞がありませんかね。」という軽い付加疑問文であったが、曖昧なかわしにきつく詰めた。
「すみませんでした。あなたの詩を無意識のうちにイメージしたところがあったかもしれませんでしたね。」
と詫びの一言を求めたいばかりに、追求はえげつなさを深めた。佐助の難癖は妬みから生じたのがありありで、反撃が飛んできた。
「先週末、審査員の浅川先生とホテルのレストランで昼食をご一緒しましたのよ。洋食のフルコースでワイン付きでしたわ。もちろん先生から奢って頂きましたし、作詞の助言も頂きましたわ。」 
 浅川先生は例の二次会でいかにも楽しそうにデュエットを歌っていた相手である。わざわざ固有名詞を冠することは自信満々な挑戦であり、佐助は秋の落葉を我が身に感じた。その後に知人より、澄子が房総千葉に住んでいることを聞いた。人はどこかに住んでいるのだし、博多に住む佐助からすれば東京だろうが千葉だろうが同じ関東で遠く素敵な大都会に見えた。九州は島であり、遠い憧れはロマンティックであり妬ましさを伴う。
 佐助はなごり雪を追い掛けるかのように、離れようとする澄子に電話を掛け、メールも送った。「元気にしてます」「お元気でしょうね」など一二度は軽い返事を得た。佐助は砂利道で宝物を拾ったかのように、美しい響きを耳の奧にしまおうとした。しかし三度目の電話では「移動中ですから後にして下さい。」と断られ、それからは黙殺となった。
漫然とよんでいた新聞での殺虫剤の広告で、殺のところに目が留まる自身にはっとした。
見上げれば台所のアイスピッケルが蛍光灯で青白く光る。 
 文明の利器がなまじっか手元にあるが故に、思いは断ちがたい。もしこの道具がなければ、万葉の歌人のように山を仰ぎ雲を見ては忘却を試みるであろう。凡人ならたまの日曜日にぽつ然と山仰ぎを繰り返すならば、心はぼやけてくるはずだ。今日一日の必死な営みを帰り道に見つめるならば、阿呆らしくもなる。
 しかしすっきりと清算しなければ、妻の元にはいつまで戻れない。表面上は仲の良い夫婦として同じ屋根の下に収まっている。これからだって体裁上ならつつがなくできるであろう。しかし若く麗しい女性にはじかれても未練たっぷりの我が心は、とっくの昔から妻には読まれているような気がしてならない。いや憶測に疲れ痩せ方がひどくなっているのではあるまいか。 
「もっと栄養のあるものを食べた方が体に良いよ。自分が好きな味付けにした方が食べやすいだろう。」
と親切そうな助言を吐いてみる。
「そうでしょうね。」
 佐助はそうだよと二の句は継げない。妻の眼は肺腑を抉らんばかり鋭い。実は普通のまなざしなのだろう。しかし佐助が罪を意識するが故に、わざわざ焦点をこしらえようととする。しかも本当の罪ならばもっと良い思いもできたろうに、現実は片思いの女友達から体よく振られたまでだ。
 いたたまれなく湯の町に出た。気分転換は精神衛生上、急がれている。ところがくつろぎの場まで、房総に赴いた青木繁の記事を見た時はぞっとした。しかも房総という地名だけで、澄子を思い出す神経には我ながらあきれる。何でもかんでも澄子と関連づけようとする神経が、体のあちこちに走っているのだろう。
 それだけに青木繁の画跡は他人事とは思われなかった。房総では海ばかりか陸での幸を得ている。もともと青木の体内にある幸せの種が、海に山にと花開いた。きっと青木がひたすらに絵画に取り組む姿は、側から眺めるだけで一幅の絵になったろう。ちょうど「海の幸」の主人公のように、浜辺の青年画家は大自然の中心人物として堂々と見えた。今ではその浜辺より電車に乗れば、東京ディズニーランドが日米文化の楽しい象徴として賑わっている所だ。
 モデルとなった福田たねは青木の後姿に憧れた。青木は陸中よりも海の光を、そして遥かなるパリの画壇に心を向かわせた。その気骨溢れる後姿がロマンティックに輝いて見える。あるいは福田たね嬢も自ら絵を描くが故に、格好良い姿は束の間に拝見という程度であったかもしれない。
 詳細については何冊もの解説書を見ればわかる。一冊では筆者の恣意が入り過ぎる。しかし佐助は湯の中だ。自分の悩みで手一杯のところで、先輩のこまごました足跡など知る由もないしその余裕もない。しかし急がば回れで、歓喜と苦悩の足跡を辿ることで、自分自身の悩みをほぐす糸口を見いだすことができる。時を掛けて追い求めるとは先人の豊かさや深さを知ることになり、ひいては知恵や要領を得る。
 佐助は幸せと健康への道は漠然とわかっているつもりだ。青木はまったく逆の道を歩いた。しかし誰がどう評価しようとも、青木繁が束の間の栄光を抱いたものの、後は挫折したまま故郷へ退いたように思えてならない。絵を描きながら恋をしたのか、あるいは創作にくたびれた矢先に恋に落ち子供をもうけたのか、順序はいずれでも良かろう。本人たちにとって、一日いちにちが死活に係わるほど重要なことは百も承知である。
 青木はパリが経済的にも遠のいた時、たねに心を寄せた。拠り所が欲しく、蘭童という長男に結びついた。家庭の幸せはいつの時代も貴く、世に活躍するための母体である。だったらなぜに妻子を置いて、独りぽつ然と久留米の故郷に帰らなければならなかったのであろう。それとも無理矢理に引き裂かれたのであろうか。書籍はこの辺りの事情を説明しようと試みる。しかし思いというやつは、広い心の中で何本も平行して走る。ちょうどドッグレースのように数匹の犬たちが仕掛けられた円周の中をくるくる廻る。思いや憧れをドッグレース場に例えるのは顰蹙を買うかもしれないが、犬とても走り廻されるのは過酷である。
 立派な絵を描きたい。作品が評価され、世の称讃を浴びたい。ご褒美を貰えるならば、パリの留学がいいな。大好きな女性とパリで幸せに暮らしたい。それに海や山をゆっくり見つめながら絵筆を動かしてみたい。
 これらの憧れは互いに助け合い高め合いながら、我こそは首位になろうと凌ぎを削る。そりゃ全てが満たされるならば申し分ないが、奇蹟というものだ。たとえ完全にできたとしても、新たな思いがわき上がる。というのも欲は思いなどと称する綺麗な代物でなく、地獄湯のように煮えたぎる。
 自分で思う通りの作品を描けたら幸せだ。しかし美術界からも立派な作品と評価を受けたい。たとえ自分では拙いと謙遜しても、権威ある専門家から優秀作と評価をして貰えばなお嬉しい。即生活の糧になりからである。人はどんなに知恵があっても、霞を食べていくわけにはいかない。もちろん実利に走ればあさましくなる。とりわけ上品さや優美さを求めようとする芸術の世界では、志と実利は一見、矛盾する。この微妙なバランスを超え調和を目指すのが芸である。少なくとも腹の中では上手に納得できる整理が要る。
 青木繁はこの二律背反のテーマを超えようと努めた。若くして数々の賞を得たことは才能と努力の証であり、励みになる。しかしライバルであり親友の坂本繁二郎がより多くの称讃を獲ち得たばかりか、後日にはパリ留学まで実現させた。きらきらと輝く光の世界へ坂本は翔んでゆく。パリにゆけるのは天才の証明だ。
 僕と坂本君はどこが違うのであろうか。僕にないものをしっかりと持っているのかしら。それを才能と呼ぶのなら愕然たることだ。坂本君は上位者から手ほどきを受け、才能に磨きをかけてゆく。自分はと言えば年一回の展覧会の応募に向け、後輩たちとも競いながらこつこつと絵筆を動かすことになる。

 佐助は湯船から当時の青木繁に思いを馳せた。天才青木は評価とは別にスケールの大きな傑作を生みだしていった。古代日本や大和心をテーマに、浪漫あふれる傑作を次々に描き、今日では国宝として称えられている。見る人が見れば才能はわかる。パリに行くだけが画家の栄光や評価ではない。
 こう思い直しながらも、ちまちました佐助の胸には青木繁のしょぼくれた傷心の姿が映って仕方がない。まるで絵筆を杖にして歩く。いや夕焼け空を前に絵筆を支えに立ちすくむ。
 子供までできたのだから、福田たねとの愛は幸せ三昧だったのだろう。贅沢を言えばきりがないし、青木の周りには既に小さな幸せが一杯ある。苦境とはいえこの状況を根気よく継続するならば、傑作は道辺の湧き水のように生まれ出るであろう。いや傑作や秀作などと目くじらを立てずとも、普通の作品がそのままに輝く。あるいはとりたてて輝きがなくとも、画魂がキャンバスに在るというだけで値打ちだ。
 挫折の詳細は史実にも明らかではない。本人にもわからない暗闇が突如として現れる。大切にしていた思いが常識の世界を行き過ぎ変容する。執念はもはや自分では制御できずに伸びきりついには壁にぶち当たる。壁とは時代の流れであり、良い意味での常識、即ち良識である。青木繁は和洋折衷を旨にフランスへの憧れを伸ばし進める。
 ところがフランスへは行けない運命がわかれば翼は大和へと羽ばたく。そこは身近に思う故にまた自分のものとしての甘えも手伝い、解釈は自由自在となる。この放たれた自由こそ貴い反面、ねじれ進む曲者だ。そもそも大和絵は営々と築かれた手法の歴史があり、前人未踏のつもりであっても頂きを見上げれば標識はいくらでも建っている。海辺の風景に感動した程度では序の口も良いところで、大所高所から大和を語ろうとするには余りに若かった。しかもフランス趣味は自筆に乗り移っており、美しくも怪しい線を描く。
 折衷の妙こそ新進気鋭の画家としての面目躍如の所である。一方、優等賞を評定する大家からすれば、才能の芽はあるものの自分たちにとって不可解なものが広がっているように見える。人は自分にない才能や希望についての賛同や評価は難しい。たとえ賛成しようとしてもその理屈を立てにくく、余り度が過ぎると自分自身の立場が崩れてしまいそうだ。おまけに周囲の眼。落ち着いて眺めれば青木の作品は出来映えが粗く、未完成そのままに粗さが散りばめられている。それは若さ故ではあるが、自己主張が強く、評価をするキャッチャーのサイン、即ちお客さまの心が読めていない。日常の付き合いの欠如が付けとして廻り、先生方からの叱咤激励を受ける機会さえ失っている。絵だけをぽつんと送ってこられても困るのだ。先生だって作品について話したいし、助言もしてやりたい。画龍点睛の点を君の絵につけてやりたい。
 若い内から要領ばかりを旨として貰っては困るが、力゚る作品を挑戦状のように運び込まれても頭が痛くなるばかりだ。青木繁は度重なる落選にもめげず、作品を進化させた。文字通り肉を切らせて骨を断つ思いで描き続けたが、絵の真ん中に断つべき骨をどおんと据えられては、評価する側としては感動を通り越し嫌悪の情さえ起きる。
「誰だってフランスへは行きたいよ。この俺だって機会があれば行かせて貰いたいな。」
 評者たちの声が否応なしに聞こえて来る。もちろん間接的なものだが、青木の志が画壇を離れ荒野を駆け巡り始めたせいだ。志は感傷の沼に入る。駄目だとわかれば余計にフランスへ行きたい。行けば突破口が開かれると信じたい。地球儀を手元にぐいと引き寄せてみる。しかし壁が聳えて見える。それも遥か彼方というより、眼前を襲うように迫る。貧しい暮らしはお腹が空く。友もどこかへ去ってしまった。残る慰みのは酒か。なけなしのお金を叩いて酒を買う。
 完璧な挫折とは今の自分を言うのだろう。
 和と洋はばらばらになる。勝手に走り出すと言って良い。心と絵筆さえ仲違いを始める。懸命に真実と美を描こうとして心は寂しい。どこへ行っても枯野が広がり、いつの間にか病いが訪れる。海辺には光がきらきらと跳ねながら、もはや眩しいばかりだ。
 足を洗う。水に流す。青木は道具と思い出をたたみ故郷へ帰る。
 人生をそれだけのストーリーで収めるにはあっさりとし過ぎる。もっと紆余曲折があり、行きつ戻りつの心を長らえて故郷への足があったのだろう。しかし画壇の隅にいようがいまいがどっちみち同じように思われた。
 ともかく青木繁が弱冠二十歳で頭角を現したのだから、詳しい記録も残っていよう。先生や友人との交流は深く、手紙や議事録にエピソードや意欲あふれる言動が記されているはずだ。しかし敗色濃い青木に近づこうとする者は稀で、見え見えの慰めは却って傷つけることになる。また肝腎な友、坂本繁二郎は才能を認められ、フランスへの旅立つ日も近づいていた。彼は絵の創作ばかりか将来設計や処世術にも優れた才覚を示しつつある。逆に青木は無さ過ぎたのだが、何事にも冷静であり我慢ができた。それでも気軽に声を掛ければ、友は友だ。いくらライバルと言っても面と向かって競うわけではなく、評価に濃淡が現れているぐらいだ。
 まして困った時こそ真の友と格言にあるように、すすり寄れば相手も躙り寄るのには気づくであろう。いやすすり寄らずとも心は通じており切磋琢磨は一段と進みつつある。青木繁が陰気に沈みつつあると言っても、大きくは境遇の明暗である。むしろ陰翳をしっかり学ぼうと思うならば、逆境は絶好の機会であり、色調が黒く沈むように見えてそこには親しみが現れている。どちらかと言えば光あふれる世界を派手に打ち出すことは技術的にはたやすい。そこを敢えて陰に迫るとはその奧に芸の神髄が見えるはずだ。身近で狭苦しい世界を極めることができるならば、いかなる所だって生きていける。
 花のパリに赴くことだって芸にとっては単なる手段ではないか。たとえ地べたに這いつくばっていても泥沼の蓮は美しく描ける。
 青木繁が帰郷したのは父危篤の知らせであった。明治四十年の鉄道は東海道と山陽本線が完成したぐらいで、素早く乗り継いだとしても三日は要したであろう。危急の電報も本人の手に届くのは一日以上かかったにちがいない。まして医療も西洋から新技術が入って来たばかりで、都会から離れれば離れるほど医の施しは遅れていた。
 青木は焦りの中で車窓を眺めていた。流れる風景は心のと言っても良い。あるいはしげしげと見つめなくとも車窓に目を寄せているだけで駅に着いた時の風景が見える。結論を得ていたのである。車輪が止まる。重い荷物を手元に寄せる。腰を上げ歩き始める。この第一歩がこれからの方向を示すのであり、旅の恩寵である。まして一刻を争う旅程では心は荒れ野を駆け巡りつつ、腹は固まらざるを得なかった。
 青木繁は父の末期には遅れてしまった。いや急ぎの長旅の中で覚悟はできていた。車窓において末期に臨むことで、実父ばかりか自分自身の末期まで見つめた。少なくとも末期がいつか訪れることを確かめざるをえなかった。川端康成氏は処女作から晩年に至るまでこの末期という言葉に拘り愛しさえした。川端が青木の絵を求め大切に愛したという逸話は末期の覚悟が結ぶ縁でもあった。
 末期に腹を据えれば、今から何をやるかだ。もう東京の画壇に戻ろうという気持ちは消えた。経済的な貧しさがこの晴れやかな構想を一蹴する。そもそも今まで遠路に滞在していたことも家計には大変な負担になっていた。ロマン溢れる青年にとって最も苦手なのはお金を稼ぐことであり即ち生活である。だから生計の重みを知ることで、胸のロマンは少し削がれることになる。もっとも心は計算通りに運ぶはずもなく、ロマンは実生活で縮みつつ絵画への憧れはいよいよ強くなった。
 絵の色は淡くなりつつも線ははっきりしてきた。

 佐助は揺れる考えを切り上げたくて銭湯を出た。ぼうようと湯煙の中にいて、頭脳だけはまるで図書館の一室にいるような気がする。もし青木繁の真実がわかれば、自分自身の悩みを解く糸口になるのでは淡い期待を寄せる。しかし想像する部分が余りに多いならば、悩みはちぢに乱れそうだ。歴史は心やしくみ、即ち人生の拠り所であり教科書である。この歴史を基に想像力を働かせることができるなら強い叡智になる。
 佐助は電車の音を聞きながら、活字に触れたい衝動に駆られた。駅の階段を降り交差点を渡る。白昼の光に身を晒すと、平日に休んでいる事実が改めてうしろめたい。というのも交差点から職場は近く、同僚たちと出くわせはしないかと心配になる。しかし高層ビルの二階にある本屋に辿り着くと、脇目も振らず画集を開いた。
 日本の絵画全集は多くの出版社から幾とおりも発行されている。青木繁はそれらの全集に必ずと言って良いほど名を連ねている。一人で一冊を占める場合もあれば、友の坂本や竹久夢二と一緒の場合も多々ある。同郷同時代という括りもあれば、夭折のロマンティストという標題もある。二人で一冊とは格付けにも及びそうだが、実のところ作品数が少ないことにもよる。従っていずれの画集にも殆ど同じ作品が載せられて、即ち名画である。白馬会で三等賞を得た「わだつみいろこの宮」と「海の幸」は画集の中枢を占める。あとはというよりほぼ全ての作品が年代順に並べられている。もともと絵画ばかりか文藝や写真でも全集の括りは年代順である。あるまとまった年代に作者は独特の色を創り、思想や感情を色によって醸し出す。ファンはその色を自由に読みとる楽しさが贈られる。
 とりわけ青木繁の場合は色調の変容が激しく、情熱を持って行き着くところまで行こうとする。これが人や物というしっかりとした対象なら安定感が生まれる。絵画を天職と考え、描くことが即、生きる喜びになり幸せな安定感は鑑賞者の共感を得る。ところが浪漫といえば格好良いが、生活人にはわかりにくく好き嫌いにつながる。絵の中心に人物がどおんといれば、この中心を通して鑑賞者との交流ができる。観る側もこの交わりが楽しく美術館へ足を運び、行けない者は画集を開く。とくに画集は堅い表紙でその重みを手で触れ味わうことで一体感が生まれる。ちょうど思い出のアルバムをめくる時の懐かしさと重みに似ている。本物を見る方が鑑賞には好ましいとは百も承知である。しかし実物に届かない以上は辛抱するしかないし、綺麗な全集は秘められた小箱を開けるようにときめく。好きなものは何度観ても楽しく、密やかならば尚のことである。 
 青木繁の画集は浪漫が一杯、即ち心がありありだから、巻末の解説文も力が入りバラエティに富んでいる。青木は放浪好き以上に心は不思議さと変化で溢れている。私たちが街に出る時おしゃれをするように、画家は心を整えキャンバスへ向かう。ところが青木は心をそのままに表す以上に、制作の過程で思いを募らせまた微妙に変化させる。これがファンにとってはたまらぬ魅力である。解説文はまるで偉大な画家へのラブレターであるかのように美しく独特のものになる。解説者は青木繁の美しさと蜃気楼に似たはかなさを伝えようと熱っぽくなる。いずれの文章も意欲的な筆使いで、しかも解説者本人の心を赤裸々に現す。ファンでありながら、まるで青木に対しボクシングの挑戦者になったように気合いと戦慄が゚る。
 佐助はこれらの解説文を長々と立ち読みしていた時期があった。絵を見るより文章に時間を取られていた。それは佐助の趣味とはいえ文には拘りがあり、眼前のものよりは上回る文をいつか書きたいという競争心が働いた。しかもアマチュア部門とはいえ作詞コンテストに入賞してから、夢はつぼみから花へと膨らんだ。しかし解説群を一通り読み上げたことで、やはり「画集は絵」という原点への思いが強くなった。ましてたっぷりと湯に浸かり思ったことは、絵を見ながらもう一度辿ってみたい。あるいは遠泳者が側で見守ってくれるボートの端に疲れた手で触れてみたいという衝動に似ている。それでも会話は求めない。きっとボートの監督たちからは励ましの掛け声が飛ぶだろうからその時は首をしっかり振るつもりでいる。
 佐助は画集をいとおしむように眺めた。故郷に帰り小高い丘から全景を見渡した時の思いがする。しかし当日は一枚の絵に引っかかった。「秋声」のモデルは近所に住んでいた老女である。
 作品では森の片隅に若い女性が空を見上げている。和服は明治時代には普通で、平成の我々からみればお出かけの晴れ姿に見える。秋の鳥声を聞きながらどちらで鳴いているのかしらと目で追い掛ける。若き女性は背丈は中ぐらいだが、肩幅が広い分どっしりと腰が座る。しかも薄鼠色の服は冬を思わせる落ち着きがある。もはや画風は洋か和かなどと深刻かつ神経質に考える必要はない。モデルは日本人だし和風で十分である。どこまでも和に徹して描き、ほんのひとかけら、ささやかなワンポイントに洋を忍ばせる。
 焦って洋を追い掛けたところでフランスへの憧れは絵の中に捜しきれないかもしれない。あるいは青木繁の心にまたうら若き女性が見つめる先にパリの光があるのかもしれない。見つめると眼が痛くなるほど生真面目でプラトニックな世界だ。
 佐助は静かな絵を見ながら満ち足りた良き日を思うとともに、光陰矢の如しを感じずにはいられなかった。画魂を隆々と築いた日々も乙女の祈りとともに、空の彼方へと飛んでしまった。絵こそ残ってはいる。同じように佐助自身の悶々たる憂いもいつかは大きな塊とともに飛び散るだろう。今は背負きれないほどの悩みだって、芥子粒のようにどこかへ飛び去るだろう。だったら思い切って実行した方がすっきりするのではないか。何をもじもじと悩める心を縦から横からといじくり廻しているのだろう。
 佐助は本屋の絵画コーナーに立ちつくしながら、自棄な気持ちと珍しいほど勇気が湧いてくるのを同時に感じた。急かされて前に出なければという焦りは、本当の勇気とは言えないのはわかっている。しかしじっとしていてはじり貧で、何もかも失ってしまう。決行だと大袈裟に行っても、まずは澄子に電話をかけることだ。声を聞きたいとずっと思っていながら、これ以上迷惑を掛けてはいけないし、自分にとって心の傷を広げるばかりだと観念していた。敗軍の将はずっと兵を語らずなんて、押さえてきたものを一気に吹き出す。
「お元気ですか。」
「元気ですよ。ところで今日は何のご用事ですか。」
 それからは、しどろもどろの応対になりそうな事は目に見えている。澄子さんの作詞活動の状況について尋ねてみようか。あるいは佐助自身が抱いている作詞の新機軸について語り、よかったらお使いになっても結構ですよと提案しようか。
 とにかく練りに練った提案やプレゼントは過去に何度となく一蹴されてきた。作詞研究会の同期生だの、志は一つだのと美しい言葉で寄り添っても澄子にとっては煩わしいのだ。佐助は自分自身がもてていた時代、逆に縋る女性をつれなくはじいて来た経験からよくわかる。
 折角の休日を取ったのに、こんなに落ち込んでしまってと悔やむ序でに画集の解説文を丁寧に読んでみた。
 「秋声」は青木繁が故郷に帰り、捲土重来を期して応募した作品であった。出展はどこにいてもできる。既に二十一歳と二十三歳で立派な賞を受けているし、余人にとっては羨ましい限りである。四十歳でも五十歳でも下積みで無名の画家は山ほどいる。ゴッホやゴーギャンに至っては今日では天才の誉れが高いものの、天涯孤独と言ってもよいほどだ。将軍が覚悟を決めたように捲土重来などと口にするのは大袈裟だ。きっと解説者が青木の人生をドラマティックに表現しようと試みたものだ。
「僕はやっぱり絵が好きだし、絵を描くことしかない。折角の機会だから応募したい。」と明るく元気に絵筆を握ったのが真実であろう。
 しかし佐助は足の疲れにもめげず読み進めていく内に、厭なものを解説文に見つけた。
「秋声は日本美術の伝統である樹下婦人図の作風を継承したもので、絵の感じといい、作者の企みは鑑賞者が好まんとする傾向に追従したものである。」
 解説者は青木本人にインタビューしたわけでもないし、創作日記から引用したわけでもない。ただ当時の画壇傾向や審査基準を調べた上で「秋声」を類推したまでであろう。青木繁が時代の傾向に合わせようとしたがために、独創性まで失い凡作に堕し当然のごとく落選したと言いたいのであろう。その前年でも「運命」や「女の顔」で落選したのだから、それより渋い調子の「秋声」が憂き目にあうのは、芸術家として自業自得ではないかというきつい解説であった。
 佐助は遠い日の出来事とはいえ、尊敬する先輩の気持ちが身につまされる。そこで気分を変えたくて別の画集を慌てて読み漁ると
「秋声は応募期日に遅れたために落選した。」
と簡単に説明されている。
 これが真実で青木も納得していれば、次の行動も明るいものになっていたであろう。ところが理由もわからず大作が自宅へどおんと送り返されるならば茫然自失に陥る。言い訳のように手続き上の期限を添えられても、慰めるための作り話としか思われない。
 ここが天才児青木繁の転向点となった。これまでも節はいくらでもあったが、まさに浪漫を持って捲土重来を期すべき必要があったのは、落選の知らせを聞いたその日であった。
 それからの青木は自然に遊び、自然の画人となった。時流に何とか合わせても、三度目の入選を果たしたいという願いは、失意の中の灯火でもあった。わざわざ今の時流に合わせずとも自分こそが画壇の時流を創り引っ張ってみせるという気概と自信はあった。おまけに余りにも早く才能を認められ将来を嘱望されたために、志はいやが上にも高くなった。新機軸を目指した凧は青空へと駆け上がるとともに、思わぬ強風に煽られさまよう。青木は絵画の挫折とともに生活は乱れ、異端児扱いを経て人間嫌いにまで陥る。それでも尋常なやり方で天下を目指し仲間を大切にするならば、才能は当然のように追い風となる。もちろん青木繁本人も真剣に考え行動したつもりだ。
 しかし一旦張り付けられた異邦人という烙印が審査員ばかりか、己の絵筆にも影を落とした。敢えて入選という珠を狙いにいった行動は、才能の震えのために自分自身のなかで微妙な違和感を醸し出した。あるいは解説文に述べられてあるように、作品搬入の期日遅れがすべての敗因だったかもしれない。それは勝敗をどうこうという以前に、参加手続きの問題だ。もし暢気に構えるならば、「秋声」を何ら加筆することなく、新たな展覧会へと応募することもできたであろう。いや新しい芸を求めるならば、色や形を何度も練り直し、思う存分の作品を創りあげられる。その思いが技術的にもたやすくできるのが油絵の長所であり命である。
 佐助は老婆をまたもや思い起こした。残念作「秋声」のモデルとなったうら若き乙女である。佐助は老婆の晩年をよく知っていた。
「青木繁さんはフランスへ行きたい。フランスへ行きたいとしきりに言っていましたよ」
 佐助は近所に住む老女いとよ宅を訪ねるたびに、この言葉を聞いた。九十になんなんとする老婆を訪問とは介護とボランティアの意味合いがある。特段の実益があろうはずはない。しかしいとよ嬢の昔話の語りはおもしろく、「秋声」の絵のように瞳を輝かせ空を見上げる。
 青木繁は早川いとよさんをモデルに描いている間中
「フランスへ行きたい。行きたい。」
と念仏のように憧れを唱えていたのであろう。
 もしもこの挑戦作が特選に選ばれるならば、明日にでもフランスへ旅立つことができる。もはや当落に拘わらず詩人画家の心は既にフランスであった。
「青木さんをフランスへ行かせてあげたらどんなに良かったことでしょう。」
といとよ媼は佐助にしきりに呟いた。
 資金という以上に運があればという意味であることはすぐに飲み込めた。ライバルの坂本繁二郎はまもなくフランスへ発つ。実は早川いとよ媼のご子息も数理学の研究でヨーロッパ留学を果たされた。
 青木繁はもうフランスへは行けないと悟った時、心の色は黒く染まった。あるいは色を失ってしまったと言っても良いかもしれない。従ってそれからの絵はもう一度、色を心に取り戻したいという必死の試みであった。逆に色を失った瞬間、魂は末期をさまよい、後は描いてみただけになった。いやこれらは佐助の独善的で乱暴な想像であり、青木繁はいつまでもどこまでも真摯な姿勢を貫いたというのが真実である。光はどこにでもある。フランスは光へ向かう行程であり手段の一つである。
 しかしいとよ媼の言う「フランスへ行かせてあげたら花を咲かせたろうにね。」という仮定は真実味を帯びる。彼女は二十数歳から九十歳に至るまで、日々この仮定を思い浮かべては牛のように反芻していたのであろう。我が子が洋行という晴れ舞台に躍り上がるにつけ、この昔話の憧れは喉元まで熱く込み上げる。
 こじんまりした庭には、四季折々の花が咲いている。いとよ媼はどこで習ったのか、花々の水彩画を描き続けた。壁に立てかけてある作品は幅と厚みでちょっとした画集ぐらいの分量はあった。
「どこで絵を習ったのですか。」
と尋ねるのは野暮というものだ。
「青木さんのモデルになった時、着付けの仕方がちょっとおかしかったですね。正式に習っておけば良かったですわ。」
と近所の貴婦人に、はにかみながら漏らされたそうである。
「秋声」は市立美術館に展示されている。婦人はその絵を観てはしばしば老婆のお世話に訪ねた。いとよ媼の娘は二日市温泉のある湯町の開業医に嫁いでおり、最晩年は娘のもとで過ごした。考えてみれば佐助がたった今浸かったばかりの湯である。 
「いとよ媼は気丈にも百歳になると下の世話が要り始めた。しかしその世話を遠慮してか余り食べないように心掛けたのか痩せこけてしまわれた。実の娘さんのもとにおられたのにねえ。大往生だったと世間では言われるが、最期の最期までまじめであり苦しまれました。」
と近所の貴婦人は微笑みながら話した。鬼気迫る美学は若き日の青木繁に通じ、青木から神髄を学び得た。いとよ嬢が持っていた鋭くしかも優しい感覚がインスピレーションとなり、繁をして乾坤一擲のモデルに選んだ。その終の棲家が湯町にあることで佐助は改めて戦慄を覚えた。
 いとよ媼の娘が嫁いだ湯町は、青木繁が父に連れられ保養をした場である。二人は太宰府天満宮に成功と幸せを祈った後、お湯三昧である。栄えある湯にはぬめりとともに清々しさがある。しかも帰郷後、その老舗旅館で青木はある富豪の肖像画を描くという仕事を頂いている。青木は痩せても枯れても、既に日本有数の賞を得ている。功なり名を遂げた富豪は青木画伯より肖像画を描いて貰いたいと願う。そこで社長室か応接室に絵を掲げれば格も上がるし、客人は眺めた後、作者の名を尋ねるに決まっている。徐に青木繁の名前をあげれば、客人がしきりに感心する風景が目に浮かぶ。
 いや失意の貧しい画家にご馳走を振る舞い、お湯に浸かって鋭気を養って貰えるならばこれ以上喜ばしい社会還元と奉仕はあるまい。本人には給与をはずむことになるし、次いでと言ってはなんだが、記念すべき肖像がまで貰えるなら一石二鳥か三鳥にもなる。
このご奉仕の場が当時の筑前館であり、佐助が偶々リフレッシュに赴いた御前湯である。
 青木はこの前後にも各地の富豪に招かれ肖像画を描いている。もはや社会還元という次元を超え、肖像画の素晴らしい出来映えが評判になっていたのであろう。青木は折角職業画家として軌道に乗りかかっていたから、この肖像画の手法を究め一道を築けば、新たな飛躍も期待できたかもしれない。浪漫はとりあえず横に置いておき、写実に徹することで後から自然にふくよかな浪漫もついてきただろう。
 しかし青木繁はまたもや絵画の放浪に飛び出す。知人、友人の家を訪ねては、つかの間の創作三昧に耽る。天草、小城、伊万里等での風景画の作品には光が戻っている。いずれも海辺の町である。房総の光よりも淡く美しい光である。自然を直に写そうとして、
あの憧れのロマン色が寄り添っている。と同時に過労とお酒の飲み過ぎから、病魔が体にくっつき始める。初めはあはれや寂しさであったろうが、落ち込んだ穴ぽこに悲しみが病魔をおびき寄せる。浪漫は信じて求めるが、実生活における浪漫や目標はとっくの昔に捨ててしまった。寂しがり屋で人の情こそ誰よりも欲しいはずなのに、周りから寄せられる情けを蹴飛ばしてしまう。本当はその場で甘えてみたいのに、頑強なまでに同情や心配の手をはねのける。自分の心がわかって欲しい。しかし友達が「大変そうですね。」と来れば、「いや大したことはありません。至って元気で大丈夫です。」と武骨な返事をする。
 みずみずしい浪漫は絵画コンペに挫折し、壁にぶち当たったままなのか。気骨が壁に当たって痛い、痛いと叫んでいるように聞こえる。あるいは浮き世の賞や誉れなどへっちゃらになり、どこ吹く風になる。行ける所まで行き、壁や境さえわからいほどに浮遊すれば、帰り路さえ見失いはかなさにすさむ。
 人は逆境で歯を食いしばり頑張り直す。大器晩成と言われる人は四十歳、五十歳から芽を出しついに花を開かせる。たとえ花が咲かずとも他人の花を崇め楽しむだけで幸せではないか。しかし青木繁には天賦の才があり、若くして素敵な花々を開かせた。同じく夭折であった源実朝は秀歌と語り継がれる作品の殆どを若年にして歌い上げた。天才は努力の要はわずかで、筆を握れば絵は生まれ歌は奏でる。しかし天才は自分の天性を究める以上に責め上げる。凡人は才能が乏しいことを貧しい財布のように肝に命じ、わずかな才をいとおしみ慰め、少しでも少しでもと育み努める。辛く苦しいことには慣れ親しんでいるが故に、受け凌いだ後の反転は野暮たいばかりに力強い。天才は矢継ぎ早やの速さで、名作を生むために光輝く一年は暦年の三年や五年に等しいのであろう。
 佐助は画集の重みに疲れを感じた。そして青木繁が若き晩年に酒に溺れ放浪したことは芸にとって枝葉のことのように思われた。あるいは友と喧嘩もどきの口論をしたという逸話の数々も胸の潮が成せる業で、絵筆を捨てるならそのままに放浪の詩人であった。
 佐助は大先輩の辛い足跡を眺めながら、なるようになるさ、行けるところまで行くさというおおらかな気持ちになった。妙な小細工を弄したところで、体勢はどうなるものでもない。天下の大道を堂々と歩くことで、成功や幸せのきかけは掴めるはずだ。まるで親切な先輩から背をぽおんと押された感じで、夜の細道をすたすたと歩いた。見上げれば星がきれいだ。

 仕事は日増しに忙しくなった。社内で才能を見込まれ、文章を書く仕事に転じたからである。正しくは将来に向けての文才の芽であったが、それを期待してくださった上司には心より感謝した。この気持ちを態度で表すべく仕事を豊かに掘り下げようとする分、忙しさは募った。物事は分析し解き明かすという仮定を省けば、目の当たりにあるありきたりのものを集めるとそれなりの作品はできる。しかし自分の手足を使い分析を深めようとすれば、表面に持ってゆくまでに手間が掛かる。まして体裁を保ちながら、総合するのは骨が折れる。そもそも体裁と独自性は神経質に突き詰めれば矛盾が見える。しかし矛盾という壁を忍耐強く見守るならば、殆どの人がこの困難を我が子のように抱きながらバランスを取って生きている。
 佐助は趣味とはいえ作詞業に打ち込んでいたから、文の妙味を醸し出すことがライバルより上手にできた。人や物事を言葉でスケッチする楽しみがわかり、創作に心が乗ってきた。良い文章にはメロディが流れ色が広がる。そこで表現は文章だけに特化することで、芸術全般がわかるような嬉しい気がした。
 もっとも帰りのバスではなぜか青木繁の半生が思い出された。まさか映像の世界でしつこく追い掛けているのではと疑うほど、奔放な画家が鮮やかに思い起こされる。執念と感傷が混ざり合い美しくも不思議な姿が現れる。しかも目を瞑っているために、画像よりも心がおもしろいほど濃淡を変えてうつろった。はっきり言って自分の世界では史実から自由であり、活躍、賞賛、恋、ロマン、夢、放浪、失意に病いが瞼の中に日替わりで現れる。順不同は勝手というものであるが、どんな変則的な順番になろうとも青木の心はきれいに流れて見えた。まるで束の間の恋を引き立たせるために失意の波が押し寄せ、落ち込みがひどくなれば逆に浪漫はますます美しくときめく。病いに陥ったのは度の過ぎた彷徨いの果てであるが、そのどん詰まりにおいて奇蹟に近い美しい光景に巡り逢う。
 青木繁こそが短くも日本の近代画家の中で誰よりも幸せであった。乱れるがゆえに陶酔の時こそ風景は美しく澄み渡る。あたかもトランプでどんな取り合わせになっても、最後にはいつも勝つべきカードが手元に届けられる幸運に似ていた。もはや黄金の腕を見せなくとも、配られたカードを好きなようにいじるだけで勝ってしまう。時には相手にも花をと八百長気味に、手を落とそうとすれば却って次の幸運を呼び込んで来る。青木繁は誰が何と言おうと幸せの寵児である。
 佐助は空想のままで夜のバスに乗っていたい。瞼の中は幸せなことばかり浮かぶからだ。ほほえみが深刻専門の佐助に戻り始める。妻も以心伝心にか気分を持ち直した。ともすれば喜怒哀楽は心に任せてどこまでも好きなようにという面があった。もし落ち込めば釣瓶落としで周りへの当たりがきつかった。もっともそれ以上に内面でも往々に鋭く責め詰めようとした。しかし妻は桜が咲く頃から同じ落ち込みでも丸みが生まれ、自分の心の動きを楽しむような風情が起きる。何を隠そう、この余裕こそは佐助自身が工夫して身に付けたものである。臥薪嘗胆が生んだほろ苦い涙の結晶である。自分ばかりか周囲へ思い遣ることが、心の間口を広げ余裕を生む。
 明るいバランスを保ちながら生きる中、東京出張の話が舞い込んできた。その仕事は取材記事を書く担当者だけで良い仕事であった。
「折角だからあなたも一緒に行ってきたらどうですか。」
と上司から優しく促された。
 佐助は暗に断る仕草を示したが、嬉しさは体からにじみ出ていた。澄子に一年振りに会える。少なくとも澄子の住む街に足を運べる。この直感が仕事の責務に羽を広げさせた。おまけに出張の期間中は、青木繁の回顧展が開かれるという事もテレビの美術番組で知った。
 どう見ても目的が本末転倒しているのが気恥ずかしく、出張の要請を再び断った。
それでも行ってきなさいと言われると、与えられた仕事は一生懸命にやり上げようと決めた。例えば歯車が自分の軸で廻りながら、隣の歯車からもエネルギーを貰いつつ所定の倍以上のスピードで廻り続けている。さらに余ったエネルギーは隣りの歯車に返し応援するような勢いである。このエネルギーは私的な世界にまで迸り、とうとう澄子にメールを送った。
「来週の月火曜日にそちらへ出張します。お時間をつくって貰えばどこへでも飛んでゆきます。」
 たったこれだけの短文を完成させるのに二日もかかった。お時間のおを加えるかどうか。飛んではしゃぎ過ぎて軽薄に見えないだろうか。馳せ参じましょうと丁寧至極の表現にしようかなどである。
 ちょうど一カ月前に思い余って、澄子の携帯電話に掛けた。我慢がどうしてもできなかった。
「佐助です。お元気ですか。」
「あら佐助さん、今電車で移動中です。後にしてください。」
 電車で移動中のようだが、末尾がはっきりと聞こえない。声が砂風のようにかさかさ響く。「後で掛けます」と言ってくれたように思えてならない。後とは三十分後なのか一時間後なのか。返事そのものが暗に断っているような気もする。それがおわかりになるのが紳士でしょう。
 佐助が青木繁の世界に逃げるようにのめり込んだのは澄子のせいだ。
 同好会で澄子とはもともとライバルでありまた友として作詞に精を出した。知恵とアイディアと何より豊かな情感を交換しあい、作詞の糧としてきたつもりだ。ところが澄子の才能が花開けば、瞬く間に庭の花壇からお花畑へと広がる。澄子は新しい感覚の素晴らしさで音楽界の蝶や蜂たちが群がってきた。
「昨日のお昼は有名なN先生から、Mホテルのレストランで奢って頂きました。先生から食事券があるからとご連絡がありましたので、段取りを付けご指導を仰ぎました。」と澄子はご丁寧なメールで送ってきた。Nは浅川先生とはライバルの審査員である。
「それは良かったですね。」
と返事をしたが、「何のご指導でしたか。」と尋ねてみたかった。
 作詞の評価で水を開けられると、その距離はあっという間に大きくなった。そこで澄子に電話をすることさえ、彼女からご機嫌を伺いご指導を仰がねばならぬような圧迫感を覚えた。佐助は自分から身を引いた分、澄子は高嶺の花に輝いた。こうした鬱屈が重なると作詞などどうでもよくなり、とにかく澄子に逢いたかった。春嵐の狂いである。澄子に会うための作戦を練りに練った。二人の間には作詞以外にはこれと言った話題はないのは百も承知である。ところが澄子が一段上になると、才能の乏しい者には対話の資格がないのではと思われ、繊細な神経がひとりで苦しんだ。
 待ちに待ってチャンスが訪れた。遠路はるばる訪れるのだから、澄子さんも万難を排して会ってくれるはずだ。もし自分が逆の立場なら会ってあげる。ところが返事は三日経っても来ない。電話を掛ければ一言ぐらい挨拶はあるだろうが、きっと移動中ということになるであろう。
 佐助は出発前から鉛のように心が重かった。勇気を振り絞り澄子の真意を確かめればあるいは扉が開くかもしれない。しかしこの一年の経験と学習から、たちまち絶望に襲われるのは目に見えていた。
「今度の出張はどんなご用事ですか。」
 恵子は夕食時に珍しく仕事について尋ねた。
「二日目の朝に大事な取材があるから、前泊することになった。その後は関係部署への挨拶廻りがあるんだ。」
「二人で出張でしょう。」
 紅茶に小さなクッキーを添えて運んでくれる。佐助は心の中が読みとられているのではないかとひやりとした。まさか夜更けの寝言を聞かれているのではあるまいか。もしここで全てを告白すれば、和解に向かい恵子は健康を取り戻せるかもしれない。しかし研究会だ電話だのと細々と説明したところで、誤解を大きくするまでだ。ほんの昨日まで罪を犯しておきながら、正直に話せば許して貰えるなど仮想するだけでも我が儘だ。
 佐助は二日間の出張の行程を丁寧に話した。そして二日目には比較的自由な時間があると言った時、真実を初めて告げた思いがした。
「折角の機会だから楽しんでいらっしゃい。」
 妻は普通の気持ちで促したのであろうが、佐助はありがとうと返すので精一杯であった。詰問からやっと解放されると、メールの返事が来ない現状が錐で揉まれるように痛い。いやそれほど大袈裟に考えずともよいと思えば思うほど、錐先が胸元に迫るようだ。
 きっと青木繁も「秋声」が落選した折、自分のように悶え苦しんだのだろう。溺れながらの奇妙な接点で、救命胴衣に触れる思いがする。相手を責めては申し訳ない。かといって自分ばかりを責めるのは切なすぎる。ひょっとしたら澄子のパソコンが故障しているか、電気の接触が悪いのではないかしら。もしそれが事実であれば、青木が応募の期日切れで失格という理由に似ている。
 ところで佐助は「雪国」を愛読してきた。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という出だしが素敵だ。それに加え主人公の島村が駒子を好きになる一方、筆者は彼の妻や息子については数行しか書いていないことに奇妙な共感を覚えた。二人を同時には愛せない。主人公は家を出て雪国に赴いてしまっても良かった。また佐助は志賀直哉の文章に感銘し、作品にちなんだ城崎や奈良にわざわざ泊まりに行ったことがある。作者の見つめた風景を体験したかったからだ。しかし雪国はわざわざ行かずともその心がわかるような気がした。たとえ越後湯沢に足を運んだところで立派な温泉宿があるだけのように思われた。心は妻子を忘れて雪国にある。
 出張先では気合いを入れ仕事をした。関係先の方々の協力もあり首尾良く運んだ。まるで自転車が草原の丘を登りきり、それからはペダルを軽く踏むだけでどんどんと進む感じに似ていた。同行者もよく働いてくれたし、佐助自身も仕事に集中できる自分が嬉しく、昼食まで懸案事項を語りあった。そして待ちに待った昼下がりがやって来た。
このまま仕事をするなら、なんぼでも仕事は見つけられる。元々それが務めだし、ごちゃごちゃしたプライベートの世界に触れなくて済む。しかしわざわざ仕事をこしらえるのもおかしいし、チャンスは生かしたい。
「空港で五時に会おう。」
「そういたしましょう。」
 連れの者は快く同意した。三時間もあるのでひとまとまりの事はできる。澄子の事務所まで足を運ぶだけの時間はある。いやいきなり事務所は無理にしても近くの公園か喫茶店で待っているぐらいは許されるはずだ。澄子は午後二時から三時にかけて喫茶店で一服する愉しみを持っている。コーヒーは事務所でもどこでも飲めるが、落ち着いた渋めの雰囲気のお店でゆっくりと時を過ごす。語らう場合もあるし、独りでぼんやりと佇むのも好んだ。弛みの内である瞬間に詩の一片が始まり、さざ波が立つ。
 佐助はもし店に行くにしても、単なるお客として入ろうと思う。実は出張の一週間前から詳細な地図を読み漁っていた。そこで抱いたイメージを確かめるためにも、公園と喫茶店には行きたい。せめて雰囲気を味わい印象を五感に震わせ、旅の思い出に飾りたいものだ。
「あら 偶然ですね。」
「本当に久し振りですわ。偶然って恐ろしいものですわ。」
 たったこれだけの会話を交わしたいばかりに、まるで糸を針穴に一回で通すような緻密な計画を練り上げた。スパイ映画で辣腕の刑事が犯人と街角でばったりと出くわす。その可能性を求めて情報と読みの山を究めようと血眼だ。偶然を求めて必然性をこれでもか、これでもかと掻き集め、多くは風に散る。
 あるいはこんなイメージか。振られても未練たらたらの男がやっと出逢う女性に
「どうしてもあなたが忘れられないのです。」と別れの歌を詠うのか。
 佐助は逆に自分に躙り寄る女性につれなくした過去を走馬燈のように思い出した。相手のせつない気持ちは頭ではわかるが、自分の感情はどうしてもついていけない。プロポーションは美しいが、好きになれない。それでも目を瞑るように相手の求めに応じようとした。まるできつい仕事をさせられているような苦痛であり、雑できつい言葉を吐かないように気を付けた。憐れみだけの機械的な付き合いは失礼であり、縋る女を残酷なほど冷静に断った。夜の小道を共にしても、心は渇いたままであった。
「そうおっしゃられるなら、仕方がありませんわ。」
 俯く彼女が観念して呟いた言葉がぽっかり浮かび、何年も胸に残った。首を折れるほど曲げこちらを見つめる。煙草に火をつけようとするが、ライターの音がかちかちするばかりだ。せめて普通にしばらく付き合うことはできなかっただろうか。少しは自分の情を膨らませ楽しい演技や会話が
できなかったかしら。やつれたはずの彼女が十年経って廻り廻り、勝者としての澄子に乗り移ったのではないかとさえ思った。恋だって因果応報のオセロゲーム。
 佐助は交差点で信号が三度変わるまで考えた。ちょうどその時、つむじ風が髪を乱した。これが後ろ髪を引かれる思いかしらとおかしかった。たったそれだけで澄子の事務所は止めて、美術館へと進んだ。美術館なら誰でもお金さえ払えばいける。それに地下鉄の駅では何度も青木繁回顧展のポスターが目に留まっていた。
 東京国立近代美術館は竹橋駅から歩いて三分と記されてある。佐助は地下鉄から上がって目をきょろきょろさせた。方角だけでも尋ねたい気持ちは山々であったが、行き交う人たちのスピードは速い。自分のようなサラリーマンが白昼の町を散策するのは稀であろう。殆どの人たちが目的を定めて矢のように最短距離で進んでいる。まるで機械のように精密な歩みだ。
 佐助は交差点を一か八かみんなと一緒に渡ると、そこが美術館であった。なるほど目と鼻の先は謳い文句の通りだが、立派さに息を飲んだ。建物の立派さはもちろんのこと、お堀を挟んで江戸城が見えた。正式には皇居の森で、白壁が陽光に映え、ゆらゆらと水面に等身大の姿を落とす。建物はお堀があればこそ美しさを倍増させる。四月の新緑はいずれの大樹にも広がり、春を歌い踊っている。見上げれば白い鳥たちが天空を舞い、薫風は車の通りを超え美術館まで爽やかさを届ける。
 佐助は春の光景に見とれた後、改めて「青木繁と近代日本のロマンティシズム」という大きな看板を目にした。青木があれほど入選を夢見た美術展が今ここに主人公として開催されている。殆ど自分一人の作品で壮大な美術館を埋め尽くしている。これは回顧というより、青木繁の凱旋行進だ。車が大通りをしゃあしゃあと走り行く音は、まるで拍手喝采のように聞こえる。佐助は嬉しくてたまらずに胸を堂々と張って入館した。
 もし青木が生きてこの光景を観たらどれほどこと喜ぶだろう。嬉しくて足を立ち竦ますかもしれない。いや意気揚々と大手を振り「やあ、ようこそ」と歓声を発するかもしれない。それともまるで田舎者の格好できょろきょろ、そわそわとお客さまの振りで見物するだろうか。
 佐助は仮想が我が事のように嬉しく大手を振って歩いた。静かな会場で高貴な芸術作品を前に大手を振る人なんか他に誰もいない。慌てて両手をロボットのように脇に付け周りのお客さまと一緒にお行儀良く、よちよち歩きをした。平日ということもあり、リタイヤー組を含め比較的年輩者が多い。
 受付の女性はにこやかに説明してくれた。
「前に開いた小倉遊亀さんやカンデンスキー展の方がお客さまは多かったです。」
「しかし平日の割りには予想より多くの方がお見えになっておりますよ。」
 きっと本当のことを教えてくれているのであろう。学生もあちこちにいるが、総じて神経質そうな顔が多く見える。大先輩の絵を観て神経過敏を克服し生き甲斐を得たいと思っているのだろう。おまけに会場は天井が高く立派な構造の上に、照明を落とし気味である。それは作品に落ち着いた調子を少しでも送ろうという意図であろうが、客の顔まで真剣というより深刻な趣に変える。
 作品は年代順に正攻法に並べられており、それぞれに丁寧な解説が添えられている。初期の作品群は志高くしかも恥じらいが伺え、長く鑑賞しているとこちらまで顔が赤くなる。ところが自信をつけ浪漫を漂わせ始めると、あっと驚くほどの大胆さを発揮する。あたかも航空機が滑走路で順番待ちをし、合図とともに車輪を廻す。エンジンが唸り、このままの体勢ではもうきついという瞬間、大空に向かってぐうんと飛び立つ。陸路と宙はまっすぐな流れとなり空へと突進する。このエンジンのうなりが青木繁の熱っぽい秀作から聞こえて来る。
 お祭りはもうじきだ。「海の幸」は会場のど真ん中に飾られている。人だかりの多さに遠くからその位置がよくわかる。この一作を見たいがために足を運んだ方は多かろう。もし「海の幸」が会期中に紛失したらお客さまは半減するにちがいない等と不遜な事まで考えた。
 佐助だって画集で慣れ親しんだとはいえ「海の幸」の君臨する姿を見たかった。だから順番通りで、作品の前に到着した時は険しい山頂に登りついたように嬉しかった。まじまじと眺めながら傑作だと思う。何より自分が好きだから「世紀の傑作」に見える。観客の列は動かない。例えば観覧車のトップこそ見晴らしは最高と考えるように、列の中央こそ作品が広々と見渡せる。そこで中央の位置を得た時は、瞬きもせず瞼を据える。隣人の期待を息づかいで感じ、仕方なく蟹のように横ばいをさせられる。もし気の利いた監視員がいれば、片手にストップウオッチでにこやかに促しを図るであろう。もっとも美術の愛好家たちは心得たもので、感動を腹八分に収め余韻を楽しみつつ足を動かす。また見たいならここに廻って来ればよい
 佐助は愛好家の塊に二度入り、心地よく押され引っ張られながら「海の幸」を観た。まるで祭りのような感動が体に溢れ、中央に躍り出るとこれでもかというほど高まった。ふと自分が営んでいる行為が恥ずかしくなり、恐る恐る周りを見た。ファンたちは自分どころではなくお目当てを食い入るように見つめ、歓声を上げた。やっぱりここはお祭りの場だ。年輩のお客さんたちも少年や少女の顔に戻っている。
 佐助は突然、澄子を思いだした。ふくよかな顔が自分にウインクを贈る。なぜこんな時に思い出すのかと尋ねられても答に窮する。この絵をいっしょに観たいという気持ちでもない。画家が抱いた絶頂のときめきから連想したのかとも思う。澄子さんとコーヒーを飲みながら、作詞の愉しみと企てについて語らった時のシーンを思い出した。それは単なる気紛れのはずだが、懐かしさにうっとりと酔ってしまった。隣のお客から強く押されて、しばしの陶酔に気がついた。
 慌てて右下の解説文に目を遣った。絵中央の顔は恋人福田たねをモデルにしたと但し書きがある。専門家が調べたのだから真実であろうが、どうしても青木繁の自画像に見えて仕方がない。妥協の産物として二人をモデルに創り合わせた顔だと独りうなずいた。主人公は見事なほど美しくりりしい顔だ。
 このスケッチ旅行には青木と福田たねばかりか親友の坂本繁二郎たちも房総に赴いている。こうした混合、グループ交際の楽しさがまじめな絵の中に現わされている。坂本には同伴の恋人はいなかったのかしら。ひょっとしたらたねに心を寄せていたのでは?少なくとも表面上は繁がたねとうまくゆくように助けた。繁は繁二郎に感謝するとともに、内面が知られたことを悟ったにちがいない。それもこれも宿泊や宴は苦学生たちにとって故郷からの仕送りによってなされたのである。
 佐助は解説の年表を取り憑かれたように真剣に読んだ。福田たねは繁の子供を産んだ後、自立の道を歩んだ。表によると従来の女性は情と艶を基に男性と付き合っていたのに対し、たねは自分の意志を貫いて生きたとある。青木繁がロマンの花を開かせたと強調されるが、たねの方が一枚も二枚も上手であった。少なくとも一筋の道を歩こうとする近代女性と、放浪に活路を見いだそうとする苦学生がいつまでも手を組んで歩くのは難しかった。
 それでも福田の実家からは
「生活の面倒を何とかみるから、どうぞうちにおいでなさい。それから落ち着いて絵の勉強をなさるとよい。」
というお赦しの手紙を頂いている。
 親と娘は何度もぎりぎりの話し合いを繰り返したのだろう。この優しさに対しても強情に断るのが良くも悪くも青木の真骨頂である。しかしそれからはずっと貧困であり、光と食を求めての旅路そして病弱へとまるで予定していたかのように転がり落ちる。
 一方坂本繁二郎については青木と同じ年齢ながら、二年間の代用教員を勤めた後、遅ればせながら繁の創作活動へ合流している。しかしそれからも決して安楽な道のりではない。資金のため日本画を描き売りフランス留学を果たしている。青木が妬ましく思うほど安直な賞狙いではなく、じっくりと力をつけ二人の悲願であるフランスへ行く。しかも神戸に帰港後は故郷の久留米に直帰し画力を磨いた。八女の田園において自然と人間を探求し続けた。こうした大器晩成の坂本も青木が倒れると聞くや、同郷の富豪石橋氏に「青木の作品をすぐに蒐集して欲しい」と懇願し、今日の石橋美術館の基礎を創っていただいた。まだ作品が海のものとも山のものともわからぬ時代でのお願いである。
 同じく無名のゴーギャンの作品がタヒチ島で寝室の側に山となって積まれていたように、青木の作品も落選作を含め極めて近い範囲にあったと考えられる。もし友の助言と篤志家がいなければ「海の幸」とてもそれこそ海の藻屑か燃料の薪になり果てていたかもしれない。
「焼きも残りたる骨灰は序での節 高良山の奧のケシケシ山の松樹の根に埋めて被下度。
小生は彼の山のさみしき頂より 思い出多き筑紫野を眺めて 此世の恕恨と憤懣と呪そとを捨てて静かに永遠の平安なる眠りに就く可く候」
と繁は姉たよ子宛に覚悟の手紙を綴っている。
 療養中も海がどうしても見たくて浜辺に赴き帰院しての大喀血で命取りとなった。天才の勘はすべてが時間の問題とわかっていたかもしれない。末期の海こそ、向こうにはフランスがあった。
 手紙に託した思いを叶えるべく、坂本は有志とともにケシケシ山に歌碑を建て、それ以降毎年けしけし祭りが催されている。
 解説書によれば生前、青木と坂本は久留米の馬鉄道でばったり会ったという。
「どうだ 調子は」
 青木は画壇について知りたく口火を切った。ずっと地方をさまよっていたからだ。
「相変わらずだ。そちらこそどうだ。」
 青木はビールから始めてウイスキーを飲み、下戸の坂本は西瓜を食べながら短くも熱く語り合った。
「お前は西瓜をよく食べるな。」
「君も一切れ 食べてみるか。」
 これが別れとなった。青木が画壇への復帰を必ず果たすと信じ、絵筆を通して祈っていた。手紙も気休めに過ぎないと交わさないのなら、友情は自分の絵筆に託し信ずるよりない。青木繁はまだ元気な時代、旅先の「天草の海女」で白衣の輝きを、伊万里では海に浮かぶ「朝日」をたんたんと描いている。解説では夕日を描いたとあるが、希望は朝日とともに昇ってゆく。それは観念を超え、祈りが絵姿となって現れている。
 海に山、緑に恋人、働く人たちの歌とすべてが太古の風景と重なり、大和のロマンであった。フランスに憧れて東京や大和へと心を馳せながらついには故郷に拘り描き続けるとは、自由人の真骨頂である。美を求めて乱舞。陰翳にして光をまた捜す。もし第三者が矛盾点を暴こうとするならば、おもしろいほど材料は転がっている。どちらかと言えば粋ではなく不器用のでくの坊、世渡りが下手で絵筆の先っぽに万感の思いを込めてひた走る。
 展覧会のチケットは常設展分のおまけが付いていた。凝視と熟想は二時間を超えていたし、印象を薄めないためにもこのまま帰ろうかと悩んだ。しかし折角の玄関先まで来たのだからと、疲れた心身を説き伏せ第二会場へと歩いた。すきっとした会場には名だたる作品がたくさん並べられている。佐助は宿題を果たすような気持ちで群れとも言うべき夥しい展覧の中に、坂本繁二郎の「馬」を見つけた時はほっとした。彼の珠玉の作品で、たった一枚を飾るとは主催の方も粋な計らいをするなあと感心した。坂本さんこそが、青木繁の回顧展を誰よりも近くから喜んでいると思った。
 外は風がきつかった。それでも人知れず善いことをした後の感触がある。心にほんのりと明かりが灯ったような暖かみを覚える。明かりはささやかであるが、きっぱりと強い調子で輝く。昼下がりの行為は個人的な趣味であり、時間的にはサボりに入るであろう。しかし事を成しおえたことで、すかっとした喜びが胸に湧き出る。大樹の新緑がみずみずしい。
 青木繁の展覧会は二十年振りに開かれた。正直言って彼の複製画で、我が家の応接間に飾っておきたいという作品は少ない。風景画にしてももう少し明るいタッチで、それもワインをつくるように時間を寝かせれば、ルノワールやセザンヌのように家庭の隅々にまで彩りを贈り続けたであろう。もっとも本人に言わせれば「フランス留学をさせて貰えば落ち着いた幸せな絵を描きましたよ。」と弁明するであろう。あるいはお客さまを意識した明るい光が乏しいゆえに壁にぶち当たったのだし、要領を身に付け過ぎれば青木繁でなくなってしまう。
「時代にぴったりの素敵な作品ですね。どなたが描かれたのですか。」
「実は此れ此れしかじかの経歴の持ち主で。」
と花が咲き、エピソードを初めて聴く者には、ゴッホやゴーギャンに似た波瀾万丈で鬼気迫る執念を感ずるであろう。青木繁にはもう少しおおらかで円やかな神経を持ち、昼あんどん演技の一つでもできていたらなあとないもの強請りをしてみる。明治時代は文明開化が東へ西へと激しく試行錯誤をしていた。青木はその荒波を全身で被り刻苦勉励に努めたが、根底にはあくまでも大和魂があり燃やし続けた。大きなうねりで西洋への傾斜を求めたが、不思議なさまよいへと肩を揺さぶった。友人の坂本だけは自分の思いと同じ質を青木の行動に観ていた。そして何とか渦潮から這い上がって欲しいと固唾を飲んで見守っていた。
 青木の作品数は限られており、展覧会と銘を打つお祭りは十年か二十年に一度ぐらいでよい。佐助はその彗星の如き展覧会に出逢うことができどこまでも嬉しかった。空港まで走る電車の音が快く、目を閉じて展覧会の絵を一枚づつ振り返ってみた。楽しい思い出が感情の流れとともに蘇る。しかしこの陶酔も早々と崩れ去るような恐れがある。まもなく仕事の仲間と会わなければならない。それも理由の一つであるが、表面的なもののように思われた。
 もともとが美術館という狭い空間で、時間をちょいと盗んでの行動だっただけに、感動の潮が引くのは予感できた。それでも車体に揺られながら、瞼の中で一枚ずつ絵を捲ってゆくとやっぱり「海の幸」が現れた。それ以外の作品は躊躇でさえ思われた。車輪の音が海辺の波音と重なる。
 「海の幸」の断片が見えるや否や、満を持していたかのように澄子が現れた。ありとあらゆる手立てを尽くして気を紛らわそうとしていたはずなのに、まるで禁断症状のように美人の瞳が現れる。
 澄子に会いたいという思いが胸を占めた。自分の心は彼女のものになっている。だから彼女も。しかしこれほど近くに来ても会えない運命なら、もう二度とチャンスは訪れまいという暗闇が心を急かした。一便ぐらい遅らせてもやるだけの事はやった方が悔いは残るまい。みすみす好機を放り出すなら、未練はいつかは忘れることになるだろうが、心もいっしょに窄んでしまいそうだ。この決断を敢行するために、血が最も近似の先輩美術家展に行ったのではないか。あとはボタンを押すだけだ。
 そもそも自分は取り越し苦労が多過ぎる。確かに他人より苦労は多いとは思うが、それも肩を窄めて歩くから余計に影が付きまとう。明るい言動で振る舞えば、周りの方たちだってにこにこと語りかけてくださるはずだ。明日からと言わずたった今から快活な行動を取れば運は開ける。いの一番、澄子さんに元気な電話を掛ければ、待ち合わせの時刻と場所を優しく教えてくださるはずだ。たとえ来月になっても重苦しい扉が開いたことになる。もともと扉は自分で鍵を掛けてきたきらいがある。誰よりも澄子が長い夜を越え自分の電話を待っている。勇気こそ最大のプレゼントである。そのために彼女は恥じらいながら秘密の電話番号を囁いてくれたではないか。こちらも最大限の演技を返してあげなくちゃ。
 佐助は立ち上がりたい気分になった時、電車は空港に着いた。航空機の搭乗まで一時間は優にある。仲間が親しげに寄り添い、仕事のちょっとした打ち合わせと土産について話した。職場のみんなの顔を浮かべ、土産の中身と個数を議論した。佐助は久し振りにひりひりした現実に戻る思いがした。敢えて冗談を交えて話している内に、時間が削り取られていった。それでも電話をかけるチャンスは残っている。しかし会話の勢いで出発のチェックインをし所持品検査を受けた。家の鍵をなくすまいと財布に入れていたので、金属探知器に引っ掛かった。身体検査では早鐘のように打つ心臓まで疑いの目を伸ばされた。
 あとは機内に早足で入りながら引き裂かれるような思いがした。ハムレットの悩める気持ちがわかると独り言を呟く。座席は幸いにも窓際が取れた。
 湾岸の近くに澄子が住んでいる。もう一度、空から彼女の景色を眺めたい。いやこんな願望は別れのさっぱりさとは逆の支離滅裂で往生際が悪い。何という無様さだと、自虐的な言葉が腹の中から飛び出す。それでも狭い窓枠を両手でつかみながら、澄子の町を眺めた。二つ前の座席で小学生がまったく同じ格好で景色を見ていた。きっと初めての飛行機であろう。その真剣な姿が鏡のようにおかしかった。
 結局、何も残らない。霧散霧消にして一人相撲。普通の姿勢に戻ると疲れが滝のようにこぼれた。骨折り損のくたびれ儲け。スチュアーデスが笑顔を振りまきながら近づいて来る。佐助はコーヒーをたっぷり貰ったのも束の間で、眠りに落ちた。
 夢にはこの二日間の格闘劇がおもちゃ箱のように現れた。意識はありながら、体はたがが外れ好きなように浮遊している。夢はしばらくすると二日間という縛りを解き放ち、一年間へと伸びる。澄子と出逢ってからの一年間だ。楽しい思い出ばかりが、名ピアニストの弾く美しいメロディのように編み出される。ところが耳を澄ませば、胆汁の苦々しさで黒鍵ばかりの低音が追い掛けて来る。明らかに苦痛の悲鳴が耳の中心を占めるのだが、そうはさせじと明るい音色がまとわりつく。 
 ああこれが澄子との思い出のアルバムだ。とにもかくにも頭の中にぎっしりとしまいこんでいた。澄子にとってはほんの断片であろうが、佐助は宝物として隅へ隅へと詰め込んだ。いやこんな劣等感を白昼に洗い出すなんて、気ままな夢もどこか覚めている所があるのだろう。これらの思い出箱をすっかり忘れ去ることができるなら、どれほど身軽になるだろう。それとも忘れちまったら何もかもなくしてもっと悲しくなるにちがいない。いやそれは杞憂というもので、執念の残り火が燃えている限り消すことは難しい。執念は何とかしようという願いより、誇らかに衆前に示したいというエゴイスティックな欲望だ。何といっても生きる中核を成すもので、澄子に傷つけられるならば、引っ込んで癒しを求めるより反撃に出る。それは今までの手痛い経験から、傷口を広げる事になるとはわかっている。
 夢はまじめで深刻な夜道だ。どこかでブレーキを掛けないことには胆汁で全身が塗りまくられてしまいそうだ。深呼吸をしもっと落ち着こう。こちらが挑発の手をゆるめればこれ以上無残に敗れることもあるまい。ました白旗の素振りを見せれば、敵も追い打ちは掛けまい。
 敵って? まさか澄子ちゃんのことか。憎しみこそ敵です。愛というカードをひっくり返せば憎しみが待ってましたとばかりに現れる。ついでに言えば楽しみの裏カードは苦しみ。そして幸せの裏は文字通り不幸せ。ところが幸せのカードばかり集めようとすればちょっとした弾みでまとめて不幸せになる。今は幸せと不幸せを混濁あわせ飲む形で、まだら色に美しく光るか。
 夢もついに酔っぱらい始めたかと思っていると、カードたちはぱらぱらと箱に収まろうとする。箱は名ゴールキーパーのように全てを集めにかかるのだが、右から左から、上下はもとより後からも、思い出のカードが乱舞する。
 箱はどれぐらいの大きさかって? 現実家が尋ねたがる野暮な質問だ。むしろどんな大問題もささいな出来事も同じように一枚のカードに置き換えられる事がおもしろいと思わないか。そりゃ大がかりなデータや情報だって一枚のディスクに収められる時代だ。いや和歌や俳句はもっと凄い力で求愛から幸せの陶酔、別れのいとおしさから果ては末期の覚悟まで五七五七七に表せる。言葉の神通力を持ってすれば、万感の思いをカードに絞り込むぐらいお茶の子さいさいだ。それらのカードは梅雨時の蛍のように光り輝き乱舞しながら魔法の箱に吸い込まれる。
 箱だってじっと座っているわけではない。たくさんのカードに負けず劣らず自由自在に宙を舞う。広い空の下、よく見ればあまたの箱が飛び通っているではないか。しかし佐助の夢では自分の箱しか見えない。他の諸々は塵か芥にしか見えない。いやそれでは余りに我が儘ではと目をヒラメのように絞ってみても、やっぱり自分の箱しか見えない。
というのも他の箱を捜し求めても、それらは薄っぺらなカードに変身し、あっという間に佐助の箱に吸い込まれる。ひょっとしてこの箱は目蓋の前というよりも、内側つまり記憶装置の中に仕舞っているのではないかと思う。すべての色や形、言葉や音を含んだ印象というものがカードに変わり箱に収められている。
 いわばプロッピーのデータをコンピュータの箱に移し入れるのに似ている。原理はその通りだが、飛び交う箱の方が断然先だと佐助は夢見心地に思う。いやこの疑いさえ単なるカードに転じられて箱に吸い込まれるはずだ。もしもその箱そのものが再びカードに変わったら、仕舞うべきものはどうなるのだろう。まさかカードがカードを食べるわけにはいかない。ひょっとしたら黄金の箱は背丈を限りなく零に縮め、カードの振りをしているのではあるまいか。
 夢は思いが複雑に絡み合い、煩わしくなる。もともと佐助の神経は半ば覚めており、耳からの音はよく聞こえる。いわば音は水平なカードになり、耳奧の箱へと流れている。
「まもなく富士山が見えます。本日は晴天なので、夕映えが美しいと思われます。」
とスチュワーデスの声がさわやかだ。
 佐助はまだ目を閉じたまま考えた。窓ぎわの席は取れたが、左側だ。折角のラッキーな窓際も逆方向ではあだ花だ。まだ右側から二番目の方が見える可能性があった。わざわざ結果を確かめるのも悔しいが、うっちゃらかすのは事から逃げたようで寂しい。
 重い目蓋を開けると、真下に富士山があった。真ん中が窪みまさしく活火山の様相を示しており、何より白雪が美しい。もう桜も咲かんとする季節に、雪の広がりは奇蹟のようだ。中腹からはこげ茶色の地肌が重なりどこから観ても立派な山だ。周りの山々も同じように高く雪を抱いているのだが、存在感が薄い。いやあまたの山々で富士山を精一杯に盛り上げ奉ろうとしている。これらの山々の美しい典型として富士山が完成した。何もかもの広大な山脈を集めて一幅の絵が生まれる。
 佐助は神聖な風景を窓から見下ろすことは失礼な気がした。と同時にこの栄えある光景を青木繁さんに見せてあげたら、どれほど喜ばれるだろうかと想った。青木なら直立不動の姿勢で富士を見ようとする。いや真っ直ぐでは却って遠くなるので、窓ガラスに額をくっつけって眺めるだろう。いづれにしても青木はさっそく座席でスケッチブックを広げ、色鉛筆を動かすはずだ。
 佐助は富士山を両手でつかまんばかりに見つめながら、青木繁のことを思った。それは気紛れの領域だとは百も承知だが、いっしょの思いで観光できるだけで幸せであった。
富士が過ぎるとまた眠りに落ちた。しかも夢の続きには待ち望んでいたものが現れた。あるいは瞑想しもう一度振り返ろうとしたのかもしれない。おそらくは二つの流れが夢という待合い場で花開いた。当然に前座を司るべき夢の掛け橋はある。行き当たりばったりの佐助であっても、さっき観た展覧会の絵は一駒づつ流れた。
 憧れの展覧会に行けたという感動が根底にある。厳密に言えば、その印象がぜひに形を現したいという願いがある。絵は現れるや微妙に変化を始める。まず「女の顔」が現れるが、顔はやおら右を向いたり左に傾いたりする。ひとつには印象は写真ではないから、どの姿勢が本当は正しいのかと画像を動かしながら捜し求める。画家本人でさえ再現を求められるなら瓜二つの絵は難しかろう。新しい時点ではもっと良いものを創ろうとするベクトルが働くからだ。ましてファンが押し合いへし合いする中で見た絵など、旅先での駅風景ぐらいの印象であろう。おまけに飛行機の揺れは夢に影響する。
 しばらくしてお目当ての「海の幸」が登場した。真打ちの作品は残り時間の三十分を見計らうかのように登場した。広い浜辺の右方面より、若き漁師たちはざっざっと足音を立てる。獲物を射止めた者は勝利の御旗として銛を刺す。加勢の者たちも銛を誇らしげに挙げる。足音はざっざっと凱旋の行進曲だ。そこに波がリズムを取りながらざぶんざぶんと押し寄せる。
 魚たちは沖から「自分たちの仲間を返せよ。」と叫んでいる。もちろん勝利者たちは雑音などにはお構いなくどんどん歩く。太陽はまだ水平線の遥か上だ。これらの行進を映像にするならば小さな踊りも入れて十五分ぐらいの作品になるだろう。待ち受ける家族との語らいや驚きがフィナーレとなる。
 佐助はとことんまで夢を見たくて画像を動かした。本当に確かめたいならカンバスの上で試すとよい。夢は浜辺をブランコのように往ったり来たりしながら、元の作品に戻った。もはや画面はがっかりするほど微動だにしない代わりに、中心人物だけは動く。始めは作品通りの顔だ。いくら夢であってもこの顔だけは真実だ。まもなく男寄りの顔に移り、限りなく青木繁に接近する。そこでもう一度揺れ戻しては女寄りになり福田たねとなる。それも写真にある顔と、名作「女の顔」をイメージしたものの間を揺れる。中間帯から強いイメージの顔に落ち着いた思えば、反転して男の顔に移る。青木繁の写真はさすがに眼鏡を外したものと「男の顔」が溶け合う。移り変わりのノウハウは「女の顔」で培ったばかりだが、次は男と女をうまく一つの顔に調和させる。それが夢であり芸であるが、何と元の顔に戻ると一粒種の愛くるしい長男が現れる。これで第一章は完成で、絵画、女、男、子供と四駒がくるくる再現される。次は憂いを含む美顔が「海の幸」に現れる。画像はスロットマシーンのようにどんなに速く移ろうとも見える人には見える。
 中心の顔は原画に戻り一旦止まった。再び動き始める。前と同じくまず「女の顔」が現れようとするが微妙に変わった。佐助はこの予兆を抱いていたし、夢のなかで願っていた。「女の顔」は澄子の笑顔に変わった。
「こちらへお出でなさいよ。」と呼び掛けながら静かに笑う。久し振りの澄子は一段と垢抜けしみずみずしい。そこで愛くるしい誘いがあり、佐助は身を乗り出した。すると積年の功があったのか、自分が中心人物へと躍り出た。残念ながら澄子と入れ替わりだ。何とか隣りの漁師さんの席に潜る込めないか。しかもその顔と言えば、さきほど鏡で見たばかりのまじめな自分の顔だ。えらく緊張しているが、喜びが全身から溢れ出る。そして定跡通り、子供の顔が現れた。見てはいけないものだし、それ故に心の奥底ではぜひ見たいものである。子供は絵の原典から類推したものだが、私たちの子供でもある。
 佐助はうっとりと子供の素顔を見た。このまま時間が止まってくれたらいいなあ。しっかりと記憶箱に収めておけば、いつでも実物のごとく引き出せる。
子供はかわいらしく微笑み、表情の中には自分と澄子がいる。あるいは澄子だけが相似拡大したものでさえ楽しかった。そこで子供の中にもっと澄子をと願うと、幼い自分の顔がもっくりと現れ微笑みが合わされてゆく。
 戯れが正夢になればいいと色気を出した瞬間
「この飛行機はあと十分で着陸態勢に入ります。お手元のシートベルトをしっかりお絞めください。」
とアナウンスが流れた。
 夢は一気に崩れた。しかし佐助は目の周りに皺を寄せ夢を何とか続けようとした。それはもがきのようであさましくはあった。すると貧者の願いが叶ったのか「海の幸」が初めから現れた。原画から青木繁を中心し一巡し、次に自分たちのシリーズが律儀に型通り登場した。無理矢理に頼み込んだために顔はかさかさと潤いに乏しく、義理の務めを果たそうという様子がありありだ。夢は仕方なくそれでも未練たらたらと流れ、三巡目がやおら始まる。また今までの手順なのかしらと諦めていると、妻の恵子がにこやかに現れる。
「今までのことはすべて水に流してあげるから、元気で帰っていらっしゃい。」
という言い草に、次なる私は夢を語り愛を告げる初々しき姿だ。海風は春の爽やかさで波は怒゚キの祝福だ。はるか彼方への漁は見事な海の幸を携える。
 心の絵が絶頂を迎えた時、真っ正面から傾き始めた。斜めにというよりも直角にそれも薄っぺらのカードに変わった。夢の大元はカードであったかと思えば当然であるが、一ミリあるかなきかの薄さになるとさすがに心細い。顔はどこへ行ったかと追い掛けても無駄で、カードは鳶になり大きく輪を描いたかと思うとすっぽりと箱に収められた。箱は飢えた狼が獲物をがつがつと平らげるように、当たり一面のカードたちを吸収した。それで夢は残念ながら箱の中へ、しかもそのでっかいはず箱がこれまた一枚のカードに変わり宙を舞う。
 佐助は慌てて目を開き、たった今までの夢を実虚の世界に追い掛けた。眼下の海は静かに小さな波を動かしている。強いて白いカードらしきものを捜せば、鴎が一羽飛んでいる。佐助は右の人差し指で鴎を追い掛けた。飛行機は圧倒的な速さで幻を消そうとしている。佐助は窓の右端に鴎の飛遊をやっと捕らえた時、指先に光りが灯った。夢が羽を休め指に止まってくれる。
 ちょうど隣席の女性が文庫本を見たさにスポットライトをつけ光りが撥ねた。それでも佐助には夢のカードが指先に舞い降り佇んでいるように見える。隠れるというより希望と勇気を与えるために飛来したようだ。
 着陸し機内が明るくなると佐助は赤面した。連れの者とは敢えて大きな声で事務的な話をした。とても重要な仕事をやってきたと互いに確かめ合った。
「その通りですね。なるほどですね。」
と相手は頷く。
 派手な仕草は嫌味であるが、その源は自分であると知れば罪を追うのは控えた。
バスが郊外へと進むと灯りが一つ二つと薄れていく。閑かさに急かされるように澄子のことが思い出される。ビデオを早送りするように記憶は進み、突然つかえた。帰りの飛行機内でのカードと箱の夢物語に差し掛かると、まじめに振り返るのが苦痛だ。まして指先の出来事などどうつなげたらよいのだろう。
 夢と現実とはつながらなくとも結構、時と場と人が入り乱れ、箱の中では収まるのだ。ごちゃごちゃのびっくり箱だからおもしろい。こう開き直った時、足取りが軽くなる。大地に吸い込まれるようにと表現したいぐらいだ。
 恵子は午後十時を過ぎると普段は横になる。一年前に体調を崩してからは九時に早まった。だから用心にと玄関の鍵は早くから掛ける。もう既に九時半を過ぎている。佐助は財布から鍵を取り出そうかと思う。しかし微妙な勘が働いた。今宵は待っていてくれるはずだ。その証に門灯だけでなく玄関の明かりも灯っている。そこにしっかり立っているようで影はゆったり揺れた。心が照れて揺れている。指先は雨垂れに当たったかのように汗ばんでいる。
 許してくれている。そう思うと土産を買い忘れたことに気が付いた。いや気持ちを清算してきたのだから、それが妻への土産でよい。過去をぐじぐじと睨み続けるより、要はこれからだ。
 妻はホテルで待ち合わせをするかのように正装をしていた。新しい服に薄化粧だ。
「お帰りなさい。お疲れになられましたでしょう。」
「いや ありがとう。」
 挨拶がとんちんかんだったので、二人で笑った。

 青木繁の展覧会は五月下旬に久留米の石橋美術館でも開かれた。名実ともに里帰りの展覧会である。美術館前の噴水はきれいで、バラが色とりどりに咲いていると聞いた。すぐ側の公園には坂本繁二郎の旧家も保存されている。
 佐助は期日が迫ると、フルコースの展覧会を見に行きたくなった。きっと名画を眺めている内に、また澄子の面影がぶり返すのではないかと危惧の念が湧いた。欲にからまれた未練はしつこいものだ。それでは家庭の幸せが再び揺さぶられる。しかしそれはそれで仕方がないことだし、今度はせいぜい二、三日の小振りに留まるように感じられた。

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