トム・クルーズ

宮川俊朗
 仕事帰りに、映画を観る。パソコンで目をかなり使っているし、それ以上に気疲れがある。家に早く帰ってゆっくりすれば良いと頭でわかってはいる。
 「ナイト&ディ」の再映版を観る。封切の時も観たかったが忙しく、映画で観るのは、人口150万人の我が町では、これが最後になるかもしれないとも思う。トム・クルーズの映画は、「ミッション・インポッシブル」以来、ほとんど観てきた。子供の頃は、スティーブ・マックイン、青年時代は、高倉健、渥美清、大人になってからは、アーノルド・シュワルツネッガ―、そして今トム・クルーズだ。
 御金持ちが、世界のクルージングに夫婦や友達、ときめきの愛人たちと豪華な旅行をしている。私は、案内パンフレットを時々、羨ましく見る。
「トム・クルージングに行っているよ。」
と心の中で、つぶやいている。恥ずかしいから、他人には言えない。
 
 トムのアクションシーンは、派手で格好よく、歯切れがよい。ストーリーも派手になり、字幕を見る暇がなく、内容がわからくなる時もある。
それでもおもしろい。アクションシーンを際立たせるために、ストーリーを創っているのではないかと思われるぐらい、想像を絶する展開だ。虚実裏腹の段階を超えている。もう漫画の構成に近い。それでも格好よいから、何でもありだ。プロ野球では、往年の豊田泰光選手に風貌が似ている。豊田選手は格好よく、ここぞという時に劇的な活躍をされたスターだ。
 トム・クルーズは、アメリカ、ジャマイカ、オーストリア、ザルツブルグ、スペインで、恋人とともに大活躍だ。世界の有名な観光地でのロケ。やっぱり、2時間のクルージングだね。手に汗握る、悪党との対決、車でのアクション。未来を誓うラブシーンで終わる。
 ヨーロッパの本格的な芸術映画には、ほど遠い。同じアメリカでも、アカデミー賞の範疇からも遠いように思われる。
 それでもおもしろい。単におもしろい。
 映画館を出ると、夜の街。いつもと同じ街なのにときめいて見える。頭を冷やそうと少し歩く。風がひんやりと、肌にさわやかだ。

 妻
 電動カミソリの表面が、傷んだ。
「表面は、電動型カミソリの命だ。」
という店員の説明を思い出す。
 鉄製のネット表面が、ギザギザになれば、髭を剃るどころか、皮膚が傷つき、血が垂れる。顔の表面だから、誰からも目に付く。
 カミソリには、愛着がある。三年以上使い、様々な苦楽を友にしてきた。ぽいと捨てるには忍びない。翌朝、無理して使うと皮膚が痛い。仕方なく、朝食の際、悩みの種を妻に漏らした。
「電動型は、確か二枚刃だったでしょう。」
 ピンと来なかった。しかし表面が痛んだ側は、一つの刃で、もう一つの刃の方は、大丈夫だ。持ち手を上下を逆にして、カミソリを使ってみる。安全な側の刃で、慎重に動かせば何とかなりそうだ。
 私は嬉しくなって、妻に感謝した。電動型カミソリなんて、使ったことも、中を見たこともないはずだ。それでも知っていて、ヒントをくれた。見直したと言ったら失礼か。髭を剃りながら、これからも仲良く暮らして行こうと思った。

コーラス
Kさんは、経営者を長くされ、社内外から評価と人望が高かった。私は直接には僅か、二年しかお仕えなかったが、その後も十五年ぐらい面倒をみてくださっている。Kさんからは、ドラッカーの哲学を含め、経営のイロハを習った。私は必死でメモを取り、覚えようと努めた。その態度が気に入られたのか、公私にわたって色々と教えて頂いている。
初春の晴れた日、電話がかかり、昼飯を一緒に食べようということになった。Kさんは、必ず朝早くに電話され、お互いのスケジュールを共有化される。いくら年下にでも突然の電話などは、決してされない。
ホテルのラウンジで食事をしながら、Kさんは快活に喋られた。
「コーラスを長年やっているのですが、「美しき青きドナウ」を今、歌っているのですよ。君も知っているでしょう。皆でウィーンに行って歌うということになりつつあるのです。今まで大連には二度行って、現地のコーラスグループと一緒に歌ったりしましたよ。」
「本場のウィーンですか。」
「合唱ツアーを世話する企画エージェントがあるのです。ウィーンに行けばホールに案内され、一緒に歌ってくれる音楽家を紹介してくれます。お金を積めば、聞きにきてくれる聴衆も準備してくれます。」
「楽しみですね。ぜひ行かれたら良いですね。」
「コーラスは全体の音に合わせることが大事です。声量もだけど、音の質です。初めて入ってくる人は張り切り過ぎて、皆の声から飛び出てしまう。一つの音になるには、半年ぐらいかかります。聴く人が聴けば、音質が良いかどうかすぐわかります。
 今はインターネットが発達しているので、団員はキーワードを入れれば、音が出て、MDに保存して、自宅で練習できます。もちろん自分が楽団に合わせて歌うと、MDで聞くこともできます。」
 私はステーキを頬張りながら、真剣に話を聞いた。
「歌う時は、次の歌詞やメロディーを思い出しながら歌わなければいけません。これは男性が苦手なことです。女性は家事をしながら、明日の食事を考えている。洞穴の生活をしていた時からそうで、男性はひたすらに狩りをし、他の部族と戦うばかりです。一つのことしかできないのですね。だから次のメロディーが出て来ずに、遅れてしまうのです。」
しばらくの沈黙があった。
「やっぱり歌詞を覚えるのが大変ですよ。手元に置いていたら、指揮棒が見えませんからね。それに私たちは、原語で歌うように心がけています。例の「美しき青きドナウ」だって、ドイツ語で頑張っています。
 コンサートでは、二十曲ぐらい歌いますから、一ケ月前からは猛練習です。一曲当り、五百回は練習して暗譜しています。でもね、コンサートが終わったら、あっという間に忘れてしまいます。」と笑われた。
 
 内容はコンサートの話が中心だが、経営のヒントを教えておられる。いや全体の勘所を捉え、集中して行動するのは、経営魂が今もなお燃えていらっしゃるのだろう。
 燃え盛る夏の前に、ウィーンに行かれるのだろう。輝く目を見ていると、そう思う。演奏会では、クロアチア語での曲もあるとお聞きし、私もうかうかしていられない。勉強して頑張らなければと、熱いコーヒーを一緒に飲みながら心に誓った。




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