宮川俊朗

同僚の杉田均は、子供の時から足が悪く、近頃は転倒防止のために通勤時には杖をつくようになった。同僚と言っても、私より三歳年下で、元は私の部下であった。私が嘱託になってから、杉田君は上司に変わった。しかし従来の上下関係は、実務能力や見識の優劣とともに微妙な影を落とす。私はできるだけ後輩の彼を立てようと努めたし、会社もそうあることを期待したが、彼の方には私に遠慮があった。
杉田さんは、奥様から杖をつくように勧められていたが、断り続けていた。しかし半年前に軽い転倒をしてからは、毎日の通勤時に杖をつくようになった。恥ずかしいのと、次々の段階を考えると、どうしても嫌だったのだろう。
「車椅子だけは乗りたくない。自分の足で歩いて好きな所に行きたいです。」
と私に何度もこぼしていた。
「体重を増やさないように、減量しているのです。増えると足に負荷がかかるのです。」と努力の内情を漏らす。
「一人息子は遠くの大学に行き、その仕送りが大変です。」とも語った。
 休日はひたすら図書館通いで、できるだけお金を使わないようにしている。すぐに買って読みたい本も、時期をずらして辛抱すれば、図書館に勢揃いしている。誰かさんがつけた手垢の少しぐらいは、我慢して読めば良い。
私も二人の息子に仕送りが続いた時代は、ゴルフも年に二回の旅行もやめた。
「ちょっと一杯どうですか」とお酒を誘われても、どうしても必要な場合を除いて
「今日は用事がありますから」とやんわり断った。
 嘘はほろ苦い。
杉田さんの通勤バスは、ルートが二つある。街のメインストリートを走るルートAと、海沿いの都市高速道路を経由するルートBがある。行きは後者を、帰りは前者を使う。Aルートは、私も毎日、通勤に利用し、ショッピング街が大通りの右左に並んで、目を楽しませてくれる。

「バスが都市高速道路に上がると、朝陽が正面に輝き、左手には海が見えます。海は広いし、豪華客船が時々、桟橋にとまっています。先日、見たイタリアの客船なんか、五階建てのビルぐらいの高さがありました。船体のデザインや色合いがきれいで、思わず窓から体を乗り出してみたくなりますよ。」
とくるくるした眼を輝かす。まるで少年のときめきだ。
そう言えば、杉田さんは会社の休み時間などに、世界地図を広げている。重大ニュースが起これば、その地点を地図で詳しく見ている。地図は市販では最も高価なもので、本人にとっては宝物だ。傍から見ていて、大切な扱いぶりがよくわかる。
杉田さんは、海外はもとより国内だって遠くには余り旅行はしていない。きっとこれからもしないだろうと思われる。一つには子供さんへの学資のため、あと一つは転倒のトラブルを避けるためだ。奥様はきっと一緒に色々な所へ旅行をしたいだろう。

行けないから、余計に行きたい。
逢えないから、あなたに逢いたい。
切なさや恋しさは、演歌などで心を震わせて唄われる。いやオペラのアリアやシャンソン、タンゴなども同じであろう。世界共通、古今東西にわたる人間の心だ。満たされない思いが名曲になり、みんなの心で歌い継がれてきた。
囲碁の達人藤沢秀行が
「ベサメムーチョは、恋の別れをせつせつと唄う大好きな歌だ。」と語るのを聞いて、私もベサメムーチョが好きになった。大勝負を前に、家でベサメムーチョを聴き闘志を奮い立たせた。家族にひと時の別れを告げて、決戦に臨むとも聞いた。勝負も旅か。師の愛唱歌は、私の心に沁みる。
杉田さんだって、マイクを渡せば、好きな歌の一つや二つはあろう。しかし「カラオケに行けば酔うから」と行かない。これまた興が乗り酔いしれれば、転ぶ恐れが強まる。願望の向こうには、常にリスクが壁のようにそびえる。だから人は壁の向こうに希望を抱こうとするのか。
杉田さんが朝から機嫌が良い時は、晴れた日だ。顔が上向き加減で、今にも口笛でも吹きそうな陽気である。
きっと青い海が見えたのだろう。豪華客船か、それとも珍しい帆船か、何もなくとも白波にかもめや渡り鳥が見えたのだろう。
旅情が高まり、仕事の机に着いても余韻が続いているのだ。
知らない旅路には行けなくとも、船が行ってくれる。かもめが自分の代わりに、おいしい空気を腹いっぱい吸い、力強く羽ばたきながら憧れの地に飛んでくれる。
どこに行くかは、風の吹くまま、気の向くまま。いやかもめだって生活がかかり、食べ物を探し、命を賭けて精一杯飛び通う。あるいは車窓から見える浜辺が、かもめたちにとって、ずっと前から憧れた目的地かもしれない。しばし羽を休め、お腹をいっぱいにして再び大空に向う。
「候鳥、空を想う」という短詩を思い出す。中学の先生が教えてくれた。

杉田さんは、静かに地図を広げ、思いを馳せる。イマジネーションが高速エンジンより速く、ブルンブルンと回転する。
ブルンブルンなら、同じ部屋で働く水田あけみさんは、小柄ながら張り切りウーマン。新入社員ながらてきぱき仕事をこなすと同時に、テニスはセミプロ級との評判だ。歩き方もスピーディで、ハイヒールで快いリズムを奏でながら、豊かな胸をブルンブルンさせる。私は彼女の歩きぶりをこっそり見るのが、会社での密かな楽しみである。
ある先輩は経営者から、私と同じ嘱託の身として、七十二歳までお元気に勤められた。
若さの秘訣をお尋ねすると
「職場の女の子に恋をしているんです。いつか新婚旅行に行けたらと思っているんですよ。フランスかイタリアにね。」
と赤面されたのは、お酒のせいばかりではない。実直な方だけに意外な気がした。いや「英雄色を好む」ゆえに、うら若き女性に恋心を寄せられるのか。それはいけない不倫というより、男女の旅情である。なぜかロマンティックな心の旅である。
私も余裕ができたら、杉田さんを近場の温泉にでも連れて行ってあげようかとも考える。しかし杉田さんが本当に行きたい場所は、意外なところかもしれない。きっとまだ一度も行ったことがない、子供の大学やアパートなのかもしれない。
「それはどこか」と具体的に尋ねるのは、野暮な気もする。
旅情があれば、旅は始まっている。旅情だけでも旅だ。
 朝の通勤バスから見える海。つかの間の風景が、苦労人を素敵な旅人に変える。

 真善美の構図
美への誘惑。美しくありたいと思う気持ちは、純粋であり、欲望の塊でもある。
人より優れていたいからね。
 善行をする。より多くの素晴らしい善行の場合も、純粋な気持ちと、深層心理ではあるが、人より目立ち、誉められたいという願望がある。学校の勉強や試験の成績をよくしたいという努力は、向学心もさることながら、お母さんから「よくやったね」と誉められたり、おやつや御小遣いをたくさん貰う魂胆がある場合も少なくない。
 しかし世の中の社会勉強の始まりと思えば、悪いことではない。
 いや世に悪者と言われる人は、やたらに美に憧れたり、法外なボランティアに従事し、罪滅ぼしを行う。
 逆も真なりとすれば、美にあこがれすぎると、とてつもない悪に走り出す。

強みと弱み
 相手の弱みにぶつかる、相手の弱みを露わにする。
 真っ向勝負は、絶対的に力の差がある場合に限る。相当の差があり、予想通り、勝利を収めたとしても、当方の消耗や傷が生じるから、なるべく戦わないで優位に立つ方が賢い。戦っても部分戦にとどめ、早期に圧倒的に勝利を収めるのが望ましい。ボクシングで言う、TKOであり、精神的な降伏を強いる。それも自然に、実力の差を納得した上で、降伏させるのが、力を温存し、優位性をより対外的にも高められる。
 戦いは暴力的になっても、頭は冷静に、合理主義を貫くのが、効果を高める。

戦略
 何事も成功させようとする時、大小に関わらず、戦略と言う言葉を用いたがる。達成への情熱や執念を高める効果はある。
和略という言葉、考え方もあっても良いのではないか。和戦両用。「和を求め、尊しとなす」の考え方も有効のはずだ。戦いから勝利を目指すとともに、和を基に、共同の利益、共同関係を構築するのも、互いの繁栄のために大事なことだ。消耗や損失なしで、維持、発展できれば、「苦なくして楽あり」である。

名前
子供には、親の思いが入る。こんな人間になって欲しい。「自分ができなかったことをわが子は、やり遂げて欲しい。」
子供は親の思いを意気に感じて、頑張る。あるいは負担になるか、反抗する時もある。それは親の半生の縮図であり、そこを何とか、そこから何とかという願いや祈りを込めて、ネイミングが厳粛かつ真剣に行われる。
例えば哲学を重んじようと、哲也や哲夫さんの名前が生まれる。哲子さんもいる。
哲也くんや哲子たちはことが起きると、いったん間合いを取り、哲学的に考え、事を進めようとする。傍から見ていて、親子の二人三脚が活躍して様は、微笑ましく、羨ましい。人間なればこその遺伝子と伝統、親子教育の賜物である。
私の周りにも、実際、哲也くんがいる。父親は哲夫さんらしい。「親子関係について、どう思うか」について一度、尋ねてみたいと思う。まさか親御さんが議論に現れまいとは思うが、それはそれでおもしろそうである。

老子の三哲
私は折に触れて、老子を読む。老子は名前からして、随分と高齢のようだが、一行、一行、読み進めていくと若く鋭い思索家のように思われる。多くの文章の裏に、三つの思想が流れる。

慈しみ
倹約
人の後ろから、下からいく。
「老子」という語録は、この三哲をもとに、繰り返しその意味を説いているように思われる。

愛の語り
言葉でいろいろと愛を語る。その前に態度や立ち居振る舞いで、こまめに、また大胆に愛を語っている。前戯が重ねられた時に、言葉がとどめとして優しく緩やかになされる。びくびくとおどおどと言葉が吐かれても、準備は互いに万端だから、ばっちりと的に射られる。

写真家
鉄道マニアで写真を撮り続ける人がいる。全国的にはたくさんの方がおられるが、ずっと続ける方はやや少なくなる。
マニアの写真家は、その時、その場で走行する貴重なシーンを撮る。列車はスピードを上げて走り、一瞬に賭ける。事前に場所を調査し、天候や走行の角度やスピード等を精査し、列車を久しぶりに会う恋人のように待ち構える。当りはずれがあり、トンネルの上から、三日も四日もかけて撮る。
ある名作を見せてもらった。まるで停車しているように全景が見え、全速力なのは周囲の景色でわかる。

私はある展示用の写真づくりを手伝った。
「先頭としっぽがきれいに入っているのが、ポイントですよ。」
その写真をじっくり見ていると
「フレームに入れる時も、しっぽが切れないようしてくださいね。」
写真がフレームの遊びの部分にずれると、傑作の大事な部分が隠れる。そっと後ろにセロテープで止めて、写真フレームを立てた。
   
欲望のシグマ、加算
欲望が満たされないまま、次の不満やわだかまりが増えると、欲望は質量ともに増大する。普段は重要と思わないことに対しても、拘りから「何とか実現したい」「何とかものにしたい」とする欲望となる。常識で必死に抑えようとしても、火山の噴火直前のように欲望のマグマがたまり、ピークへ向う。
余程、頭を冷やすとか、場から離れるなど時間を稼がない限り、欲望は行動に移る。欲望のシグマで、身が持たないからだ。
「何であんなことをしたのかわからない。」
という痛い反省や
「あんなに大人しい人が、大それたことをして驚きました。」
と近所の人たちのコメントが、後から届く。
相手から眺めた客観性、全体から部分としての自分を見詰める、時の流れの中で、現在を考えるなど、湧き上がる欲望をゆっくり楽しみながら、見守る態度は、精神衛生上、大切である。
「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である。」
というヘーゲルの名言は、欲望にもあてはまる。欲望がわくのは現実、その欲望を上手に処理、いや活用できるのも現実の知恵である。
 湧き上がる欲望と仮説から、「罪と罰」という名作を表したのは、ドストエフスキーである。血が上って、本当に行動していたら単なる犯罪者に留まっていた。ヒットラーは、「罪と罰」に流れるおどろおどろしい欲望を見て、自分の政治的な欲望を深めたと言われる。
 もしドストエフスキーが、晩年にヒットラーと巡りあっていたら、注意、説得をしていただろう。しかしヒットラーのような可能性を、ラスコーリニコフという悲劇役者にしたてのは、ドストエフスキーである。
 「人間性を読みに読んだ」というより欲望の下地は、万人の本性にある。
 インテリになるか、犯罪者になるかは、紙一重である。

幸せの集積
「今の自分は幸せだ。幸せなことが一杯だ」と、一つ一つ数えてみる。周りの人に感謝する。すると心が段々と明るくなり、将来が明るく美しく見えてくる。もっと幸せになれそうだ。
今度は家族を含め、周りの人にも幸せを贈ってあげたい。お金だけではなく、明るく元気な言葉の一つでもかけられたら良い。
 夕暮れの街をぶらぶらと歩きながら、考える。
 ささやかな幸せの発見と確かめで、心が軽くなる。
 「幸せ」という言葉の持つ力だ。

客観性
相手からは自分のことがよくみえる。自分が思っている以上に、相手から見られている。特に相手と敵対関係になれば、見るというより観察されている。
だったらこちらも、相手の土俵で考えてみる。相手の土俵からこちらに居る自分が見えなら、その時の思いも含め、状況の客観性が得られる。
囲碁の大竹英雄名人は、対局中、自分の陣営以上に、相手の陣営を考える。相手から見た自分と、相手のもくろみを想像した上で、次の一手を考えると、秘訣を披露される。

反発
私にはある時代、厳しい上司がいた。やっても、やっても注意され、説教に発展する。その上司は自己利益、自分の立場でしか、仕事を進めない。昇進するほど、露骨になった。影響する範囲が公私ともに増え、挫折を迎える。
「あの人は陰険ですからね。」と私の知人が非難した。
 それはそうだが、優しい面もある。アフター6は、酒を飲みながら語り合った。
「酒の席では仕事の話はしない」
というのが、信念である。
 従って仕事は徹底的に厳しいのだ。「飴と鞭」という古典的な管理法を好んだ。知人も色々な鞭にやられたのだろう。
しかし私は「陰険」という強い言葉には反発を感じた。それ以上に上司の良い面を好きになっていたのかもしれない。

厳しい上司の話題が出ると、奇妙な懐かしさを覚える。

新聞記者
 新聞記者のA氏は、若い頃から俊敏でならした。情報の選択とスピードを重んじる報道の現場で、てきぱきと記事の優劣を見極め、整理部の要として真実を伝えた。社内での評価は高く、将来を見込まれていたが、鋭敏さの余り、仕事での議論は尖鋭を極め、敵が増えた。鋭敏な感覚がついていけない人たちは、議論で敗北し、時には記者としての資質や考え方まで批判されるにつれ、Aへの批判を強めた。
 Aは孤立し、神経を擦り減らし不眠症から病いに倒れた。
「優れた彫刻家は、少し鈍き刀を使う」
という徒然草の一文を思い出す。
 三年間の闘病、静養の後、Aは職場に復帰した。
 体を大事にし、家族への思いやりを深めているのが、傍からもよくわかる。俊敏さは、相変わらずであるが、丸みを帯びた。徒然草を読んだかどうかは、本人に尋ねなければわからないが、後輩から追い抜かれ、病の再発を心配しながらの仕事とならば、自重せざるを得ない。
それでも「弱い奴ほど群れたがる。」と友人にこぼしていた。
黒澤明が「悪い奴ほどよく眠る。」が上映された時代だ。

Aは革新的かつ上品な仕事を続けながら、定年まで健康に勤め、そこそこの地位まで上がった。才能を評価され、定年後も文化的な仕事に長く携わった。健康についての考えを深め、独特の健康論を創り、誰よりも実践した。
「何事も穏やかでありたい」
「人を咎めてはいけない」
「ぼちぼち行きなさい。先は長いよ」
は口癖であり、後輩や仲間たちに優しく語る。慕って来る人は晩年になるほど増えた。若い頃のカミソリのような神経と感覚を知っている人ほど、ブーメランのように懐かしく訪れ、旧交をあたためた。
「記者としての基本を習いたい」
と門を叩く若手もいる。
「今が一番幸せだ。」
と家族団欒の時によく漏らした。
 仕事をまっとうした喜びと慕われる嬉しさがある。と同時に「今が一番幸せ」とする哲学こそが、幾多の苦難を乗り越え、素晴らしい人間関係を築きあげた。それは闘病生活の中で得た、人生肯定へのキーワードだ。本人の自負とともに、「こっそり教えたい」秘訣である。
 今が半生で最も幸せなら、もっと幸せになれるとの希望が生まれる。いや幸せとする観点を探すことが、光を見出せる。
 それは人生を貫くジャーナリストたるA氏の真骨頂であり、詩情でもある。




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