優しさ

 飛田佐助がとみに優しくなったのは、自分でも不思議なぐらいである。夏の前半は雨ばかりであったが、後半に差し掛かると威を誇らんばかりに暑さがぶり返した。気温が下がると自分たちの出番とばかりに鳴いていた虫たちが、夏のぶり返しに戸惑っている。まさか蛹に戻るわけにはいかないから、とりあえずこのまま鳴いていようか。
 佐助は汗を気にしながら虫たちのせわしげな鳴き声を聞いている。晩夏と秋が同居している。その小競り合いがまるで自分の心象風景であるかのようにいとおしく思われる。どちらかと言えばしぶとい夏を応援している。だからうだるような暑さが戻ると嬉しくてたまらない。秋なんかまだ来なくて良いぞ。いつまでも夏であって欲しい。
 テレビでは異常気象だ、地球温暖化だの言葉だけでも騒いでいる時だけに
「夏よ、そのまま止まれ」
と念じているなんて、家族にも内緒にしておかなければならない。夏こそ青春と四十歳を超えても信念として保っているのだから、日記にでもこっそり綴ろう。
 こんな滞りの時こそ、驚く出来事が起こる。こつこつ続けていた詩作の一つがB賞を受けることになった。詩は小説と違い、賞自体に派手さや華やかさは乏しく、商品価値も少ない。しかしB賞は知る人ぞ知る賞であり、詩作に励む者にとっては、喉から手が出るほど
欲しい賞である。
 佐助はあわよくば手にしたくはあったが、折角創ったのだから応募ぐらいはしておこうかという程度のものであった。机上の何編かの内、気に入ったものを選び白い封筒にくるんで投函した。参加することに意義あり程度の瓢箪から駒が出た。
 受賞の知らせに妻は何のことかわからなかった。晩夏の昼下がりである。夫が詩を書いていることもよく知らなかったし、まして応募など夢にも思わなかった。良く飲み込めないまま慌てて、勤務中の夫に電話を掛けた。
 佐助も初めはきょとんとしていたが、B賞の名を告げられると電動のおもちゃが急にスイッチを入れられたように飛び上がった。心もぴょんぴょんと跳ね上がり、飛行機に乗る前から宙に浮いたような気持ちが続いた。
 いざ賞を貰って帰ると、職場でも大歓迎で豪華ホテルの一室でお祝い会を開いて貰った。
 清貧の者に一筋の光が当たる時はお祝いをしてあげよう。趣旨はありがたく嬉しかったが、佐助にとっては今までの暮らしはただ貧しかっただけのように思われた。心は濁っているし、我ながら奇妙な闘志とともにひねくれ根性。が暴れ出ることを知っている。
 身に余る祝辞を頂いた後
「私は賭け事が好きですが、実はこの数ヶ月は宝くじを止め時間を見つけては詩作に励んできました。この詩作に賭けそれが実を結んだと思います。」
とまじめな顔をして大袈裟に話した。
 それでも職場のみんなからは拍手喝采であった。決して酒の勢いではなく、心から喜んでくれているのがわかると、佐助は涙がこぼれた
 好事魔多し。それから二週間後、安本先輩から電話がかかった。秋風が半袖のシャツには肌寒く思わる。
「B賞受賞おめでとう。少し遅くなったが、お祝いをしたいと思う。時間ができたら連絡してください。」
 安本幸二先輩は十歳上で、詩の作り方を教えて貰ったし議論も小さな範囲で行った。もう地元では長い付き合いだが、近頃は佐助の才能を評価してくれ「とにかく応募してみなさい」というのが口癖であった。今回の応募も背中を押された感じである。
 安本先輩は裕福であるから、酒宴は必ずと言ってよいほど奢ってくれた。佐助もしっかり議論をしたが、佳境に入ると自分の考えを押さえ先輩に合わせた。もともと奢って貰うという前提だから、スポンサーを勝ち倒すわけにはいかない。そこで議論の中身はいつも似たようなものに堕す。あさましい乞食根性は酔ったはずの心で「貧すれば鈍す」を感じた。
 佐助はどうせ飲まねばならぬなら、今夜済ませておこうかという気になった。安本先輩は定刻前に現れ、二人の宴が始まった。受賞のお祝いが一時間続いた後、例の批評合戦が始まった。
「この際言わせて貰うが、君は慎重だ。私も慎重な方だが、若いのに君は輪を掛けて慎重だ。もっと挑戦魂があれば、この程度の賞はとっくの昔に取っているはずだ。溢れる才能を思うと遅すぎた残念会ですらある。」
 佐助は普段より酔ってはいたが、奢って貰うと小刻みな弁明こそしつつ説教を受け入れた。
 二日後の午前に安本先輩からまた電話が掛かって来た。
「先日は酔った調子で失礼なことを言ってしまった。どうか許して欲しい。よかったら今晩あたり口直しにどうでしょうか。」
 佐助は詫びられると改めてきつい言葉が乱れながら蘇って来た。
「いや今日は忙しいので遠慮しておきます。」それから一週間経って、同じ誘いの電話がか細い声で掛かった。
「当分、忙しいです。」
 佐助は自分でも驚くほどはっきりと断った。
安本先輩にはお世話になっているし、引き返したいという気持ちは山々であった。
 しかし断ったことで枠から出られた気持ちがした。

 佐助はぼんやりしているようで、きれい好きであった。時には神経質過ぎると思われるぐらいにきれいにしておかないと気が済まなかった。隣の空き地は住宅街にしてはなかなか家が建たなかった。一部を駐車場にして二、三台は有料で留まっているが、後は放ったらかしで草がぼうぼうと生えた。だから新たに借りる人も現れわれないのだろうと思う。もっともそんなことはどうでも良いし、草がどれだけ伸びようと構わなかった。
 しかし空き缶が散らばるのは我慢できなかった。駐車場を借りている連中か近所の子供がやってきてジュースを飲んだ後、ぽんと捨てたにちがいない。契約者はその場が自分の車と何らかの関係があるから、闇雲に捨てることはあるまい。こんなに暑いのにわざわざ外に出て飲むなんて、余程の待ち合わせ相手がいる場合に限られよう。近所の子供にちがいないし、野原でジュースをぐいと飲むのは心理的な快さを伴う。辺りは宅地開発が進み,きしむように家が建て込む。やっと隙間を見つけてジュースを持ち寄り語り合うのは、遠足の気分さえ味わう。あるいは受験勉強に精を出し、しばしの憩いと星を見つつ、冷たいジュースか。
かすかな自由とは貴いものであろう。 
 しかし空き缶が散らばるのは我慢できなかった。
それも放ったらかししているので、缶は増えた。「ここは捨てて良い場所」と暗黙の了解と奇妙な連帯意識ができるのであろう。佐助はずるずると汚れるのが我慢できない。神経に触るのだ。折角の青い草が要もない空き缶で美的に汚れている。
 ある朝、用事があり街に出掛けなければならなあ
かった。正装していたが、その空き地を通ってバス停を向かわなければならない。もっともこの一ヶ月で何度も通過することはあったが、いよいよ数が増えた。いわば行動の臨界点に達していた。
ビニール袋を片手に家を出て、隣の空き地に赴いた。正装と何も入っていない白いビニール袋とそのアンバランスが我ながらおかしかった。幸い誰もいなかったし、缶は捜せば捜すほどあちこちから出てきた。少し錆びたものまで草陰から現れ、ビニール袋はみるみる一杯になった。少し歩けばスーパーの大きなごみ捨て場がある。ビニール袋もそこで買った品物を入れていたものだし、還元という意味でいいのではないかと思った。
 汗を流してもう間もなくという所で、ふと手元を見るとたくさんの蟻がいた。蜂蜜レモンジュースに蟻が群がり、ビニールに缶が移動しても蟻たちはしがみつくように蜜の残りをあさっている。缶の口にはそれこそたくさんの蟻が群がり、中にはどれほどいるのかと思うだけで、鳥肌が立った。もしこのまま缶口を上に埋めてやれば、そのまま蟻の巣ができる。いや一個連帯で微かな蜜を求めて集まっている。
 佐助はよほど引き返そうかと思った。しかしもうバス停まで九割り方来ている。次の角を右に折れ空き地を目指した。この辺りは休日に散歩するので細かい地理も頭に入っている。だからあき缶の一つや二つを捨てるぐらいの草むらの在りかは知っている。しかしぽいと捨てるなら、自分の隣に捨てた輩とまるで同じレベルではないか。もはや彼らを批判する資格はないと思う。しかしこのままでは必死に蜜を求める蟻たちを見殺しにしてしまう。
 佐助はバスの時刻より蟻たちの命が気になった。
午前八時半は人々が活動を開始する。横道から通勤の男女が歩いている。彼らはまっしぐらに進んではいるものの、佐助のうろうろしている様は奇異に感じるにちがいない。歩く方向も逆だし、何よりビニール袋と背広は似合わない。
 佐助は普通に歩きながらがらがらと缶がぶつかる音が気になる。そして二番目の空き地で立ち止まった。小川が流れその向こうが捨てごろの場所だ。草も適当に生えている。しかしそれが駐車場とわかるとどきっとした。左右をさっさと見て、缶袋をぽんと投げた。体まであちらの空き地に飛んでゆくような気がした。と同時にどっさり罪を犯した感じに捕らえられた。
 いいや、あれだけの蟻たちを助けてあげたのだから良いことをしたのだ。
 佐助は元の道に戻りながら、何度も心に言い聞かせた。もしあのまま大きなごみ箱に入れたら、収集車で運ばれ処理されるのは時間の問題だ。少しでも命を長らえさせてあげたのだから、蟻たちも感謝しているだろう。
 バスは冷房が利いており、皮膚から体へ爽やかさがしみ入る。空き缶の収集から投げ捨てなんかたいしたことではない。どちらかと言えば良いことをしたのではないか。佐助は無理に気持ちを誘導しなくとも、自然にそう考えられるようになった。楽観主義というか陽光の当たる健康な考え方に心が向かっているのが快かった。
 事務所で挨拶をし、定刻前にパソコンを開こうとした。シャツの袖を捲ろうとした時、黒い粒のようなものが見えた。右手を指先に向かってせわしげに歩くのは、まさしく蟻である。佐助は現場での観察者がドアをノックしたように驚いた。息が瞬間止まりそうになると言っても大袈裟ではない。
 近くの公園まで何とか持って行ってやろうかと思った。歩いて十分程度だ。モーニングコーヒーを飲むことを思えば、たやすい時間だ。あるいはこのまま放っておけば廊下におりて、事務所を右往左往するであろう。そして誰かの背広にくっつけば首尾良く外に出られる。しかし四方に車だらけの道路でどうして安全に今日を過ごせるだろうか。
 佐助は考えるのさえ面倒臭くなった。目の前にはたくさんの仕事があり、一つでも片付けなければいけない。白い袖口を見ると相変わらず、蟻が
止まっている。そこからの思考は順序正しく思い出せない。ただ頭が一つのことに集中しようとした。何かしでかした時、当人はよく「頭が真っ白になりました」などと弁明する。佐助も記憶が定かでないからあるいはそれに近いのかもしれない。しかし頭が問題の結論を捜して固まる感じであった。
 左手で蟻を捕まえ潰した。微かに動いていたので更に力を加えた。蟻は菱形の餅のように形を変えて机にぽろりと落ちた。どんな形になっても黒であり、存在の抵抗のように思われた。佐助はしばらく目を閉じ、仕事に取り掛かった。
 
 帰りのバスで夜の風景を眺めていると、蟻のことが浮かんできた。蟻はあれで何もかも終わったなあ。佐助の家はほんの二十年前まで、小高い丘であり、そこに蟻たちが住んでいた。その営々たる種をひねり潰したと思うと心に氷のナイフを当てられるような気がする。
 家族団欒の後、風呂に入りながらまた考えた。
 蟻みたいな辛いことをされたから、ついやってしまったのだろうなあ。
 ここから先は袋小路である。誰も滅多にやって来ない代わりに前進することもままならない。袋小路にはごちゃごちゃした思い出がたくさんある。
 春風がまだ冷たい頃だった。それも今年の話だから思い出せば胸がうずく。例えば禁煙を宣言実行している者が、もう五ヶ月にもなるので、我ながらたいしたものだと誉め称えているとしよう。しかし仔細に触れると、煙草をすいたけなって仕方がない。単なる感傷とか嗜好の世界といくら解釈してもやはり喉が覚えている。この懐かしいジレンマこそ胸のうずきである。
 三年前から勉強会でSさんとはご一緒していた。「日本語研究会」で佐助は詩作をこつこつ思いに任せてやっていたので、中心的な存在に迫った。Sさんは日本語学の権威で何より英語とフランス語に熟知しているので、比較の意味を込めて日本語を勉強しようとした。真田澄江さんはマスコミにもよく登場し、美人の上に論客として年々有名になっていた。佐助は趣味として詩作に励むとともに、いつしか古典に親しむようになった。もちろん現代人だから現代詩やできたての小説を読み楽しむ必要はわかっている。義務感も手伝い、現代版に取り組もうと試みるが、がさがさした感じをどこかで感じていた。というのも現代詩を詠むにつけ、自分ならこう表現するだろうという意識が犯人を尾行する名探偵のように働いた。名探偵とは奢っているにしても、どこかライバル意識が働き、楽しく鑑賞することを阻んだ。あるいは作者の目的、有名になりたい、ひいては才能を元に財を稼ぎたいという深層心理をかぎつけたのかもしれない。それはもう一皮むけば佐助自身の本音であり、神聖なる詩作と真っ向から対立するものであった。つまり現代の意欲作を読みながら、自分自身を鏡で見ているようで真剣さを超え深刻な袋小路に陥った。
 そこで利害関係はほとんどない古典の世界に没頭した。といっても通勤バスの行き帰り程度にめくる程度だが、和歌には心が美しく凝縮されている。「山家集」「金塊集」と詩人は一生に一作である。次はない。というよりも一作に命を賭け、すべてを託す。あるいは一首にすべてといってよい。つかれた目に和歌は森羅万象、春夏秋冬、老若男女等のあらゆる風景を映し出してくれる。佐助は袋小路の隙間から光が針先のように美しく差し込むのを覚えた。それは美というより、生きる幸せでありまた人生の綾、あるいはおもしろさであった。もはや脚注を読まずに和歌を楽しめるような力が付いた頃、「日本語勉強会」に誘われた。
「佐助君は日本の古典文学に造詣が深いから参加してみたらどうですか」
 本人も満更でもなかったし、秘めたるとはいえ自分の才能の一端が認められたように嬉しかった。会を運営する上で、温故知新も大事だろうという先輩の意見によるものであった。
 真田だって英語ばかりかフランス語まで堪能でぺらぺらということで白羽の矢が立った。
真田先生が入会されるというので、「日本語勉強会」はいきなり格が上がった。
「佐助君は研究会に入っているんだって。
あの会には真田澄江先生もお見えになっているんだろう」
「そうだね。大体来ているよ。そもそも僕が大体しか行っていないんだ。」
 友だちは羨ましそうに佐助の目を見上げた。後で聞くとS先生のサインを貰って欲しかったそうである。
 今にして思えば、佐助自身もサインといっしょの写真を撮っておけばよかったとつくづく思う。
 日本語研究会は型通り進んだ。スケジュール通りという方が当たっているが、会員は参加することで心の拠り所を創っていた。一人ひとりは自分の才能を信じる一匹狼であり時には狸にもなる。詩作を目一杯に披露するとともに、互いの作を批評できる。もちろん被告席に座るのはお互い様であるから、批評といっても欠点をえぐるのが半分、誉め言葉が半分である。直にできるのも互いの利害関係がないからなせる業である。
 佐助は自分独りが格下の地位にいることに気がついた。詩はあくまで個人のもの、素裸の心で詠むものだから、地位に優劣があるはずはない。むしろユートピアに近い平等の世界を築こうとしているが、見渡せば会は著名人ばかりで雑誌に登場する面々である。
 プロ集団にセミプロが一人遠慮知らずに参加しているように感じられた。
 佐助の尻込みする姿を澄江は優しく包むとともにいたわった。振り返れば澄江は深い心をしつこいまでに追いかけていたように思われる。
「あなたは型にとらわれない感覚が独特で素敵ですわ。」
 誉めて貶すというバランス感覚はこの会の運営ルールである。佐助だってその程度の誉め言葉は澄江に対して無意識の内に発しているであろう。
 しかし澄江の言葉に特別な気持ちを感じた。どんよりと曇った日に坂道を登っていた折、きのうの言葉に愛を感じた。荒くなった息を思い切り吸い込んだ際、澄江の思い入れが身に染みた。すべての思いが佐助の胸に注がれている。あるいはそれは錯覚であろうが、抽象的な事象から夢を膨らませるのは詩人の特権でもあり性でもある。
 佐助は攻勢に出た。今までの待ちの姿勢とは打って変わったものだけに、力みがありぎこちなかった。こみ上げる思いを電子メールに託す。この初々しさが澄江には新鮮に感じられたのであろう。
「日本語研究会の夜は星のようにときめきますね。」
「私などは感動の余韻が朝まで残ることがありましてよ。」
 佐助は短文に徹しようと苦心した分、艶やかな切り口を披露することができた。澄江は間髪を入れず、同じ文量を返した。古典の範疇でいう文通であり、ぐっと万葉に遡れば返歌のひとつである。
 澄江からの返しには誉め言葉とともに鋭い批判があった。じっくり読めば余裕を持って上から見ている節がある。少なくとも乱れ髪に悩む姿は浮かばない。
 ところがストレートに受け応えする様に佐助は恋心を覚えた。伝言が繰り返されると恋しさは螺旋状に登っていった。もはや研究会は詩作よりも澄江を見つめる視線の場となった。ところが遠謀深慮の佐助はまるで何事もなくむしろ退屈な雰囲気さえ醸し出した。
 慎重な性格はこんな急所にも現れる。
 じりじりした思いは表現を激しいものに変えた。澄江は本能的に察したのか、次第に淡泊な言葉遣いに変えてゆく。佐助は獲物を追い掛けるようにきつく愛の在りかを問うた。所持品検査のやり方では、こまやかな思いは確かめにくい。相思相愛なら躙り寄る。
 真島澄江は新しい春にある大学の国文学助教授として招聘された。美貌の上に学識経験が豊かというのがもっぱらの理由である。佐助は澄江がいかに偉大な作品群を著し、才能を遺憾なく発揮して来たかを改めて知った。肩を並べ普段着で話して頂けるような相手ではない。今までの無礼さを心で詫びるとともに、盛大な拍手で送り出さねばならない。当然にこのちゃちな研究会などには無縁となろう。今までだって澄江の意識としては、壇上から参加されていたにちがいない。
 桜がやたらに眩しく光る。葉桜になっても佐助はぼんやりと縁側に座っている。もっとも仕事務めと家庭生活はメリハリをつけてこなし続けた。役者である。そこで「清貧ですね」などと言われてもへらへらと笑うばかりである。地獄と誘惑を心に抱え、二重生活も良いところである。
 しかしバランスを少しでも崩せば、お腹の油地獄がふつふつと沸き返る。堪えきれずに禁断の電子メールを送る。
「ご栄転おめでとうございます。お体に気をつけられますますご活躍されます事を祈念いたしております。」
 満を持し、゚モ身の力を振り絞り綴った。
「ありがとうございます。目上のあなた様から激励のお言葉を頂き、身が縮む思いです。新しい世界でも頑張るつもりですので、佐助さんもどうぞお体に気を付けられてご活躍ください。」
 佐助は何度も何度も読み直した。そして止せば良いのに翌朝、また伝言を送った。返事はなかった。
 澄江は熱烈な恋愛の後、結婚して二人の子持ちであることを知人より聞かされた。佐助自身も妻子については同じ条件であるから、色々と言える立場ではない。わかっていながらチックになった眼のように幸せな家庭生活が気になって仕方がなかった。
 あの優しさは母性愛から醸し出されたものにちがいない。だから心にしみじみと伝わった。裏を返せば子供扱いにされてきたわけだ。
 スタンダールがイタリアで人妻に恋をし、てんてこ舞いの顛末を「恋愛論」に著している。そのエキスを汲み取り応用すれば、のっぴきならぬ事態を打開できるかとも思うが、蟻地獄はますます深まりそうな恐れもある。
 じりじりした思いを一片の詩に託した。
 涼しい月の夜、一匹の蟻が懐かしい蜜を求め右往左往する様をユーモアと哀愁を交えて詠った。諦めが根底にあり、さっぱりとはなかなかできぬ別れを表現したものがB賞を得た。蟻が爪でがりがりと岩をよじ登り頂きに着いた感激である。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。
虎穴は入りたくて入ったわけではないと弁明するが、のっぴきならずに入ると光はある。
 受賞は雷電を浴びたように嬉しかったが、澄江への思いは募る一方である。一ヶ月、カレンダーと睨めっこした末、極力短い伝言を送った。短文はお時間を取らせぬようにという配慮であったが、自己矛盾も甚だしかった。
返しはなく、窮余の一策として受賞作に近況のメッセージを添え封書に衣替えした。
 澄江は感受性が豊かだから、メッセージに込めた思いを読み取ってくれるだろうと想う。
賭けである。
「おめでとうございます。素敵な詩で感動を受けました。これからも詩作に頑張ってください。」
 普通の祝辞である。しかし佐助は腸が煮えくり返り、助教授室のドアを開けにゆこうかと幾晩も考えた。開けた後の修羅場の数々が思い浮かぶ。
 美しいご婦人が必死で崖を登り詰めた蟻を
ハイヒールで砂をかける。蟻は何とか絶壁で踏みとどまろうとする。こうなれば蟻から蜂に変身し一矢を報いねばなるまい。

 月の満ち欠けが三度ある。風は涼しさを超え冷え冷えとなる。佐助はどのようにして平常心に戻ったか思い出せない。今でも澄江から朗報が届けば一目散に飛んでゆくだろう。それからどうなるかと考える時、心の小舟には重すぎる錨が巻き付いている。
 澄江が住んでいる方角の夜空を見上げる。今宵ご主人と仲良くされている。それがご夫婦だろうし、彼女が幸せならばすべて良いではないか。気持ちを割り切ろうとすればするほど乱れる。自分が何も係わらずに幸せになるなんて我慢ができない。
 必死で思いを伝えようとしても「頑張ってください」と儀礼文句程度なのか。サッカーゴールを外せばどんなにドリブルで駆け込んでも無駄なのか。勝てば官軍。この世は白と黒で、間の十二色は白か黒のいずれかに帰す。
 最大のピンチである。心は不完全燃焼ながらじりじり焦げるままに煙だけがくすぶる。
その上を霧雨がとことん降りかかるか。
 あるいは浦島太郎があこがれの竜宮城に案内されたものの、舞いや踊りを一舞台見せて貰っただけで夕刻には帰らざるを得ない運命に似ている。しみったれた思わせぶりなんて掛けないで欲しい。白髪になるまでとは言わないまでも、せめて竜宮城へは一泊ぐらいしてみたい。
 想像だけは宙を好きなように駆け巡るが、いたたまれず外に出る。それでも後ろ髪を引かれ、くるくる廻る思いもする。心は嵐。仕事は恙なくこなし、まるで映画の背広を着た完全犯罪者のように街をほっつき歩く。
 もやもやした中で安本先輩との出逢いがあった。安本は受賞をねぎらい体ごと誉めてくれた。佐助の半生を知っているが故に、苦楽をなぞりながら喜びへと導いてくださる。安本先輩こそ似たような行路を辿りながら、花を手にできなかった悔しさ。それでも一歩一歩進んでおられる。 
「君には今、花がある。花盛りの森へ進もうとしている。おめでとう。」
 しかし佐助は澄江のことで頭が一杯である。まして自分の心を知っているとばかりに詮索されたくない。ぴりぴりした佐助が身を守るための喧嘩はやむを得なかった。
 すすきと萩の小道を歩きながら和解したいと思う。そのためには相手の弁明にもしっかりと耳を傾けねばならぬ。たちまち論争が復活する恐れも多々ある。しかし本音で論争をやりきれれば、和解の道に通じる。避けて遠慮するから本音と建前がぐちゃぐちゃになり、蟠りが増える。
 佐助はこの間の経緯を日記に綴って来た。これを解きほぐし詩文へと翔べれば嬉しい。しかし未熟な言葉は地を這い、影を宿した。それでも栄えある賞を頂いた自信で、今までの階段を一つ上った自信が生まれる。
 自分は慎重過ぎる。虎児を見つけても虎穴へは滅多に飛び込まない。遠くからあれやこれやと思いを巡らす。
 しかしさすらいの集まりで詩が生まれ、実りがあるではないか。これまでの思いで気に入ったものをもう一度ゆっくりまとめてみたい。
 安本先輩の門を叩くのはそれからでよい。澄江への思いは断念できず、思い出せば蜜を求める蟻のように灼熱のなかを右往左往する。しかしそれしかできないのなら、それをやる事が第一歩である。身を屈め深く暗い缶穴に入ろうとする蟻。根性の塊に変身するのは、慎重な佐助にとってはトリッキーな旅のようにおもしろいだろう。缶全体が風に揺られ、あるいは子供達からごろごろ蹴飛ばされる。万事休した瞬間に蜜と友と家族と、澄江に会える。楽しい作品ができそうだ。
 小高い丘に腰を下ろしながら、まずは安本先輩に電話をかけてみようかと思う。出だしの文句を考えてみる。余り慎重でなくともよいはずだ。


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